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セグンド・ド・ショーモン(Segundo de Chomón)
スペイン映画創生期のキャメラマン・映画監督で、「スペインのメリエス」と呼ばれる人物。
1871年、スペインのテルエルに生まれる。1901年からパテ作品のフィルムに色づけをする仕事をスペインで始め、1902年には自作の映画がパテ経由でフランスで公開されるようになっていた(この頃撮られた作品で見たのは『Los heroes del sitio de Zaragoza』だけだが、これはリュミエールふうのセットを使った史劇だった)。やがてフランスに渡り、1905(6?)年から1909年まで、パテ・フレールで映画を撮り始める。この頃ショーモンが撮った作品のなかには、メリエスの映画に非常によく似たものが少なくない。いや、もっとはっきり言うなら、メリエスのパクリである。いくら似ているからと言って、証拠もないのに簡単にパクリという言葉は使うべきではないと思うが、それにしてもショーモンの作品の中には、メリエスそっくりのものが混じっていることもたしかだ。
挙げればきりがないが、たとえば、舞台上の演奏者が首をひょいと上に放り投げると、それが楽譜の符号になる『En avant la musique』(07) は、メリエスの『音楽狂』(03) のパクリだし、人の顔をした星に向かって旅をする『Le voyage sur Jupiter』(09) はむろん『月世界旅行』(02) の模倣だ。しかし、後からやってきたものの利点というのか、『Le voyage sur Jupiter』では、行き先が月ではなく、それよりもさらに遠い木星になっていたり、そこに行く手段もロケットではなく、夢の中で縄ばしごを上っていくということになっているなど、ショーモンはメリエスの映画にちょっとずつヴァリエーションを加えて、個性を出してはいる。
いや、そもそも「メリエスの模倣者」という言い方はあまりにも不当だったかもしれない。ショーモンがメリエスから多大な影響を受けているのは明らかだったとしても、子細に眺めるなら、彼の映画にはメリエスにはなかった独自の視覚的アイデアが随所に用いられている。だからこそ、彼は同時代にメリエスのライバルと目されていたのだ。
メリエスとの類似性はたしかに興味を引く。しかし、わたしがショーモンの作品で一番驚いたのは、『Los guapos del parque』(05) という作品だ。これは、花嫁募集の広告を出した男のところに、無数の花嫁候補が押し寄せて、そこから逃げ回るという作品で、キートンの『セブンチャンス』(25) にほとんどそっくりなのである。キートンがこの作品を見ていたかどうかは分からない。あれはデイヴィッド・ベラスコの戯曲が一応原作になっているわけだし、全く無関係に作られた可能性も大いにあるだろう。『Los guapos del parque』が撮られる以前に、エドウィン・ポーターが似たような題材の短編を撮っているという話も聞く(未確認だが)。
こういう影響関係の問題は裏をとるのがなかなか難しいが、研究には値するだろう。しかし、その余裕はわたしにはないので、それは他の人に任せるとして、最後に二、三つけ加えておく。
セグンド・ド・ショーモンは、ストップモーション・アニメーションなど、アニメ作品も何本か作っている。影絵を使って悪夢を表現したりするなど、今見ても鑑賞に堪えるなかなかの出来だ。この分野でも注目されていいだろう。
ショーモンはフランスに数年滞在した後スペインに帰り、その後イタリアに渡っている。ジョヴァンニ・パストローネの『カビリア』(14) の撮影を担当したのは彼だ。『カビリア』の史上名高い移動撮影の陰にはこういう人物がいたのだ。
今では半ば忘れ去られてしまっているが、映画の考古学的には非常に興味深い人物である。もう少し光が当てられてもいいと思う。
ショーモンの作品を集めた DVD は出ているのだが、入手がなかなかめんどくさい。下の DVD にはショーモンの作品がいくつか収められているようだ。こちらは Amazon から買うことができる。