明るい部屋:映画についての覚書

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神戸映画資料館でわたしが行っている「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見」の詳細が決まりました。

「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見 第8回 パプストとブルックス──『パンドラの箱』を読み解く」 2019年12月22日(日) 詳細はここで。
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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ジャン・ドゥーシェ「愛する技法」

映画批評家ジャン・ドゥーシェの主著の一つ『愛する技法』(L'art d'aimer) の冒頭に収められた同名の評論「愛する技法」を試訳してみた。


ジャン・ドゥーシェは、50年代の終わりに「カイエ・デュ・シネマ」と「アール」誌で映画批評を書き始めた*1ロメールや、トリュフォーゴダールとくらべるとちょっと遅れてやってきたかたちである*2。もっとも、1948年からメッシーナ通りのシネマテークに通っていたドゥーシェは、この頃には彼らとは旧知の仲であり、同じ映画作家たち、とりわけアメリカ映画の監督たちへの愛を共有しあっていたはずだ。

ネガティブな批評は居心地が悪いというドゥーシェの批評の根底には、常に、作品への愛がある。まず作品への愛がなければ話にならない。感性や、直感によって、愛する作品を深いところで理解する。そして、その愛する作品を人に伝えるのが批評の役目だというドゥーシェの姿勢はわかりやすい。しかし、作品への情熱だけでは、批評は批評たりえないのである。一方で、作品をオブジェとして捉え、できうる限り作品のフォルムによりそって、それを分析する明晰さも必要なのだ。情熱と明晰のバランスこそが批評であると、ドゥーシェはいう。

作品のフォルムに忠実でなければ、批評はただの恣意的な解釈になってしまうだろう。「愛する技法」のなかでも、フォルムの重要性は何度も強調されている。しかし、一方で、ドゥーシェが、作品というのは生命を持った存在であることを強調していることも忘れてはいけない。フォルムといっても、ドゥーシェのいうそれは、フォルマリズムで問題にされるフォルムとは全然違うのだ。「カイエ・デュ・シネマ」の編集長がロメールからリヴェットに代わり、「カイエ」が先鋭化するのとほぼ同時に、ドゥーシェは「カイエ」を去ることになる。構造主義や、ラカン精神分析の影響を受け、政治的になりすぎた「カイエ」はドゥーシェにはたぶん居心地悪かったに違いない。

ジャン・ドゥーシェは今でも映画批評家として活躍しているが、彼の批評の姿勢は、ほぼ半世紀前に書かれたこの「愛の技法」のなかで表明されているものとほとんど変わっていないように思える。わたしがこの文章を訳してみようと思ったのは、「批評家」よりも「愛好家」*3という言葉をあえて使い、「忘れられた芸術家や、知られざる芸術作品に、その本当の価値を取り戻させるためには、一人の愛好家がいれば十分だ」と語るドゥーシェの映画批評には、インターネット時代のブログやとりわけツイッターにおいて草の根的な映画批評を展開している人たちにとって、示唆的なものが含まれているような気がしたからだ。


ドゥーシェのフランス語は、70年代の「カイエ」に比べればずっと読みやすいが、それでもところどころ読むのに苦労した箇所があった。翻訳のせいでわかりづらいところがあるかもしれないが、大目に見ていただきたい。


ジャン・ドゥーシェ「愛する技法」


批評とは愛する技法である。批評は情熱から生まれ落ちるが、ただ情熱に胸を焦がしているだけではない。抜かりない明晰さを、批評は駆使しようとする。情熱と明晰さのあいだに内的な調和をたえず求めることに、批評は存するのだ。このどちらか一方が他方に勝ってしまうと、批評はその価値の大半を失ってしまう。批評にはこの二つの原動力が必要なのだ。批評の目的が、ちまたの雑誌にあふれているくだらないおしゃべりを読者に読ませることにあるのではないことは言うまでもない。そういうおしゃべりは批評という名前で呼ばれているだけにすぎず、批評という言葉の品位を落とし、批評の役割を失墜させ、それを実践している人たちを卑しくしているだけなのだ。映画を(というのも、ここで話題にしている芸術は映画なのだから)たんなる話の種とみなすことは、わたしには言語道断の振る舞いに思える。映画をたんなる個人的興味の対象(食い扶持を稼ぐための仕事、名前を売ってのし上がるためのきっかけ、シナリオを売ったり自分を売り込んだりする手段)と見なしたり、映画とは関係ない思想的、政治的、宗教的な闘いを行うために利用したり、つまりは、映画を犠牲にして、自分自身や主義主張(たとえそれがどれほど高邁なものであったとしても)を大きく見せようとするのは、根っからの知的不誠実さの表れである。芸術が批評に求めているのは、芸術を利用することではなく、芸術に奉仕することなのだ。


芸術にとって批評は欠くべからざるものなのである。批評なくして、芸術は存在できない。芸術が批評を必要とするのは、二つの意味においてだ。第一に、芸術作品は、それを生み出した芸術家の感性と、それを鑑賞する愛好者の感性との間に、仲介者を介して結びつきが生まれなければ、死んでしまう。作品を深いところで感じ取ること、そしてその熱狂を広く伝えること、それこそが批評行為なのであり、たとえそれが口伝えによるものであろうと関係ない。忘れられた芸術家や、知られざる芸術作品に、その本当の価値を取り戻させるためには、一人の愛好家がいれば十分だ。実際、芸術作品の物質的存在など、それ自体では何の価値もない。ひょっとしたら世界の映画作家の中でもっとも偉大な存在かもしれない溝口は、1952年に発見される以前、われわれ西洋人にとっていったい何だったのか。何ものでもなかった。日本の撮影所のなかで、ジャングルのなかのアンコールワットのように埋もれているフィルムの山に過ぎなかった。偶然が、ポンペイや、ミロのヴィーナスや、フェルメールや、ヴィヴァルディを残してくれたように、溝口の映画を救ってくれたのだ。偶然の気まぐれで、すべては破壊されてしまっていたかもしれない。そうなっていたら、今日何が残っていたろう? 思い出ひとつ、思念ひとつ残っていなかったろう。それというのも、重要なのは、作品が、つまりは芸術が、人々の意識のなかに引き起こす反響だけなのだから。人々の意識の中に、人々の意識を介してこそ、芸術は生きるのである。


その証拠に、だれもが目にし、どれよりも褒めそやされさえした作品が、土に埋もれたり屋根裏部屋の奥に眠っている作品と同じように、世に埋もれていることは珍しくない。この場合も、たった一つの感性が、作品の深い部分にふれて感動し、フォルムのなかで燃えたぎる生命をくみ取って、その感動を人々がわかち合えるように手助けしてやらなければ、いくら莫大な数の人々の目にふれたところで、作品は蜃気楼のようにたちまち消え去ってしまうだろう。映画の短い歴史は、何百万もの観客に見られながら、世に認められていない映画であふれかえっている。ムルナウキートン、あるいはラング(後期の)、ヒッチコック、ウォルシュ、ホークス、ロージー等々の作家は、世に知らしめる努力があってはじめて認知されたのだ。逆に、偽の栄光に包まれた映画作家たち、クレールや、フェーデや、プドフキンらは、美学的に彼らにふさわしい忘却のなかに沈みつつある。この角度から見たとき──それにこれ以外の角度はないのだが──、批評は発明の同義語となる。語のふつうの意味で発明であり、また「発見」という意味で発明なのである。真の批評は、宝物を発見するように、作品を発明=発見するのだ。批評は作品の生命力を捉え、維持し、引き延ばすのである。批評は、芸術家や芸術の価値を、絶えず問い直すことで、発見するのだ。批評は創造の領域と分かちがたく結びついているのであり、それ自体が芸術として創造的なものとなるのである。


というのも、これが、芸術にとって批評が必要であるということの二つ目の意味なのだが、批評というのは芸術活動の根源そのものにあるのだ。フリッツ・ラングは、「すべての芸術は何かの批評でなければならない」と語っている。愛好家*4が作品と向き合うのとちょうど同じ姿勢で、芸術家は世界と向き合っているのだ。


実際、芸術家は、世界を他ならぬ作品として感じ取るからである──この場合、その作品が自然の産物であろうが、人間による産物であろうが関係ない。そのうえ芸術家は、この作品(世界)を、種々の体系──人類のもろもろの段階において、集合的な意識と感性の緒局面を表している、宇宙進化論的、哲学的、宗教的な体系──によって、さまざまなかたちで説明せずにはいられないのだ。芸術家の存在理由は、自己と世界との関係を表現することにあるのであり、芸術家は外界の印象を、自己の奥深くで受け取るわけであるから、どうして芸術家の感性が、世界と自己と外界の印象を問題にせずにいられるだろうか。というのも、フォルムを生み出すというのは、同意か拒絶を意味する身振りに他ならないからだ。芸術家にとって、フォルムを創造するというのは、感受する主体(芸術家自身)の──意識的であれ無意識的であれ──感知するすべてを、対象(作品)の中に移し入れることなのである。知性というより感性による(このふたつは偉大な芸術家においては両立する)弁証法的運動によって、芸術家は、一方で、主体について考察し、自分が伝えたいと思う感覚を吟味しなければならない、つまりは自己批判しなければならない。そして他方で、対象について考察し、自分の知覚とその表現の良し悪しを吟味しなければならない。これは感性によって理解するという方法であり、その知はフォルムによって、フォルムの中に帰着するのである。


ところで、フォルムというのは、芸術家にではなく、芸術家が自己を表現する場である芸術のほうに属している(別のフォルムをもつ絵画と音楽では想像力の働かせ方が違うし、偉大な作家が偉大な映画作家だった試しはなく、その逆もない)。フォルムというのはダイナミックな要素であり、芸術家はそれに完全に身をまかせることで、それを内側から制御し、唯一無二の存在、つまりはそれ自身の存在の感知できる明白な記号となるまで、それを形作る(former)のであり、そのあとで、今度はそれを、その母体である芸術の流れにゆだねるのである。そのときからフォルムは、芸術の中で、単独の生きた存在として、独自に育ってゆくのである。この点においても、いやこの点においてこそ、批評は芸術家にとって必要なものとなるだろう。というのも、フォルムを芸術から引きはがし、芸術固有の生命を無視して、自分のものとしてしまいたいという誘惑はつよくて、たいていの芸術家は生涯の一時期、ときには一生、その誘惑から逃れられないからだ。エイゼンシュテイン、ウェルズ、レネに異を唱える人たちなら、わたしのいうことを理解してくれるだろう。芸術家は川の支流のような存在でなければならない。よりよく生きるために自ら飛び込んだ川の本流を、その源泉の独自の特性を生かして豊かにし、変化させるような支流でなければならない。芸術家は、川の水を自分のものにして、水でできた壮麗な作品を作り、それを傲慢で孤独な自分の姿しか映らない鏡にしてしまいたいという誇大妄想的な誘惑を、避けなければならない。どれほど華麗に見えようとも、そのような作品が生命のないよどんだ水でできていることは見ればわかる。情熱と明晰の間にたえず調和を維持するのは、批評家にとって以上に、芸術家にとって危険で困難なことなのだ。
どの段階をとってみても、芸術家の活動には、すべてにおいて批評的姿勢が伴う。この姿勢が明白となる瞬間を、わたしはわざと今まで書かないできた。美学上の影響、あるいは自分が受けたその他の影響を、完成した自分自身の作品と同様に、絶えず厳しく吟味し、自分にふさわしい要素を受け入れ、ふさわしくない要素を拒み、しかじかの道を選択し、とりわけ、自分の芸術の本質に帰依しつつ、そこに到達しようと努力しながら、芸術家は闘っているのである。その闘いで賭けられているのは、自分の芸術の生命そのものによって、自分の感性を生き延びさせることなのだ。芸術家は、それ自体で固有の感性を与えられている一つの足跡[=作品]を残して、その足跡に、内面の意識の豊かさを永遠に保存するという役目をまかせるのである。


そのようにして生まれた作品の輝きを世に知らしめるのが、批評の役目なのだ。作品の中で燃えたぎる炎の生命力を保持するのが、批評の役目なのだ。だが、いかにして? 作品が誕生するに至るのと同じ過程をたどることによってである。芸術家の感性が世界と出会うとき作品は創造されるのだが、批評家の感性は世界と直面する必要はない。批評は自分では何ものも放棄することなく、作品と向き合いさえすればよく、作品と向き合うことから、批評は芸術家の世界を発見することになるのである。むろん理想は、たえず、そしてできうるかぎり厳格に、対象のフォルムに基づきながら(でないと、ややもすればでたらめな解釈のほうへと横滑りしてしまう)、芸術家の受け取る外的印象がすべてそこに集まる一種の定点、急所にまでさかのぼることである。次々と生まれてくる無数のフォルムと新たな作品に独特のスタイルを与えるのは、この定点なのだ。実のところ、批評は、うまくいけば、この創造の核の所在を明らかにすることを期待できるのである。生命を持ち、複雑で、独特なこの中心は、一つの定義に収まるようなものではない。しかし、批評は、この中心のできうるかぎり正確な観念を暗示すれば十分なのだ。というのも、批評がやるべきことは、まず最初に、対象の中に、見かけの主体ではなく、真の創造的主体を見いだすことなのである。真の創造的主体というのは、この対象が世界との関係における芸術家の位置を示しているという限りにおいて、芸術家の全存在を意味している。次に批評がすべきことは、主体から対象へと逆方向にさかのぼり、対象がもつフォルムの必要性を示すことである。そのフォルムは、芸術家のために、芸術家が世界を洞察するために必要であるだけでなく、何にもまして芸術のために必要なのだ。批評というのは、作家の感性と愛好家の感性を、作品の中で、作品をとおして、その作品に特有の芸術のなかで、芸術をとおして、通底させようとする試みに他ならない。

批評は、芸術家以上に、芸術を理解し、芸術を説明しようとさえする。批評は先ほど述べた往復運動をとおして作品にアプローチするのだが、そのとき批評が目指すのは、なによりも芸術の特質であり、本性なのだ。批評の賛辞と拒絶は、芸術の名において理解される。芸術家が、自分の芸術の本性に反して、それをゆがめるようなかたちで、自分の感性の存続をこちらに押しつけてくるという印象を少しでも受けたなら、批評自身の感性は憤って、作品を拒絶する。とはいえ、そういう作品は注釈できないということでは全然ない。むしろ逆である。アントニオーニ、ベルイマンフェリーニはいうまでもなく、エイゼンシュテイン、ウェルズ、レネらは、ウォルシュ、ラング、溝口、プレミンジャー、ホークスらよりもずっと多くのインクを流させてきた。不思議なことではない。そこには往復運動の片道、対象から主体へと向かう行程しかないからだ。この場合、対象は、主体との関係の中で作られるだけで、作者と作者による人為的な世界の〈ヴィジョン〉の虚像しか映らない巨大な鏡のようなものになってしまっているのである。ところで、困難なのは、往復運動の帰り道のほうなのであり、芸術家と、その作品と、その芸術との間に、調和のとれた自然な均衡を見いだすことなのだ。


どういう点で芸術家は、自分の作品によって自分の芸術を豊かにするのか、そして今度は、この作品が芸術によってどのように豊かにされるのか、それを示すことが、結局、批評の試金石であるとわたしには思われる。これは感覚でわかることなのだが、説明するとなると! この段階に至ると、批評は伝えがたいものの領域に入り込む。芸術の神秘そのもののただ中へとわけ入るのだ。理解してもらうにはただ一つの方法しかない。しかもそれは消極的方法だ。ある作品のなかにたしかに芸術があるとしても、どういう点で芸術があるのかを言葉で表現できなくて、批評はしかたなく、別の作品には芸術は存在しないことを証明する。あるいは、逆に、間違って、芸術のないところに芸術を発見するはめになる。この意味で、エイゼンシュテイン、ウェルズ、レネの映画はきわめて重要だ。彼らは批評にとって好都合な存在なのである。賛成であれ、反対であれ、とりわけ彼らから出発して、批評が映画とは何かを定義しようとするのには理由がないわけではない。同様に、シネフィルたちは、これらの映画作家たちを拒絶するとき、賞賛よりもこの拒絶によっていっそう強く結びつくのである。同じものが嫌いだということは、共通の趣味や、似たような感性を持っていることを意味し、個人的なヴァリエーションはあるにしても、芸術に対するアプローチの仕方が同じだということなのだ。


芸術家だけが、創造しつつ芸術を証明する。愛好家と批評家は、芸術の観念を理解し、その本質を本能的に感じることができるだけだ。これは一つの制限であり、先ほど創造的批評について述べたこととは矛盾するかもしれない。しかし、それはちょっと違う。というのも、思うに、芸術家は何よりもまず批評家、それも成功した批評家なのであり、芸術と親密に結びついた批評は、芸術家においてのみ十全になされるからだ。それに、芸術の発展の歴史をざっと眺めてみれば、独立した機能としての批評を生み出したのは芸術家自身であったことがわかる。芸術の始まりにおいて、あるいは芸術が復興するとき、批評と芸術は一体となっている。真の創造者は、自分の芸術を自覚し、それに帰依している。グリフィスや、ジオットー、ホメロスといった芸術家たちは、本能的に、そしてたちまちのうちに、自分の芸術の広がりとすべての可能性を理解するのだということさえできる。先駆者たちによって切り開かれた道をより深く探求していかなければならなくなったとき、新たな技術が芸術の概念を変え、新たな地平を開かんとしているとき、批評は芸術家から切り離される。そのとき芸術家は、内面の対話を公な場所へと向ける必要を感じるのだ。内的なものだった芸術家の批評は、外的なものとなるのである。


真の理論家がそうであるように、真の批評家も、最初は、芸術家自身である。絵画における15世紀のルネサンスが、フランス文学におけるプレイヤード派が、音楽におけるモンテヴェルディがそうだった。それから、ロマン主義の時代の、ユゴードラクロアベルリオーズ、今日におけるジョイスシェーンベルクル・コルビュジェがそうだった。自分の芸術を考察し直すたびに、自分の作品が向けられることになる新たな感性を、読者や観衆のなかに生み出す必要があるたびに、芸術家は創造のオリンポス山から降りてきて、闘いに加わり、自分の好き嫌いを声を大にしていうのだ。最後に、この新しい感性が普通に受け入れられるようになると、芸術家は再び自分の殻に戻り、批評の役目を愛好家にまかせる。威厳を持って実践されるなら、批評はその当初の使命を思いだし、それ自身が芸術となるのだ。世界との関わりのなかで批評家の感性は、作品と向き合い、世界と向き合い、まるごと巻き込まれる。批評には、それが語る芸術家や、作品や、芸術以上ではないにしても、それと同じぐらいに、その作者が表れる。批評がしばしば芸術と同じぐらい人から認められないのは、そういうわけなのだ。


(「カイエ・デュ・シネマ」1960年12月、第126号)


*1:「カイエ」にくらべて「アール」誌の重要性はいささか認知されていない気がする。この雑誌については、いずれ取り上げたいと思う。

*2:はてなキーワード」には、「『カイエ・デュ・シネマ』の創刊に関わる」との説明があるが、わたしが知る限りそのような事実はない。日本で翻訳が出ているジャン・ドゥーシェとジル・ナドーの共著『パリ,シネマ』の梅本洋一による訳者後書きに、そのような記述があるので、それを調べずに引用したのかもしれない。

*3:"amateur" は「愛」を意味するラテン語 "amare" に由来する言葉で、「素人」の意味も持つ。

*4:原註:わたしは、批評家という言葉よりも、愛好家 (amateur) という言葉を使いたい。残念ながら、本職の批評家がいつも愛好家であるわけではないが、愛好家のほうは、たとえ言葉でうまく表現できなくとも、その嗜好をとおして批評的姿勢を示しているのだ。ただし、愛好家の情熱があまりにも排他的なものになってしまい、明晰さをまったく失ってしまうような場合は別である。そのときは、もはや真の愛好家ではなくなり、ただのマニア、つまりは病人になってしまうのだ。