アルフレッド・E・グリーン『紅唇罪あり』(Baby Face, 33)
窓から工場の煙突しか見えないような場末の酒場で働いていた女(バーバラ・スタンウィック)が、セックスを武器にしてのし上がってゆく。そのきっかけを与えるのが、知人のインテリから読むことを勧められたニーチェの『権力への意思』だったりするのが面白い。このニーチェの解釈は専門家にいわせたらデタラメかもしれないが、それはともかく、女はなんのスキルも持たずに入社した(それも色気を使って)会社で、それこそ権力と金を求め、上司と次々に寝て出世してゆく。一瞬、会社員の役(!)で若き日のジョン・ウェインが登場し、バーバラ・スタンウィックを口説こうとするのだが、平社員の彼など鼻であしらわれてしまう。そんなわけで、ウェインの出演時間は5分となかった。
(女が会社で出世していく度に、キャメラがビルのミニチュアを上に向かって移動してゆき、彼女の新しいオフィスの窓を捉える。キング・ヴィダーの『群衆』で使われたテクニックの応用だ。)
『深夜の告白』以前の最初のファムファタールともいうべきこの役で、バーバラ・スタンウィックは権力と金をつかむためならなんだってやる女を見事に演じている。しかし、ニーチェを読むスタンウィックの姿なんてだれが想像したろうか!
『紅唇罪あり』が撮られた1933年には、すでにプロダクション・コードは発令されている。しかし、日付の上では、コードが発令されるのは30年だが、当初は厳格に適用されていたわけではなく、実際にはたいした検閲は行われていなかった。その監視の目が厳しくなるのは、33年の後半から34年の前半にかけてだったといわれる。これ以後、ハリウッド映画には厳しい検閲が適用されていく。
トーキー映画が始まる20年代末から、コードが厳格に施行されるようになる34年以前までの、検閲が比較的緩やかだった時期は、一般に "Pre-Code" の時代と呼ばれる。『紅唇罪あり』が撮られたのもこの "Pre-Code" の時代に当たるが、同時に、この時期は、主としてカトリック団体からの「不道徳な」映画に対するネガティヴ・キャンペーンが激しくなっていく、いわば Apres-Code 直前の微妙なころだった。
事実、『紅唇罪あり』のオリジナル版は、1933年の4月に New York State Censorship Board の検閲を受け、十数カ所の削除・撮り直しを経た後、同年の6月にようやく一般公開となる。この検閲版は大ヒットし、以後このヴァージョンのみが上映されていく一方で、オリジナル版の方はいつしか行方不明になってしまう。ところが 2004年、その失われていたプリントが発見され、同年のロンドン映画祭でプレミア上映され、大きな話題を集める。このオリジナル版は、批評家からも高く評価された。たとえば Time.com はこの映画を「過去80年間に撮られた映画ベスト100」の一本に選んでいる。
ありがたいことに、最近発売されたこの映画の DVD には、オリジナル版と劇場公開版の両ヴァージョンが収録されている。このふたつのヴァージョンの相違点の細かい比較は他の人にまかせるが、例えば、バーバラの知人の次のようなセリフなどが削除され、結末もより教訓的なものに変えられた。
Nietzsche says, "All life, no matter how we idealize it, is nothing more nor less than exploitation."
この時期のハリウッドの検閲がどういう場面で介入してくるのかを知るには格好のテキストである。