明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ヴィムズ・ムーヴィー


冒頭のところだけ訳すつもりだったのに、とうとう全部訳してしまった。ダネーの文章はなかなか一筋縄ではいかない。『La rampe』におさめられた難解な文章のなかでは、これなど読みやすいほうではあるが、それでもところどころわかりづらい部分がある。とりわけ、第6章がなかなか難解で、とりあえず訳してはみたが、正直、よくわからなかった。第7章の始めのところも少しわかりづらい。一応訳し終えたが、いろいろ不十分なところもある。追々直していくつもりだ。

「ヴィムズ・ムーヴィー
ヴィム・ヴェンダースニコラス・レイ)」
by セルジュ・ダネー

1.
ニコラス・レイ、通称ニックことレイモンド・ニコラス・キンズルの映画には、忘れがたいセリフがふたつある。1957年、『にがい勝利』のリビアの砂漠で、リチャード・バートンは苦々しく認める。「おれは生者を殺して、死者を救うのだ」。その前年、ジェームス・メイソンは自分の幼い息子を殺そうとしてこう叫ぶ。「神は間違っていた!」(息子を殺そうとするアブラハムの手を神が止めたのは間違いだった)。『ビッガー・ザン・ライフ』という映画の中でのことだ。このふたつのセリフが、すべてを言い表している。レイの映画のメイソンのセリフは、父親の言い分である。狂っていて、脅迫的で、父親の名に値しない、つまりは邪悪な父親の言い分である。バートンのセリフは、息子のおかれた袋小路を示している。抜け出すことができない、少なくとも無傷では抜け出すことができないダブルバインド状態を示している。父親を、殺すことによって救うか、それとも、救うことによって殺すかという袋小路。レイの映画が描いているのは、叛逆というよりも、叛逆の不可能性、ふたりの人間、若者と年配者、養子と養父のあいだの終わりのない闘争なのだ。年配者は父親を「演じ」、銃撃に身をさらし、自分の死を偽装し、「息子」からまさしくかれの叛逆を奪い取ってしまう。ヒステリー状態になった息子は、父親の欲望を支持しなければならない。そしてそのためには、父親に欲望があることを認めなければならないのだ。この点で、『エヴァグレーズを渡る風』は見事な映画である。レイの映画のほぼすべてがこの物語を語っているのだ。どの物語もよい終わり方はしない。いやむしろ、どの物語にも終わりがないか、あるいはとってつけたような偽りのハッピー・エンドで終わるといったほうがいい。この父子の関係(filiation)における強いられた同盟関係(alliance*1)、あるいは、同盟関係として生きられる父子の関係、これがニコラス・レイの映画なのだ。だが、これはまた、80年代の初めに、何らかのかたちで「映画の歴史」を語るやり方でもあったのである。


2.
「ニックス・ムーヴィー」から「水上の稲妻」となり、最終的に「ニックス・ムーヴィー」と呼ばれることになるこのヴィム・ヴェンダースの映画の中で、レイはヴェンダースのために、レイという登場人物を演じる。この映画は名高い作家政策[作家主義]の到達点を示している。この政策は(ここフランスで)発明され、奇妙にもエディプス的な言葉によって表明されていた。ある映画作家の失敗した作品は、作家でない映画監督の成功作よりも興味深いというのだ。言い換えるならば、正しかろうが間違っていようが、作家には理がある、なぜならこれは父親の問題だから、というわけである。今日、この作家政策は、興業において、作家の名前のもたらす効果についての必要不可欠なマーケティングに姿を変え、一方、作家たちは、しばしばうわべだけのかたちで死者として崇拝されるようになった。『ニックス・ムーヴィー』はこうしたことすべてであり、またそれ以上でもあるような作品だ。父子の関係を描いた映画というよりも、この映画そのものが父子の関係を体現しているのだ。レイの欲望にこたえた映画と、コッポラの注文にこたえた映画*2ヴェンダースはこの2作をわけて考えることが出来ないと思っている。一方は、ヨーロッパふうに撮られた作家の映画。開かれた、もっというなら深淵のように口を開けた、貧しくて、実験的な作品。ニューヨークのロフトについてのドキュメンタリー。もう一方は、職人による、プロフェッショナルな、手の込んだ、金のかかった映画。フィルム・ノワールダシール・ハメットの小説に描かれるカリフォルニアを再現した作品。ヴェンダースは、今日の映画作家にとってのふたつの限界状況に同時に身をおくことに「成功」したのだ。つまりは、主題を選ばないことと、主題によって選ばないことに。だが、ふたつの経験は通じあっている。この若きドイツの映画作家は、レイという主題のもとで、コッポラというマシーンと向き合うのに必要なことを学ぶのである。ヴェンダースは、アメリカの一部──その傷ついた瀕死の部分を、アメリカに向けて投げ返すのだ。それに、なにもこれはヴェンダースが初めてやったことではない。すでに『軽蔑』のなかで、ゴダールは、プロコシュという偏執的なプロデューサーのために『オデッセイア』を撮っている映画監督フリッツ・ラングの助監督の役を演じていた。この映画で、ラングは、落ちぶれたかつての巨匠、映画の巨人であり、またハリウッドで辛苦に耐えている人物を演じていた。次いでわれわれは、シャブロル作品のなかでウェルズを、ゴダールヴェンダースの作品のなかでフラーを、サークの映画学校の作品で演じるファスビンダーを眼にしたのだった。

3.
なにもわたしは、古い作家たちの新しい作家たちに対する影響のことをいっているわけでも、シネフィル的な寛大さを話題にしているわけでもない(スコセッシがミネリを援助したり、だれそれがジャック・ターナーに最後の作品を撮らせようとする、といったことがあったりするわけだが)。そうではなく、ヌーヴェル・ヴァーグの映画(まずフランスの、ついでイタリアとドイツの新世代の映画)のなかに、ある種の映画作家たちが生身のまま登場することをいっているのだ。映画作家なら誰でもいいわけではない。1910年頃にアメリカで生まれ、あるときぴたっとキャリアを中断され、妨げられ、打ち砕かれた作家たちのことである。1960年から1965年にかけ、ウェルズ、マンキーウィッツ、カザン、サーク、レイ、フラーといった重要な作家たちが沈黙する、あるいは、観客の人気を失って、撮影所から愛想を尽かされる。かれらはしばしば、ハリウッドにとって特異すぎる、あるいは現代的すぎる存在になってしまっていたのだ。当時、それはアメリカ映画の危機の結果、あるいはメジャーの映画会社の意地の悪さの結果に思えた。しかしこの現象は、象徴的なものでもあったのだ。映画の歴史においてはじめて、(それ以前の、パイオニアの世代と違って)映画のなかで生まれた世代が映画を撮らなくなり、「映画が、自分たちの仕事だ」と言う権利をなくすのである。かれらよりも年長の世代(ドワン、デミル、ウォルシュ、フォード、ホークス、ヒッチコック)の並外れた息の長さにくらべ、この世代の先行きは短く、その全盛期はあっという間に過ぎてしまう。かれらにはまだ言うべきことも撮るべきこともたくさんあるのに、沈黙を強いられてしまうのだ。

4.
こうしたことは、少なくともアメリカでは、それまで見られたことがなかった。それどころか、同じ頃ヨーロッパでは、ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれる最初のシネフィル=映画作家が現れようとしていたのだ。当時はあまりわかっていなかったが、これらの若き作家たちが作家政策を考え出したのは、そこから確実に恩恵を受けるためであり、彼らは映画が自分たちにとって職 métierになるとは確信していなかった。現代映画は、うまく作られているかどうかよりも、それが与える体験に重きをおくものであり、そうした現代映画が要請するものを前にしては、職という概念そのものが、後退的で、古めかしいものに見えたのだ。ところが、その20年後、仲違いして冷戦状態となっていたゴダールトリュフォーになおもひとつ共通点があったのは、ふたりとも、観客がいようがいまいが、観客に気に入られようが嫌われようが、決して映画を撮るのをやめなかったことである。映画は彼らの職なのだ。あるいは、トリュフォーのいうように、「映画を撮っていて幸せなのは、これほど素晴らしい時間の使い方はないということ」である。だが、トリュフォーは、この言葉が真実となるような状況を自分で作り出していたのだ。おそらく、ヴェンダースベルトルッチファスビンダーストローブ=ユイレについても、同じことが言えるだろう。ヨーロッパにおいて、決定的に重要なのは、興行的に成功することではない。一時的に失敗することがあっても、つねに再生産可能な仕組み(machine)を映画作家が作り上げられることが重要なのである。ひとつの美学はこうして生まれるのだ。しかしアメリカではこのようなことは皆無だ(おそらくカサヴェテスは別として)。60年代にキャリアを打ち砕かれた世代はあれ以外にやりようがなかった。ハリウッドかそれとも無か、だったのだ。MGMとの生涯契約をはなれると、ミネリのキャリアは早すぎる終わりを迎え、カザンとフラーは執筆に専念し、サークはヨーロッパに帰ってしまい、ターナーはフランスに死ににやって来、レイは亡命し、ウェルズは自分を見せ物のように曝し、ワイルダー、プレミンジャー、マンキーウィッツでさえ簡単には映画を撮れなくなる。ヨーロッパの若き映画作家たちは、自分たちがいつか映画を撮れなくなるのではないかという不安を、アメリカの年長者たちに一種の映画的余命を与えてやることで悪魔払いしていたのではないかとわたしは思う。そうすることで、真にかれらの後継者となったのである。ひとつの逆説。〈アメリカの友人〉とはいつも、不幸に見舞われたアメリカの父親のことなのだ。

5.
この現象を「シネフィリー」という言葉で説明するのは無理がありすぎるように思える。それにまた、フォルムの抽象的な歴史や、作家の影響の一覧表を作りたいわけでもない(真の影響というのは、斜めに働くものだ)。これらの映画作家たちのステータスそのもの、かれらの歴史、かれらが「そこから生まれた」歴史と、かれらが自ら生み出した歴史、神話となった歴史が問題なのである。そしてまた、映画にできる何か、映画だけが(絵画よりもずっとうまく)できる何かが問題なのである。というのも、映画は形象をあつかう(figuratif)芸術であるからだ。つまり、映画は、形象(figures)を再帰させる可能性、かつて形象が別の唯一の何ものかを表象(représenter)していた過去から、それらの形象を再帰させる可能性の上に立脚しているのである。なかでも俳優は特権的な形象である。俳優は、映画作家映画作家のあいだの対話の要となる部分なのだ。俳優がいるおかげで、映画はたんに次々と生まれるスタイルや流派の連続にすぎないものにならずにすんでいるし、父子の関係は、[俳優という]同じひとつの身体の、ノスタルジックで、老いたイメージを通して現れる。俳優の身体は映画を横断するのであり、映画の真の歴史なのである。この歴史は決して語られることがない。なぜならこの歴史はつねに、親密で、エロティックなものであり、敬愛の情と敵愾心、吸血行為と敬意より成り立っているからだ。だが、映画が老いてゆくにつれて、映画作品が次第にあらわにしていくのはこの歴史なのである。レイとヴェンダースの出会い、そこから生まれた映画は、この歴史の一章なのだ。「カイエ」に発表され、最初は誰もがジョークだと思ったある文章の中で、ジャン=ルイ・コモリは、『北京の55日』でレイが演じる中風のアメリカ大使の役は、自分の手を逃れてゆく作品の〈作者〉であるという状況のメタファーであると指摘していた。映画作家としての公式のキャリアの終わりであると同時に、〈俳優〉としてのキャリアの始まりでもある作品。露出趣味の、そしてそのことを自分で知っていた俳優。他人の映画で、そして時には自分の映画(いみじくも「ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン」と名付けられた作品)で、自分が老いていくのを見ていた俳優。現代的なのは、映画作家が、使い道のない=失業中の身体(corps sans emploi)として、血迷ったゲスト・スターとして、亡霊として、生き残ったということだ。この意味で、誰よりも現代的なのは、オーソン・ウェルズだった。逆に、古典的であるとは、映画作家の身体が消失すること(あるいは、ヒッチコックのように、作家の身体の現前がアイロニーになること)だった。溝口や、フォードや、ホークスが自分の映画に登場することなど想像できるだろうか。ありえない。「リベラシオン」の記事でセルジュ・トゥビアナが、科学のために献体する人のように、レイは自分の身体を[大文字の]映画(Cinéma)に差し出したのだと書いたのは正しい。ただし、[大文字の]映画など存在しない。あるのはいつも一人の映画作家である。そして、この場合、それはヴィム・ヴェンダースだったのだ。

6.
そういうわけで、『ニックス・ムーヴィー』をモラルを理由に批判する態度は、不当であるといわないまでも、不十分であるようにわたしには思える。映画で卑しむべきことは、自分は安全な場所にいる作家が、身をさらしている(滑稽さ、品のなさ、死に、身をさらしている)俳優による見せ物(spectacle)から、形象の剰余価値(le plus-value figuratif)を、「剰余イメージ」(surimage)とでもいうべきものを引き出すことだ。映画における契約は、相互的に行われるのではなく、一方的なものだということを知らずにいることだ。だが、身をさらしている俳優が、かつては自分も映画作家であり、どちらの側にも通じていて、この見せ物を自分でもたらし、おのれで望んだのだとしたら、どうだろう。そして、この見せ物さえをも、望んで差し出したのだとしたら、どうだろう。レイの目の前には、もうひとり、内向的で、居心地の悪い思いをしている俳優がいる。ヴェンダースだ。ふたりの間で、勝負(=演技)jeu は互角である。というのも、ふたりには共通点があって、それは、ふたりともポーズを取る人 poseur だということだ。デビューの頃から、ヴェンダースは誘惑の映画作家だった。これ見よがしに見せびらかすのではなく、慎み深くて、目にとまらないようなポーズによって映画を撮る作家だった。この上なくニュートラルなイメージが、そこで演じる者たち[俳優]と、彼らに演じさせる者[作家]に、自分が見られているという密かな喜び、「ポーズを取っていない」瞬間を不意打ちされたという密かな喜びをあたえる、そんなポーズの映画作家だった。ヴェンダースの初期作品や『アメリカの友人』に見られる「ポーズの二乗」とでも呼ぶべきものにわたしはイライラさせられたのだが、かれが『ニックス・ムーヴィー』で、それに磨きをかけるかわりに、それを映画の主題と題材そのものにしたことを、素晴らしいと思う。というのも、やっとみんな気づきはじめたのだが、レイとヴェンダースの出会いは本物の出会いだったのだ。この出会いは、おそらく父と息子の出会いだったのだろう。確実に言えるのは、同類同士の出会いであったということだ。レイは、ポーズを取る者とポーズを取らせる者とのあいだの、殺す者と死ぬ者とのあいだの、ラ・マン・ショード*3がどういうものかを知っている(またしても『にがい勝利』だ。そしてこれは『アメリカの友人』でも再現される。叫び声を上げるのは致命的な一撃を加える者のほうであり、彼は相手の代わりに叫ぶのだ)。『ニックス・ムーヴィー』のラストを、そのときレイの顔にあらわれる衰弱を見さえすればいい。この場面で、レイにはもうなにも言うことがない。

レイ「カット!」。
ヴェンダース(画面の外から)「カットするな!」
レイ「カットするな」

だれひとり勝つ者のいない勝負(=演技)であるが、これでこの映画は死の匂いのするシネフィリー(nécro-cinéphilie)から救われるのだ。ここでは誰もがキャメラを意識していて、極端な場合、キャメラの存在だけが映画を動かす原動力となり、観客を周辺へと押しやって、映画から「死の断面」*4を奪い取るのだ。

7.
というのも、キャメラはポーズを崩させるとか、仮面をはぎ取るというふうに、安易に考えられすぎているからだ。ひとはあまりにも性急に、キャメラによる暴力がどうのこうのと騒ぎ立てる。しかしキャメラが捉えるのは、仮面と反射的動作にすぎない。《役》の手前側か、向こう側か、そのどちらかにすぎない。「ダイレクト」とは、イメージと音を記録するひとつのテクニックに与えられたただの名称である。ダイレクト「それ自体」など存在しないのだ。「ダイレクト撮影」において、人が立ち会うのはかすかな身体 corps subtil*5──キャメラにさらされた身体がおのれについて抱く観念をしめす物質的な指標(indice)よりなる、かすかな身体──が形づくられる瞬間なのである。かすかな身体、仮面の意思、混乱と変化、判読不能な文字(hiéroglyphe)。そこには単純なものなどなにひとつない。[ダイレクト撮影には]俳優のノウハウ以上のものがある(あるいは、だれもが俳優である)。というのも、このかすかな身体、この保護する身体、この余分な肌は、薄い皮膜を隔ててもう一つの身体と同じひとつのものなのだ(しかし、その皮膜は固いものである)。だから、ヴェンダースが『ニックス・ムーヴィー』を再編集したのは正しかったのだ。カンヌで上映されたロング・ヴァージョンは、人を居心地悪くさせる、混乱した作品で、そこに捉えられているのは撮影の現実であると見たものには思えた。だがその撮影とは、だれも望まなかった映画、孤児のような映画、だれも引き受ける者のいない映画の撮影だったのだ。その後、完成版からカットされてしまった部分のなかに、編集者が映画に脈略をつけようとしているシーンがあった。この映画はレイのものではないし(かれは撮影が終わる前に亡くなる)、ヴェンダースのものでもなく(同じくカットされたシーンで、撮影スタッフは、ヴェンダースがこの映画を見捨てて、カリフォルニアに『ハメット』を撮りに行ったことを非難する)、編集者のペーテル・プルツィゴッダのものであり、映画はかれの困難と苦悩を示しているという印象を受けた。プルツィゴッダは、死にかけのレイの姿、危なっかしい撮影の足踏み状態、なんとかしたいという思いと無力さの板挟みになって身動きをとれずにいる撮影スタッフの不幸を、映画の中心においていた。映画を編集し直したことで、ヴェンダースが何かを裏切ったことはたしかである。かれはプルツィゴッダの映画を、生のままの生硬なドキュメントを、裏切ったのだ。むろん、そのことを嘆くことはできる。だが、そうやって再編集することで、ヴェンダースは作品の真のテーマを発見したのだ。そのテーマとは、レイの死でも、危機にある撮影でもなく、彼とニコラス・レイとの関係の真実である。『さすらい』で、父親に会いに帰ってきたものの、うまく話ができないハンス・ツィシュラーが、印刷工である父親が眠っているあいだに、かれのやりかけていた新聞の一面を仕上げる見事な場面を思い出さねばならない。話し言葉が失敗するとき、書き言葉が勝利する。「父親が眠っているあいだに」。ニック・レイが死にかけているあいだに、その断続を利用して。『ニックス・ムーヴィー』の完成版では、レイの存在はそのように、断続的で、謎めいている。ときには、かれはもうとっくに死んでしまっているようにも思える。だからわたしは、ヴェンダースが、苦しんでいるレイのベッドに寝転ぶ夢を見、レイによって起こされるシーンが好きなのだ。ゾンビのようなレイ、注意深くて、少しばかり滑稽で、黒澤の映画から出てきた幽霊のようなレイ。(このシーンはあまりにもわかりやすすぎると思う人もいるだろうが、わたしがヴェンダースで好きなのはまさにそういうところ、この説明の鈍重さなのだ)。

8.
ヴェンダースは、『ニックス・ムーヴィー』を、結局のところ、フィクションの映画にしたかったと語っている。だからかれは、友人であるプルツィゴッダの編集をやり直したのだ。これはスタイルの違いや、商業的配慮などではなく、内容の問題なのである。映画というものにはおそらく、大きなテーマといえるものはたった二つしかない。父子関係と同盟関係である。このふたつの関係を、まぜこぜにし、混同し、あべこべにしようとする点で、ヴェンダースとレイは共通している。わたしはこの文章のはじめに、同盟関係として生きられる父子関係、あるいは父子関係として強いられる同盟関係と書いた。ヴェンダースはレイの友人なのか、それともレイの後継者なのか。ドキュメンタリーで敬愛の念を示すのをやめて、フィクションを選んだということは、ヴェンダースが父子の関係を選択したこと、なんとしてでもこの父子の関係を引き受けたいと思っていることを物語っている。それが、完成版の編集に、かれの妙な癖や安易な手法も含めて(とりわけ、クラッチでギアを変えるように音楽を変えるやり方)、ヴェンダーススタイルが戻ってきたことの意味である。あたかも、あるときかれはこう思ったかのようだ。この映画を、情報誌に次のように要約されるような映画にしよう、と。「老人と青年が、奇妙な友情で結ばれて、一緒に映画を撮ろうとするが、老人が撮影終了前に死んでしまい……」。この映画をふたたび匿名のものにする必要があった、死体を、すべすべで、防腐処置の施されたものにする必要があったのである。レイがくだす倒錯した命令(わたしを裏切ることをお前に命ずる、などという)に応える方法は、ひとつしかないのだ。よき息子でいること、よきシネフィル=映画の息子(ciné-fils*6)でいることである。


*1:血縁関係をしめす filiation と違い、alliance は、国と国の同盟関係や、夫と妻の婚姻関係、友人同士の盟友関係など、しばしば契約に基づく、ふたつのものの結合をしめす。

*2:むろん、『ニックス・ムーヴィー』と『ハメット』のこと。

*3:手を重ねて行き上の手を叩く遊び。

*4:日常生活をリアルに再現した自然主義的作品などが、「人生の断面」tranche de vie を切り取っているなどという場合がある。ここはそれをもじった言い回し。

*5:この表現は、東洋の神秘的身体論において、生命エネルギーをあらわす言葉として使われるようだが、それと関係があるのだろうか。

*6:"fils" (フィスと読む)は「息子」を意味するフランス語。したがって、ciné-fils は、文字通りには、「映画の息子」を意味するが、最後の "s" を複数の "s" と考えると、"ciné-fil" という単語の複数形と考えることも出来る。"ciné-fil" というフランス語は存在しないが、この単語の発音は、「シネフィル」を意味する単語 "cinéphile" と同じである。ちなみに、ダネーは自分の父親を知ることがなかった。ユダヤ人であった彼の父は、大戦中にフランス政府に逮捕され、収容所送りにされたという。母親によると、ダネーの父は、世界中を旅し、何カ国語をも話し、映画の仕事もしていたらしい。かれは「端役として、声優として、死体として」映画に属していたのだと、ダネーは父親のことを語っている。ダネーが、「映画は父の場所である」と語り、自分を ciné-fils と呼ぶ背景には、彼と彼の父親との関係が深く関わっていることは間違いない。