明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『Too Late for Tears』『The Burglar』

以前、「フィルム・ノワール ベスト50」というリストを作った。フィルム・ノワールと呼ばれるジャンル(と呼んでいいのかは、微妙な問題だが)の代表的作品、これだけは見逃せないという作品を50本選んだものだ。それなりに自信を持って作ったつもりである。しかし、これを作ったのはずいぶん昔のことだ。この当時は見ていなかった、見られなかった作品が、いまでは DVD などのかたちでずいぶん見られるようになった。フィルム・ノワールにはまだまだ隠れた佳作・傑作がたくさんあることが、だんだんわかってきた。この「ベスト50」もそろそろ更新しなければならないと思っている。その準備として、このリストではふれられていないが、見逃すことのできないフィルム・ノワール作品を、定期的に紹介していこうと思う。

バイロン・ハスキン『Too Late for Tears』(49, 未)


夜ドライブしていた夫婦の車に、対向車線を走ってきた車がすれ違いざま、大金の入ったカバンを投げ込むところから映画は始まる。夫(アーサー・ケネディ)は警察に届けようと言うが、妻(リザベス・スコット)は、このまま猫ばばしようとそそのかす。なら一週間だけ駅の荷物預かり所にあずけて様子を見ようと夫は言う。ただし、金には絶対に手をつけるなと、夫は妻に約束させる。しかし、妻は、三日と立たないうちに、高価なコートを買って、夫に見つからないように流しの下に隠す。そこに金の持ち主(と言い張る男 ダン・デュリエ)が現れ、女に金を返せとせまる。しかし、女は男をたらしこんで、邪魔になってきた夫を殺すのを手伝わせさえする……。

あの忘れがたい『宇宙戦争』や、トリュフォーも好きだったという『黒い絨毯』などで知られるバイロン・ハスキン監督によるフィルム・ノワール。テレビ映画のように平板な画面にはさして見るべきところはない(これは、わたしが見たDVD のせいだけではないだろう)。この映画の魅力はなんといっても、金に取り付かれてどんどんエスカレートしていく妻役のリザベス・スコットの悪女ぶりにある。女を利用していたつもりが、逆に利用され、やがて彼女の暴走ぶりについて行けなくなって酒に溺れるようになるダン・デュリエの、情けないチンピラ役も悪くない。

悪女が最後に死ぬところを見届けたいというのが、フィルム・ノワールを見る醍醐味の一つだと思ってるのだが、その点、この映画のリザベス・スコットは、最後の最後まで悪あがきして、なかなか見事に、あっけなく死んでくれる。悪女はこうでなくっちゃいけない。

バイロン・ハスキンは、50年代になって映画を撮りはじめた人だと思ってたが、実は、サイレント時代に4本ほど映画を撮っていた。

下写真の DVD はわたしが見たものではないが、コメントを読むと、これが一番が質がいいようだ。『Killer Bait』というのが『Too Late for Tears』のことらしい。


ポール・ウェンドコス『The Burglar』(57,未)。


映画は、いきなり国際ニュースの映像ではじまる。特に意味がなさそうなニュースがつづいたあと、ひとりの裕福な慈善家の女性が画面に映し出され、彼女の胸元に光る高価なネックレスをカメラがアップで捉える。この瞬間、これが映画館で流れるニュース・フィルムだったことがわかり、それを客席で見ていた一人の男(またしても、ダン・デュリエ)がおもむろに立ち上がって、映画館をあとにする。

男は強盗団のリーダーである。ここから彼が強盗をおこなうシーンまでの編集は、いかにも無駄がない。その一方で、強盗が一応成功したあとの、妙に間延びした時間が奇妙な印象を与える。ダン・デュリエと、彼が妹のように面倒を見ている女との疑似近親相姦的な関係も興味深い(これはデイヴィッド・グーディスの原作にも描かれていることらしい)。この映画はまた、〈悪徳警官もの〉の走りの一つでもある。

『The Burglar』は、いかにも50年代末に撮られたフィルム・ノワールらしく、バロックな要素が多々ある作品で、『上海から来た女』とよく比較されたりもする。ウェンドコスは〈ウェルズの弟子〉といわれることが多いのだが、実際に師弟関係があったのか。それともたんに影響を受けただけなのか。

この処女作を見ればウェンドコスの将来は約束されていたようにも思える。しかし、そうはならなかった。あっという間にテレビのほうに絡め取られていった感じである。この時代にデビューした監督の弱さ、というふうに一般化していいのか分からないが、映画監督としては中途半端なキャリアに終わってしまったように見える。残念だ。