明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

DotDash メールマガジン第1号〜マリオ・ペイショト『限界』


以前いっていた DotDash のメールマガジン第1号(http://dotdashfilm.com/?page_id=361)に、ブラジルの伝説的映画、マリオ・ペイショトの『限界』について書きました。

最後の部分を引用しておきます。

「映画の限界をめざして、すべてを映像のみで表現するというこの実験的な試みの成功には、ブラジルのカール・フロイントとでも呼ぶべきキャメラマンエドガー・ブラジルの存在がなくてはならなかった。かれの撮影は、ときに奇抜、ときにアクロバティックで、丘の上から海を物憂げに見下ろす女をとらえていたキャメラは、突如頭上でぐらぐらと旋回しはじめ、通りを歩く人物の足下を背後から前進移動で追っていたキャメラは、ふいに右にパンして、路傍の一輪の花をとらえる。その花の傾きぐあいにもペイショトはこだわったという。

キャメラは、ときに人物を置き去りにしたまま、風に揺れる草や、浜辺に打ち寄せる波、電信柱、墓地の十字架といった風景を延々と映し出す。ドキュメンタリー的感性によってとらえられた無関心な自然が人間に限界を突きつける。

緩やかに連鎖し、あるいは孤立したまま消えてゆくイメージの連なりとそのリズムをとおして、観客は、理解するのではなく、なにかを感じ取るしかない。冒頭の手錠のイメージや、行き止まりのような海で漂いつづけるボート、あるいは映画内映画として上映される『チャップリンの冒険』の、脱走囚チャップリンが隠れていた砂の中から頭を出すとそこは警官の足下だったという一場面。映画のテーマはこれらのイメージから明らかだろう。しかし、『限界』のイメージの一つひとつは、いつまでたってもゆらゆらと曖昧に漂いつづけ、決してどこにもたどり着くことがないようにさえ思える。だから、この映画は何度見ても新鮮な驚きに満ちているのだ。」

このメルマガでは、ここの「シネマ・マイノリティー・レポート」や「余白の映画史」のコーナーなどで取り上げているような未知の作家や忘れられた傑作を、連載のかたちで順次紹介してゆく予定です。転載できないのが残念ですが、なにについて書いたのだけは毎回お知らせします。