明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

リカルド・フレーダとイタリア・モダン・ホラー映画の誕生

リカルド・フレーダ(または、リッカルド・フレーダ)は、一言でいうなら、イタリア大衆映画の巨匠ということができるだろう。

42年に映画監督としてデビューしたかれは、ネオ・リアリズムが脚光を浴びる当時のイタリア映画の潮流に逆らうようにして、ソード&サンダルと呼ばれる、聖書や神話を題材にした剣戟映画を撮りつづけた。

1956年、フレーダは『吸血鬼』(I vampiri)なる作品を発表する。映画の舞台となるのはパリ(もっとも、低予算で撮られたこの映画にパリでロケする金などあろうはずもなく、一目でそれとわかるノートルダム寺院の書き割りを背景に、映画は全編イタリアで撮られた)。若い娘が襲われて、全身から血を抜き取られるという謎の連続殺人事件が街を騒がせている。捜査が進むうちに、不気味な館に住む美貌の公爵夫人が容疑者として浮かび上がってくる。見た目は若く美しかったが、実は、彼女はもう何十年もこの世を生きてきた老婆で、殺した若い娘たちの生き血を使ってその美貌を保っていたのだった……。

ドラキュラというより、「血の伯爵夫人」とよばれたバートリ・エルジェーベトをモデルにしたような物語は、むしろ、この数年後に撮られるジョルジュ・フランジュの『顔のない眼』にずっと類似しているように思える。低予算で撮られたとは思えない変身シーンの見事さは今でも目を見張る出来だ(すでに、同じことをルーベン・マムーリアンが『ジキル博士とハイド氏』でやっているとはいえ)。

当時のイタリアでは、この種のホラー映画はまったく撮られていなかった。ここからイタリアン・モダンホラーは始まったと、今では考えられている重要な作品であるが、公開当時、この映画は興行的に惨敗に終わったのだった。このように不吉で、陰鬱なホラー映画は、観客たちにとってまったく未知のジャンルで、受け入れがたいものだったというのが理由だろうか。

テレンス・フィッシャーによる『フランケンシュタインの逆襲』が公開されて、イギリスのハマープロ製作のホラー映画が、30年代のユニヴァーサル・ホラー以来のホラー映画ブームを引き起こすのが、この一年後の1957年。ロジャー・コーマンによるエドガー・アラン・ポーものの第一作『アッシャー家の惨劇』が撮られ、一世を風靡していくのが1960年。フレーダの『吸血鬼』は、ほんの少しだけ時代を早まって登場してしまったのだった。『吸血鬼』の撮影をつとめ、途中で現場を投げ出したフレーダに代わって映画を最終的に完成させた撮影監督マリオ・バーヴァが、『血ぬられた墓標』によって、イタリアン・モダンホラーの押しも押されぬ旗手となっていくというのも皮肉な話だ。



フレーダはこの後も、ソード&サンダル映画を撮りつづける一方で、斬新なホラー映画を発表してゆく。代表作を2本だけ紹介しておこう。62年に撮られた『ヒチコック博士の恐怖の秘密』( L'orribile segreto del Dr. Hichcock)と、その続編(実は直接つながりはない)『死霊』(Lo spettro, 63)である。


『ヒチコック博士の恐怖の秘密』は、『吸血鬼』以上にテーマ的に斬新で、踏み込んだ映画だったといっていいかもしれない。何しろここに描かれるのは、ずばり死体愛好なのだから。舞台は19世紀末ロンドン(といっても、これもまたイタリアで撮影されているのだが)。再婚した妻の血を使って、自宅の一室に人知れず隠してある亡き妻の遺体を、まるで生きているかのような状態で保存して(それとも本当に生きているのか?)、己の死体愛好的欲望を満たしている麻酔専門医を描いた、なんとも倒錯的作品である。かなり曖昧に描かれているとはいえ、こういうおぞましいテーマの作品が当時の検閲を通ったというのが実に不思議だ。2番目の妻を演じているのは、イタリアン・モダンホラーの女王バーバラ・スティール。



『死霊』は、ときに『ヒチコック博士の恐怖の秘密』の続編として紹介されることもあるが、実際は、ヒチコック博士という同じ名前の人物が登場することと、ここでもヒロインを演じているのがバーバラ・スティールであることをのぞくと、共通点は特にない。

博士の妻が、愛人と共謀して博士を殺すが、その前に博士の亡霊が現れるという、ホラーというよりは陰謀劇めいたミステリーで、勘のいいものなら、結末も何となく想像がつくだろう。正直、目新しいところは何もない。3本のなかでは、インパクトに一番かける作品ではあるが、フレーダの恐怖映画の造形とテクニックは、ある意味、この作品で頂点に達するといえる。


ちなみに、フレーダは、『吸血鬼』以後、ホラー映画を撮るときは、ロバート・ハンプトンという偽名を使うようになった。『吸血鬼』が当たらなかったので、ハマー・プロのヒットにあやかってイギリス風の名前を使うようになったということらしい。



リカルド・フレーダのフィルモグラフィーにおいて、ホラーが占める割合はそれほど多くはない。しかし、未見だが、『ベアトリーチェ・チェンチ』のような作品にもかれのホラーセンスは垣間見えるという。ダリオ・アルジェントは、自分が影響を受けたのは、マリオ・バーヴァ以上に、リカルド・フレーダだったと語っている。それほどイタリアのモダン・ホラーに影響を与えた映画作家でありながら、バーヴァやアルジェントとくらべると、リカルド・フレーダの日本での知名度はあまりにも低い。たしかに、フレーダの作家としての評価にはいまだに微妙なところもあるのだが、日本では、彼の業績に見合っただけの地位が与えられていないことはたしかだ。せめて、DVD で作品が見られるようになることを期待したい。