DotDash メルマガ第6号では、現在アルゼンチンを代表する女性監督ルクレシア・マルテルの『頭のない女』という映画について書いた。ルクレシア・マルテルについては以前にも軽く紹介したことがあるが、本格的に論じたのは今回が初めてだ。
ある交通事故をきっかけにひとりのブルジョア女性がしだいに心神を喪失していく姿を、パトリシア・ハイスミスの『変身の恐怖』を思い出させるようなミステリアスなタッチで描いた映画だが、その一方で、マルテルは、巧みなフレーミングやフォーカスの使用を通じて、階級の問題や軍事政権時代の闇をシンボリックに浮かび上がらせてゆく。なかなか一筋縄ではいかない映画である。
最後の部分だけ引用しておく。
「この映画はタイトルが予想させるようなホラー映画ではないといった。たしかに、ジャンルとしてはホラーとはほど遠い。しかし、この作品は、見ようによってはある種のホラー映画であるということもできる。実際、ここには亡霊じみた存在がうようよしているのだ。一つだけ挙げよう。冒頭の事故の場面で、車がなにかにぶつかった直後に、ベロニカのいる運転席側の窓ガラスにそれまで気づかなかった手のひらの跡が浮かび上がるのだ。直前の場面で、彼女の親族の子供たちがふざけて車の窓ガラスをたたくところがあるので、その手のひらの跡が残ったのだと合理的には説明がつく。しかし、映画を見ている観客が、この手のひらの跡に、「あったかもしれない事故」の犠牲者である少年の手のひらを重ねて見ないでいることは不可能だろう。
気をつけて見ていれば、この映画にはそんな亡霊めいた存在があちこちに映りこんでいることがわかる。そして、それらの亡霊たちとは、あったかもしれない事故の犠牲者であり、歴史の闇に消え去った「行方不明者」たちであり、そして今も「見えない」存在である貧困層の者たちであり……、つまりは、われわれが責任を放棄して、見ることを自ら拒んでいるすべての者たちなのだ。」