明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ウスマン・センベーヌ『Xala』

ウスマン・センベーヌ(センベーヌ・ウスマンともいう)は、セネガルの映画監督で、しばしば「アフリカ映画の父」などとも呼ばれる。『Xala』(「ハラ」)は、センベーヌの撮った4作目の長編である。

フランスからの独立直後のセネガル。独立したといっても、実際は、白人たちに黒人のブルジョアたちが取って代わっただけに過ぎない。この映画の主人公、セネガル人の中年ビジネスマン、エル・ハジは、そんなふうに新たに台頭したブルジョアのひとりだ。彼はメルセデス車を乗り回し、二人も妻を持っている。しかしそれでは飽きたらず、一夫多妻制に反対する娘の反対を押し切って、ただ力を誇示するために、今まさに3人目の妻を娶ろうとしているところだ。しかも、そのために彼は会社の金を流用しさえしている。

しかし、ここからすべてのたがが狂いはじめる。3人目の妻を娶ったものの、ハジは初夜のベッドで突然インポテンツになってしまう。不能になったのは、だれかが彼を不能にする魔術「ハラ」をかけたからである。そう考えたハジは魔術師に会いに行き、ハラを祓ってもらう。しかし、こんなことになっても、彼の傲慢さは以前のままである。結局、ハジはまた不能となり(「ハラを祓うことのできる手は、ハラを返すこともできる」)、職も失ってしまう。

ふたりの妻も去ってゆく。残ったのは最初の妻だけだ。最後、自分が軽蔑しきっていた貧者や身体障害者たちがハジの自宅に押し寄せてきて、彼に裸になれと迫る(「お前は全てを失ったのだから、せめて男らしさぐらい見せてみろ」)。そして全裸になったハジの真っ黒な肌に、まわりを取り囲んだ貧者や障害者たちが白い唾を吐きかけるところで映画は唐突に終わる。

ハジの会社の同僚たちは、みなハジと同じ型の大金の詰まったトランクを持ち歩いている。その金はおそらく白人たちの金なのだろう。支配者が代わっても、結局は、なにも変わっていないのだ。この映画は、そんな独立後のセネガルの現実を強烈にカリカチュアライズしてみせる。面白いのは、それと同時に、この映画が一種のセックス・コメディとして撮られていることだ。「ハラ」(不能)とは、端的には性的不能をさしているが、言うまでもなく、それは同時に、独立後のセネガルの機能不全ぶりをも意味している。

この作品はまた、しばしばブニュエルの作品と比較される。たしかに、身体障害者の描き方など、ブニュエルを彷彿とさせる部分も少なくない。センベーヌ流『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』とでもいうべき映画。