明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。































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神戸映画資料館でわたしが行っている「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見」の詳細が決まりました。

「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見
第8回 パプストとブルックス──『パンドラの箱』を読み解く」
2019年12月22日(日)
詳細はここで。
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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ヒューゴー・フレゴネーズ『Apache Drums』〜ヴァル・リュートン最後の映画〜


まだこんな西部劇の傑作が残ってたとは、アメリカ映画の奥の深さにあらためて驚かされる。この映画は日本では未公開であり、本国アメリカでもほとんど忘れ去られていたといっていい。一度見たらとうてい忘れることのできないこのような作品でさえ、嘘のように視界から消え去ってしまうのだ。


『Apache Drums』は、アルゼンチン生まれの映画監督ヒューゴー・フレゴネーズが、ハリウッドに渡って撮った三本目の映画だ。フレゴネーズは西部劇を数多く撮っているが、この作品をかれの西部劇の最高傑作と見なす人も少なくない。

なによりも注目すべきなのは、これがあのヴァル・リュートンの最後のプロデュース作品であり、しかもかれが製作した唯一のカラー映画であるということだ。フレゴネーズとリュートンのタッグは見事に成功したといっていい。リュートンはフレゴネーズの仕事に非常に満足していたと伝え聞く。

リュートンがRKOでプロデュースした『キャット・ピープル』や『私はゾンビと歩いた』といった恐怖映画は、すべてを見せないで暗示するにとどめる演出手法によって知られる。この『Apache Drums』は、リュートンを有名にしたその手法が、広い空間とアクションを得意とする西部劇というジャンルと結びつくことで生まれた非常にユニークな作品なのである。

主演は、いかにも悪人面をしたスティーヴン・マクナリー。実際、リチャード・フライシャー『恐怖の土曜日』の銀行強盗役など、悪人役がとても似合う俳優だ。映画は、町のはみ出しものだったマクナリー演じる主人公が殺人事件を起こし、正当防衛が認められずに、町長から町を追い出されるところから始まる。根は悪い人間ではないのだが、仕事にも就かずならず者のような生活をしているかれに恋人でさえ愛想を尽かす。町から追い出そうとする町長が、マクナリーの恋人に思いを寄せていることが事態を複雑にする。

町長は正義のためにマクナリーを追い出そうとしているのか、それともたんに邪魔者を追い払いたいだけなのか。この映画では、アンソニー・マンの西部劇にも似て、人物のキャラクターは善人・悪人にかんたんに割り切れず、その行動の動機も曖昧に描かれるだけだ。マクナリーの行動は自己中心的な動機によるものなのか。それとも、町をインディアンから守りたいという純粋な気持ちからなのか。本人さえそれがよく分からないまま行動するあいだに、かれはまぎれもないヒーローになってゆく。


視覚的にもっとも驚くべきは、教会の閉鎖的な空間のなかで数十分にわたり続くインディアンとの攻防を描いたクライマックス・シーンだ。インディアンに町を攻め込まれた人々は教会の中に立てこもって一夜を過ごすことになる。遠くからインディアンがたたく太鼓の音が聞こえてくる。そのリズムが変わったときこそ、彼らが攻め込んでくる合図だ。そのとき、教会の高い窓(といっても、壁に四角い穴が開いてるだけなのだが)から、まるでゾンビのようにインディアンがひとり、またひとりと教会の中に飛び込んでくる。その度に、教会の中が真っ暗になり、スクリーン全体が闇に沈む。やがてインディアンが町に火を放つと、真っ暗な教会のなかで、今度は窓だけが真っ赤に染まる。ヴァル・リュートンの映画美学が西部劇と結びついた見事なシーンだ。

インディアンたちはついには教会の扉に火を放つ。マクナリーたちは教会の椅子を燃やして正面扉に立てかけて火の扉を作り、インディアンたちの正面突破を阻む。しかしそれも長くは続かない。もはや絶体絶命と思われたときに、町に援軍が到着するのだが、そのラスト・ミニュト・レスキューの場面でさえ、リュートン=フレゴネーズは、燃えつきた教会の扉の枠越しに、援軍の兵士たちがインディアンを追いかけていく姿をちらりと見せるだけである。

リュートンはこの作品に満足し、フレゴネーズと次の作品を撮ることさえすでに考えていたというが、結局、公開を待たずして亡くなってしまった。この作品の完成度を思うと、それは残念でならない。