明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

カレン・シャフナザーロフ『ゼロシティ』『夢』

カレン・シャフナザーロフは、『ジャズメン』など数本がすでに公開されてはいるものの、あまり認知されているとは言えない。なかなかユニークな監督なので、『ゼロシティ』が日本で DVD 化されたこの機会に、軽く紹介しておこう。

シャフナザーロフは 1952年生まれなので、ソクーロフなどとほぼ同じ世代になるだろうか。フィルモグラフィーを見ると、映画監督としてのデビューは1970年代の半ばになっているのだが、この時期に撮っていた作品は見ていないし、なぜか情報も少ない。彼の名が知られるようになるのは、1984年の『ジャズメン』からと言っていいだろう(この映画、わたしは未見)。つづく87年の『メッセンジャー・ボーイ』は、軽佻浮薄なソ連の新人類の青春を描きながら、ゴルバチョフ時代のソ連の風俗(公園でブレイクダンスを踊る若者たちなど)を映し出した作品で、なんとも言えない味わいを残す。これも悪くないのだが、やはりこの監督の魅力は、奇想天外な物語の中に、ソ連崩壊前後のロシアを痛烈に皮肉った作品にあるのではないだろうか。『ゼロシティ』や『夢』といった映画がそれである。以下に簡単に紹介していく。


カレン・シャフナザーロフ『ゼロシティ』(90)

ビジネスの問題を解決するためにエンジニアの男がとある町にやってくるのだが、その町は最初からどこか変だった。事務所に行くと、受付の女は何故か全裸でタイプライターを打っているし、レストランで食事をしていると、ウェイターが頼んでもいないケーキを持ってくる。そのケーキは主人公の頭部をそっくりそのままかたどって作られていて、気味が悪いので食べるのを拒否すると、ウェイターは、食べて頂かないと、ケーキを作ったパティシエが自殺してしまいますと警告する。主人公はそんなばかなと言うが、ケーキを作った男は本当にピストル自殺してしまう。いや、最初はそう見えたのだが、それは自殺ではなく、殺人だった可能性が浮上し、エンジニアの男は否応なしに事件に巻き込まれてゆく。しかも、死んだパティシエは、彼が会ったこともない実の父親だという……。

主人公はこの町から出ようとするのだが、列車のチケットはすべて売り切れている。タクシーで隣の駅まで行こうとするが、それもうまく行かず、地下にある怪しげな博物館に何故かたどり着く。その博物館では、本気なのか冗談なのか、ソ連の歴史が、キッチュに、グロテスクに見せ物化されている。地元で掘り起こされたというミイラ、初めて外国人と姦通し、その現場を押さえられて罰せられたロシア女性、そして、57年に(これはいわゆる「雪解け」の時代にあたる)町で初めてロックンロールを踊ったために組織を追われた男などなど……。それらが蝋人形のかたちで展示されているのである。しかも、その初めてロックンロール(チャック・ベイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」だ)を踊った男こそは、自分の父親(つまり自殺したパティシエ)だったと、主人公はあとになって聞かされるのだが、それは本当なのか……。カフカ的というよりは、テリー・ギリアム的なブラック・ユーモア

主人公のエンジニアは、スターリン時代の過去に囚われたままの人たちと、現代の風潮に追いつこうとする人たちとのあいだの対立に知らず知らずのうちに巻き込まれてゆくのだが、その2つの陣営を分ける象徴がロックンロールだというのがわかりやすい。

なんとか町を抜け出して森を歩き、夜霧につつまれた川を小舟でこぎ出してはみたものの、どこに向かって進んでいいかわからず、川のまんなかで主人公が途方に暮れているところで映画は終わる。ソ連崩壊前夜の時代の空気を、あざといぐらいに見事に感じさせるラストである。

町から出られなくなるというシチュエーション自体はさして珍しいものでもないかもしれないが、それがソ連の歴史と結びつけてアイロニカルに語られていくところが実にユニークだ。

日本版 DVD のブックレット(下写真)には、高橋洋の解説が載っている。


カレン・シャフナザーロフ『夢』Sny (93)

1893年のロシア、サンクト・ペテルブルグに住む若き伯爵夫人が夜ごと悪夢に悩まされている。その悪夢に出てくる世界は、不思議なことに、ソ連崩壊後の1993年のロシアの姿にそっくりである。夢の中で伯爵夫人は、現代女性の身なりをして、モスクワのレストランで皿洗いをしているのだが、やがて怪しげな男(伯爵夫人の夫と同じ俳優が演じている)にスカウトされて、ポルノのモデルのようなことをするまでになる。伯爵夫人の主治医も、フランスから来た高名な医者も、彼女の悪夢をどうすることもできない……。

映画は、19世紀末と20世紀末のロシアという、正確に100年を隔てた二つのロシアを、いわばパラレルワールドとして描いてゆく。ソヴィエト時代をすっ飛ばして、まるで革命などなかったかのように唐突に現れる20世紀末ロシアの姿は、19世紀の人々にとってはいうまでもなく、われわれ観客の目にも、ひたすら荒唐無稽なものに思えてくる。

伯爵夫人の悪夢は未来を見せる予知夢だと考えた伯爵は、祖国が彼女の見る夢に現れるようなグロテスクなものになってしまわないためには、今の社会を変革しなければならない。でなければ革命が起きて、悪夢が現実になってしまうと議会で主張するのだが、一笑に付される。これがスキャンダルとなり、彼は政界から追われるようにして、夫人とともに田舎の森に囲まれた別荘に移り住む。

映画は、モスクワで皿洗いをしていた女性にそっくりの(ということは、伯爵夫人とも瓜二つな)女性が、伯爵夫妻が訪れた別荘(今ではもうだれも住んでいない廃墟になっている)にやってきて、そこで自分そっくりの貴婦人が描かれた絵を見つけるところで終わる。しかし、それはもはや伯爵夫人の見る夢の中ではなく、20世紀末の現実のロシアであるようだ。19世紀末のサンクト・ペテルブルグが現実で、20世紀末のモスクワが夢なのだと思ってきた観客は、ここにきて突如自信がなくなる。本当にそうだったのか……。

20世紀の女が生まれ変わる以前の遠い過去の自分を夢に見る『晴れた日に永遠が見える』(ヴィンセント・ミネリ)という映画があるが、これはその時間方向を逆にしたような映画といっていいだろう。こういうふうに遠く隔たった二つの時代がつながってしまうという構成自体はそんなに珍しくないのかもしれないが、この映画ではそれが、この100年で激変するソ連の歴史と重ね合わされているところが絶妙だ。

(下の DVD にはたぶん字幕は入っていない。念のため)