今年からはブログをもっとちゃんと更新しようと思っていたのだが、1月もすでに3分の2が過ぎてしまった。小ネタでいいから、今月の残り、毎日更新するつもりでやっていこう。
辻原登『寂しい丘で狩りをする』
一昨年ぐらいに、映画ファンのあいだで話題になったサスペンス小説。
ちょうどテレビで、古書店を舞台にした剛力彩芽主演のミステリー・ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」が放映されていた頃、「フィルムセンターを舞台にしたこういうドラマが撮られるべきだな」と半ば冗談のようにツイッターでつぶやいたところ、それなら今こういう小説が連載されてますよと教えてもらって、この小説の存在を知ったのだった。
被害者がフィルムセンターに勤務し、加害者が元映写技師という設定は、なかなかに興味深いが、正直、ちょっと期待はずれだったかな。犯人の顔が山中貞雄のデスマスクと重なるとか(この小説の中では、失われたはずの山中のフィルム『磯の源太 抱寝の長脇差 』が偶然発見され、修復されて上映されることになるというエピソードが、プロットの重要な一部を占めている)、作中に出てくる様々な映画ネタも、まずそれ自体がピンとこないし、たとえば『フリッカー、あるいは映画の魔』のように、映画という存在に独自の光を与えてくれることもない。映画ファンを唸らせる卓抜な指摘や、思いもかけない固有名詞が登場することもない。コアな映画ファンが、そういう興味でこの小説を読んだら、少しがっかりするのではないだろうか。
この小説の中では、映画はたまたま登場人物の身近な存在だったというぐらいの描き方しかされていない。その割には、本筋とは関係のないディテールに脱線する部分が多いので、映画にさほど興味がない人には、そういう部分はただ無駄な饒舌にしか思えないだろう。一方で、それらのディテールは映画ファンを心から納得させるだけの強度も持ってはいない。要するに、ちょっと中途半端な印象を与える。
しかし、ミステリーとしては決して面白くないわけではない。ネタバレになるのであまりストーリーには詳しく触れないが、尾行するもののあとを、別の人物が尾行し、その人物も自分がつけられているとは気づかないという、関係が複雑化していくクライマックスのサスペンスの盛り上がりはなかなかのものだ(フーコーが『監獄の誕生』で描いたパノプティコンについての言及もある)。ふつうに読めばなかなかに楽しめる小説だとは言えるだろう。