明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。































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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ロバート・シオドマク『人間廃業』『クリスマスの休暇』

なんだかんだといろいろ見ているのだが、あいかわらずなかなか更新できない。なぜにこう毎日のようにどうでもいい小さな問題が持ち上がるのか。

『人間廃業』(Der Mann, der seinen Mörder sucht) ★★


シオドマクが初期ドイツ時代に単独監督した長編第2作。ドイツ語は得意でないが、原題は「その男、彼の殺し屋」ぐらいの意味か。

映画は、主人公の男が住むアパルトマンに拳銃を持った男が現れるところから始まる。不意の闖入者が手にしたピストルを目にしても、男はさして驚いた様子を見せない。実は、拳銃の男は、自殺を決意した主人公が自らを殺害してくれるように依頼した殺し屋であることが判明する。自殺願望者がターゲットだと知った殺し屋は、それは主義に合わないと最初は躊躇するが、いったん引き受けた仕事は必ずやり遂げると言い残してその場を去る。このときから、主人公はいつ何時現れるかもしれない殺し屋の影を絶えず意識しながら生活していくことになるのだが、やがて出会ったひとりの女を愛し始めたことで生への執着が芽生え、殺し屋との契約をキャンセルすることを決意する。しかし、例の殺し屋はすでに、殺しの契約を別の凄腕の殺し屋に譲ってしまっていた……。

自分自身の殺人を殺し屋に依頼した人間が、不意に生きることに意義を見いだし、殺し屋から逃げ回るという物語は、山田洋次の『九ちゃんのでっかい夢』やド・ブロカの『カトマンズの男』など、洋の東西を問わず少なからず映画で描かれてきたので、今となっては新味にかけるが、この当時はなかなか斬新だったのかもしれない。

あまり得意だったとは思えないコメディで、シオドマクらしさはまだほとんど感じられない映画ではある。しかし、作品の随所を彩るブラック・ユーモアには、後のフィルム・ノワール作品に通じるものがあり、その意味では興味深い。


何よりも素晴らしいのは、こんな地味な作品であってもウーファ撮影所のセットが実に見事であることだ。主人公の住むアパルトマンの斜めに傾いだ窓ガラスと、向かいのビルからその窓越しに狙撃の機会を窺う殺し屋のいる屋根のセットなど、別に取り立ててユニークなものではないのだが、それだけにこの撮影所の余裕の底力を感じさせる。画面に屋根が出てくるだけで興奮してしまう私のような人間には、こういうセットを見るのは至福のひとときである。これぐらいのセットは当時としては当たり前だったはずだが、今や、この程度の美術でさえ、大撮影所時代のみに可能だった贅沢になってしまった。


『クリスマスの休暇』(Christmas Holiday, 44) ★★


クリスマスの休暇で軍のキャンプから故郷に帰るところだった若い兵士に、別の男と結婚したと書かれたフィアンセからの手紙が届く。諦めきれない彼は、それでも彼女に会いに行こうとする。てっきりこの兵士が主人公だと思って見はじめると、映画は思わぬ方向に向かいはじめる。乗った飛行機が悪天候のために途中の空港に着陸し、そこで一夜を過ごすことになった兵士は、怪しげな男に誘われてとある秘密のナイトクラブに連れて行かれ、そこで歌っていた女と知り合うのだが、そこからこの女歌手の回想が始まるのである。主人公かと思われた兵士は、女の物語に時折合いの手を入れるだけの、狂言回しにも似た存在となってやがて背景に退いてゆき、女歌手とその夫との暗いロマンスが物語の中心を占めはじめる。

女の話はこうだ。彼女はある男と出会って恋に落ち結婚した。しかし、幸せな結婚生活は長くは続かなかった。その男には賭博癖があり、さらにはひょっとすると殺人にさえ関わっているかもしれないことがわかってくる。男は結局、殺人罪で逮捕され、今は刑務所にいるという。ところが、女の話が終わったところに、刑務所から脱獄した彼女の夫が拳銃を持って現れる……。


枠物語の部分は、ヒッチコックの『断崖』などを少し思い出させもする夫婦の物語になっている。全体としては、非常にメロドラマよりのフィルム・ノワール、あるいはフィルム・ノワール的メロドラマといったテイストの作品で、『Der Mann, der seinen Mörder sucht』と比べるとずっとシオドマクらしい作品ではある。しかし、正直、それほど出来のいい映画とは思えない。


そもそも、この枠物語になっている構成自体がさほど効果を上げているようには見えず、むしろ、いたずらに焦点をぼやけさせているだけという気さえする。ナイトクラブの歌手役に『オーケストラの少女』のディアナ・ダービン、その殺人者の夫役にジーン・ケリーを使ったのは、むろん、俳優のそれまでのイメージとはあえて真逆の役を演じさせたのだろうが、これもどれほど成功していると言えるのか。国民的美少女として常に可憐な少女役を演じてきたディアナ・ダービンをちょっとした汚れ役として使うというのは、彼女のファンには相当評判が悪かったらしい(しかし、この女性は原作ではストリッパーだったのだから、これでも相当修正を加えられた妥協の産物だったはずなのだが)。ただ、この女優にほとんど思い入れのなかった私には、この映画での彼女のヴァルネラヴルな演技はむしろ素晴らしく思えた。一方、ジーン・ケリーの陰鬱な演技は、客観的に見れば全然悪くなかったのかもしれないが、どうしてもミュージカル俳優のイメージを払拭するほどの存在感は感じられなかった。

とはいえ、俳優の顔に落ちる繊細な影の使い方や、鏡や窓ガラスを使った空間設計など、部分的には素晴らしいシーンは多々ある。たまたま、この映画と『Der Mann, der seinen Mörder sucht』を2本続けて見たのだが、ジーン・ケリーの住む家のキッチンの大きな窓ガラスと、その窓を通してキッチンを見下ろすかたちで渡り廊下が造られている妙なセットなどに、ウーファ的な美術の名残のようなものを感じたのは気のせいか。