明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ジャック・ターナー『恐ろしき結婚』



ジャック・ターナー『恐ろしき結婚』(Experiment Perilous, 44) ★★


「視覚的スタイルだけで判断するなら、ターナーの最も完成された作品のひとつ。ターナーは俳優たちの身体、キャメラのポジション、舞台装置を用いて、作品全体に広がる繊細なイメージのパターンを作り上げている」(クリス・フジワラ


ヒナギクの咲く草原に黒雲がゆっくりと立ち込めてゆき、稲光がした瞬間にカットが切り替わるとあたりはもう真っ暗で、土砂降りの雨の中、海岸沿いの線路を一台の列車が、画面手前に向かって走ってくる。不吉なことの始まりを予感させるこのオープニングがすばらしい。(列車はミニチュアのように見えるが、だとすればあまりにもリアルだし、実際の列車だとしたら不気味なほど非現実的だ。)

列車には主人公である精神科医ベイリーが乗っている。彼は車上で一風変わった老婦人と出会う。最初彼は、精神を病んでいる女性ではないかと疑うが、話してみるとすぐにそうではないことに気づく。この気さくな老婦人は名家として知られるベドロー家のひとりだった。どういうわけか彼女は、自分の家には死んでも帰りたくないのだけれど、兄のニックに会うためにどうしても帰らなくてはならないのだという。

駅に到着すると二人はすぐに別れるのだが、ベイリー医師は、その直後に老婦人が心臓発作で亡くなったことを知る。やがて彼は一枚の肖像画をきっかけに、老婦人の兄ニックとその若き妻アリーダ(へディ・ラマール)の住む屋敷へと導かれてゆく。そして、ニックから彼の妻アリーダはひょっとして狂っているのではないかと相談される。彼女は本当に狂っているのだろうか……。


わりと予想通りに進んでいく筋立てではあるが、一応ミステリーなので物語については全部を書かないことにしよう。


この映画は「ゴシック・ノワール」という言葉でしばしば語られる。「ゴシック・ノワール」の正確な定義は知らないが、わたしが理解するところでは、現代ではなく、20世紀初頭とか、場合によっては19世紀末といった、少し過去の時代に物語が設定され、薄気味が悪い屋敷などを舞台に(本物のゴシックならば古城などが出てくるところだが、そこまではいかない)繰り広げられるフィルム・ノワール、とでもいうことになるだろうか。キューカーの『ガス燈』などが、ゴシック・ノワールの代表的作品とされる。

実際、『Experiment Perilous』は、同じ年に撮られた『ガス燈』との類似をしばしば指摘されてきた。不気味な屋敷、狂気を疑われる妻、妻を殺そうとしているかもしれない夫……。類似点は多々ある。しかし、『ガス燈』程ではないにしろ、『レベッカ』(40)『断崖』(41)といった同時代の作品ともこの映画は似通っている。いずれも『恐ろしき結婚』以前に撮られた作品だ。もっとも、これは影響関係云々というよりも、「ゴシック・ノワール」と呼ばれるもののある種のパターンと考えたほうがいいのかもしれない。

ターナー自身の作品に立ち返るならば、クリス・フジワラも指摘するように、「魅惑的な女性、彼女を精神病者扱いにしようとするヨーロッパ人、平凡で、単純なアメリカ人」よりなるトライアングルは、「キャット・ピープル」における同様のトライアングルの再現である。
たしかに、この映画は、フィルム・ノワール以上に、この時代に同じ RKO で撮られていたヴァル・リュートン製作の一連のホラー映画に近いものがあるといっていいかもしれない。ただし、リュートンのホラー作品に比べるならば、『恐ろしき結婚』には魅力的な曖昧さがいささか欠けているといえる。多くの魅力を持つ作品ではあるが、あと一歩で傑作になり損ねているという印象を与えるのは、脚本の穴と思える部分以外に、このあたりにも原因があるのだろうか。


この映画を見ていていちばん驚いたのはその多層的な声の使い方だ。冒頭、ベイリー医師は、列車の中に登場する前に、まずナレーションの声として現れる。その後も、時には画面に映っている彼自身や登場人物たちの声を掻き消すようにして、彼の声が画面外から聞こえてき、さらには、彼の意識の中で聞こえている他の様々な声がそこに加わる。老婦人が書いたニックの伝記を読む彼女の声、彼女の死について語るベイリーの知人の声、A・グレゴリーなる人物が書いたニックについての記事をベイリーの秘書が読み上げる声……(この謎の人物のイニシャルAは、アレック、アレクサンドルというふうに、思いもかけぬ反響を聞かせることになるだろう)。それだけではない、ニックが息子に読んで聞かせる(というよりも洗脳しようとするといったほうがよい)魔女の物語も、何よりも不気味な声としてベイリーに(そして観客に)扉の陰から聞こえてくる。このどちらかというといささか平凡な物語を魅力的にしている要素のひとつが、この多層的な声の使い方であることはたしかだろう。


ちなみに、タイトルの "experiment perilous" とは、映画の中でニックが引用する、古代ギリシャの医者ヒポクラテスが医術について語ったとされる言葉、"Life is short, art is long, decision difficult, and experiment perilous."(「人生は短く、技芸の道は長い。決断は難く、試みには危険が伴う」ぐらいの意)の中に出てくる一節である(もっとも、ヒポクラテスのこの言葉には、これ以外にも微妙に違うヴァージョンが存在する)。日本では「芸術は長く、人生は短い」という訳で知られる言葉だが、これはある種の誤訳だと考えていいだろう。