明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ドミニク・ブニシュティ『従兄ジュール』


ドミニク・ブニシュティ『従兄ジュール』(Le cousin Jules, 1972) ★★


備え付けの古めかしい大きなドリル、その横には万力がおかれている。埃だらけのテーブルの上に所狭しと並べられた大小様々のやっとこやハンマーを、キャメラは横移動でなめるように映し出してゆく。どうやらここはなにかの作業場らしい。剥き出しの地面には、入り口から入り込んだのか、3匹の鶏が勝手に動き回っている。やがて小屋とは別の住居らしき建物の扉が開き、中から現れた老人が、表においてあった靴を履いて歩き出す。そのカツカツという響きからそれが普通の靴ではなく、木靴であることに気づく(この映画が撮られた時代を考えるならば、この頃になってもまだ木靴を履いて生活している人がいたのかと驚く)。近くの道路からだれかが通りすがりに声をかける。そのやりとりから、老人の名前がジュールだということが知れる。

老人は先ほどの仕事場にやってくると、おそらく湯などを沸かす時に使ったりするらしい小さな竈に藁くずを入れて火を付ける。それから、さっき映った工具がずらりと並べてあったテーブルの上に木くずのようなものをばらまくと、木くずはたちまち赤くなって燃え出す。テーブルだと思っていたものはどうやら大きな竈の一部だったらしい。老人がすかさずテーブルの上に散らばっていた小さな石ころのようなものを集めて燃えはじめた木くずに振りかけると、炎は突然めらめらと勢いをまして燃えはじめ、それと同時に、ガシャン、ガシャンというけたたましい音がどこかから聞こえてくる。

一瞬何が起きているのかわからなかったが、ガシャン、ガシャンというものすごい物音は、『千と千尋の神隠し』の釜爺が使っていたのもこんなのだったかと思わせる古めかしい巨大なふいごから空気が送り出される音だった。老人は手元の鎖ひもを使って画面奥に見えるふいごを操作していたのである。いったい何を作っているのか一向にわからないが、そのふいごを使って竈で真っ赤になるまで熱した金属を、老人は次々と、ハンマーでリズミカルにたたきながら、器用に変形させてゆく。


『従兄ジュール』とぶっきらぼうに名付けられたこの映画はそんなふうに静かに始まる。いや、静かにというのは正確ではない。冒頭からこの映画には静謐な雰囲気が漂っている一方で、いたるところに様々な音が満ちている。木靴がたてるカツカツという靴音、ふいごから空気が送り込まれるガシャガシャという音、バチバチと炎のはぜる音、真っ赤になった鉄をハンマーでたたく音、金属板の上に置いたハンマーがカタカタと震えてから平衡状態になって止まる音……。何気ないこれらの音が驚くほどクリアに聞こえてくるのだ。



おそらく老人の妻らしき老婆が、表でジャガイモの皮を剥いている。ふたりはそのジャガイモを茹でた料理を小さなテーブルを囲んで食べる。それから、彼女は井戸で水をくみ、仕事場の竈でお湯を沸かせてコーヒーを淹れ、ふたりで椅子を並べてそれを飲む。ふたりともほとんど何もしゃべらない。おそらく、これら一つ一つの行為やしぐさは、これまで毎日のように繰り返されてきたのであろう。ふたりの間にも、今さら余分な言葉など必要ないといった空気が流れている。

台詞がほとんどないだけではない。冒頭、ロケ地を示す短い字幕が入るだけで、この映画にはナレーションもまったくない。見るものはだから多くを推測するしかないのだが、ここに描かれているのは、あえて推測するまでもないシンプルきわまりない世界であるとも言える。


フランス、ブルゴーニュ地方の田園地帯。見渡すかぎりに野原と雑木林が広がるその緑の中にその家はぽつんとある。おそらくは一番近い隣家でさえも数キロ離れたところにあるのだろう。そんなふうに隔絶され、時間さえもが止まってしまったような世界で、ほとんど儀式と化した日常が繰り返される。映画に描かれるのはたった一日の出来事(のように見える)のだが、ふたりが見せる一つひとつの所作には何十年という時間が刻み込まれているのが見ていて感じられる。

しかし、何とも不思議なのは、この素朴きわまりない世界が、見事なカラーによるシネマスコープの大画面とステレオ音響によって再現されていることだ。ゴージャスなカラー、シネスコの大画面で撮影された『草とり草紙』といった作品を想像してもらえれば、この映画の雰囲気がいくらか分かってもらえるだろうか。

監督の Dominique Benicheti ドミニク・ブニシュティ(とりあえずフランス語の綴りの規則通りに読んでみたが、この呼び方でいいのだろうか)は、この映画をこのフォーマットで撮ることにこだわったという。当時のフランスでは、この手の映画は、アート系の映画ばかりを上映する cinema d'essai と呼ばれる映画館でしかなかなか上映が難しかったのだが、そういう映画館が、シネスコステレオサウンドの映画を上映できる設備を備えていることはまだ稀だった。作品のフォーマットを変えればもっと多くの劇場で上映されたはずであるが、ブニシュティはそれを頑なに拒んだという。『従兄ジュール』が、公開当時に多くの批評家から高い評価を得ながら、すぐに忘れ去られていったのには、監督のこのこだわりに一因があったことは間違いない。

それどころか、2000年代になってこの映画の修復を自ら手がけはじめた彼は、最新のデジタル技術によってこの作品を3D映画として甦らせることさえ試みていたというのだ(結局、彼はその途中で他界してしまうのだが)。時代の流れからぽつんと取り残されたような世界と、最新の映像テクノロジーとの何とも奇妙な結びつき。正直、監督のこのこだわりにはわたしの理解を少し超えたところがある。



そもそも、この映画はシネスコで撮影される必要が本当にあったのだろうか。老人と老婆がいかにも田舎の農家らしい小さなテーブルを囲んで食事をする場面では、最初しばらくの間、この横長の画面に老人だけが映し出される。てっきり彼一人なのだと思っていると、不意にキャメラが右にパンし、向かいに座っている老婆を映し出すのだ。しかし、今度は老人の姿が画面から消えてしまい、われわれは老婆だけを眼にすることになる。するとキャメラは今度は左にパンをし、老婆を画面から閉め出す代わりに、また老人だけを捉えてみせるのだ(シネマスコープの横長の特性をあえて無視したようなフレーミング)。

一方、屋外の田園風景を撮ったショットでは、シネスコの画面は緑の広がりを申し分なく見事に捉えてみせる。ただ、ここでも、多くの場合、キャメラは、道や川が画面に平行に収まるようなかたちで、遠い位置から風景を映し出すだけだ。いささか単調なキャメラワークという印象を与えるが、それも、ずっと見ているうちにミニマリズムの作品を見ているような効果をもたらしはじめるから不思議だ。(ちなみに、この映画の撮影監督はふたりいて、そのうちのひとりは『アメリカの夜』のピエール=ウィリアム・グレン。)

ここでは事件など何も起こらないし、起きようがないように思える。事実、映画は老人の周りの日常を淡々と描き出してゆくだけのように見える。しかし、ふと気づくのだ。老婆の姿をしばらく眼にしていないことに。老人があの仕事場に寄りつかなくなったことに。あまりにも淡々と進んでいくので気がつかなかったのだが、そういえば先ほどから老人は、一人でテーブルに座って紅茶を飲み、一人で料理を作り、一人でベッドメイキングをしている。薄々感じられていたことは、映画の終わり近くになって彼が一人で服のボタンを付け直す姿を見て、確信に変わる。

夜の暗闇の中にぽつんと浮かび上がる明かりのともった窓越しに老人を捉えたショットにつづいて、無人の仕事場が映し出され、映画は終わる。そこに、老人の名前と生年を示す「ジュール:1890年生まれ」という字幕が現れ、そのあとに老婆の名前(ここで初めて彼女の名前がフェリシーだということが分かる)と、彼女の没年が「1971年」と記され、「この映画は1968年から1973年までの間に撮影されたと」と書かれているのを見て、やはり彼女は撮影中に亡くなっていたのだと分かった時、わたしは鈍い感動がこみ上げてくるのを抑えられなかった。


ところで、この映画はいったいどういうジャンルに分類されるのだろうか。一応はドキュメンタリーということになるのだろう。老人は監督の従兄にあたる人物で(映画のタイトルはそこから)、実際にこの家に妻のフェリシーと一緒に住み、この映画に描かれたような暮らしをしてきた。この映画はそれをありのままに描いているように見える。たしかに、キャメラのポジションなどから多少の演出はあったのだろうということは、見ている時から推察された。しかしそれぐらいのことなら『北極の怪異』の頃からドキュメンタリーの許容範囲であったはずだ。だから、これは純然たるドキュメンタリーだといわれても特に疑問は感じなかっただろう。

しかし、見終わった後で、監督自身が話している映像を見てみると、この映画が思った以上にフィクションに近かったことが分かってくる。撮影前には詳細な絵コンテが準備され、その通りに撮影が進められていたようなのだ。

何も知らずに見たならば、この映画はある一日の老人を朝から晩まで描いた映画のように思える。しかし実際には、この映画の撮影には数年の月日がかかっていたのである。これもこの映画のフィクションの部分ということになる。

しかし、この映画に限らずドキュメンタリーか、フィクションかというのは截然と分けることができるものでもないし、結局のところ、そんなことは問題ではないのだ。老夫婦はひょっとしたらキャメラの前で日常を演じていただけなのかも知れない。しかし、それは同時に彼らが実際に生きてきた日常だったのである。