明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

最初と最後のロッセリーニ——『白い船』と『メシア』についての覚書

白い船』(La nave bianca, 41) ★★½


映画作家ロベルト・ロッセリーニのキャリアは、ムッソリーニによってイタリアが統治されていたファシズム時代のまっただ中に始まった。『白い船』はロッセリーニが撮った最初の長編劇映画である*1

海外では、この映画が公開された当時、フィルムに監督名としてクレジットされているロベルト・ロッセリーニという見慣れない名前に注目した人は少なかった。というのも、この映画の功績の大部分は、監督ロッセリーニではなく、脚本・製作指揮に当たったフランチェスコ・デ・ロベルティスのものであるとされたからである。
デ・ロベルティスはこの前年に、潜水艦を描いたセミ・ドキュメンタリー的作品『Uomini sul fondo』を撮って大成功を収めていた。わたしはまだ見ていないのだが、多くの人がこの映画に、後のネオ・リアリズム映画に見られることになる要素が全て詰まっていることを指摘している。現地でのロケーション、素人俳優の起用、ドキュメンタリーとフィクションの融合、等々である。そして、こうしたスタイルは『白い船』においても踏襲されており、それは、ロッセリーニではなくデ・ロベルティスの功績であるとされたのである。

例えば、ロッセリーニの短編にキャメラ担当として加わっていたこともあるマリオ・バーヴァは、次のように語っている。

「デ・ロベルティスこそが真の天才で、ネオ・リアリズムの創造者だった。ロッセリーニは彼から全てを盗んだに過ぎない。デ・ロベルティスは天才で、不思議な人物だった。彼はロッセリーニに好感を持っていて、彼に『白い船』を撮らせた。それから全部をやり直し、手柄はロッセリーニに譲ったのだ」


バーヴァの主張はあまりにも極端すぎるとしても、デビュー当時のロッセリーニが、『Uomini sul fondo』でデ・ロベルティスが作り出したスタイルに多大な影響を受けていたことは間違いないだろう。その意味でも、この作品とデ・ロベルティスの存在の重要性は決して無視すべきではないはずである。しかし、『Uomini sul fondo』は、今となっては、その新しさよりも古さのほうが目立ち、映画史的な価値以上のものを失ってしまっている、と、これも多くの人が指摘している。デ・ロベルティスは、ムッソリーニファシスト政権下において、国策映画を牽引するような存在だったようだが、この時期に彼が撮った映画は、いずれも『Uomini sul fondo』の二番煎じのようなものであったらしい。


ロッセリーニはこの時期、3本の戦争映画を作っている。『白い船』、『ギリシャからの帰還』(42)、『十字架の男』(43)の3本である。『白い船』は海軍を、『ギリシャからの帰還』は空軍を、『十字架の男』は陸軍を、それぞれ描いたものだ。全部を語っている余裕はないので、『白い船』に話を限ろう*2

白い船』は、戦艦の砲台を捉えたショットで始まる(『戦艦ポチョムキン』を思い出す人も多いだろう。この映画はたぶんエイゼンシュタインに少なからぬ影響を受けている。アンドレ・バザンが打ち出していたエイゼンシュタインのモンタージュと、ロッセリーニらのネオ・リアリズムとの対立を考えるならば、これはなかなか興味深い)。この船に乗り込んでいる若いメカニックの青年が、この映画の主人公である。彼は、手紙のやりとりで知り合った、まだ顔さえも知らない戦時代母(前線兵士に見舞品を送り世話をする女性)と今日初めて会うのを楽しみにしていた。この戦時代母は、手紙でいつも「義務」を語る熱狂的な愛国女性で、そのことで青年は仲間からからかわれていたのだった(「戦時中には一つの思いしかありません。義務の思いです」)。しかし直前になって彼の下船は取り消され、すぐに船は出航する。やがて船が敵に攻撃されて、戦闘が始まり、青年は負傷してしまう。他の負傷者達と一緒に病院船(「白い船」とはこの病院船のことである)に移された青年のもとに、文通相手の戦時代母が赤十字のヴォランティアのナースとしてやってくる。その若くて美しい女性は、彼が持っていたペンダントを見てすぐに彼のことに気づくが、青年のほうは、それと知らずに彼女に、彼女宛の手紙を書いてくれるように頼む……。

物語を要約するならだいたいこうなる。しかし、実は、このラブ・ロマンス的な部分は、最初の予定にはまったくなかったのだった。当初は、船の救出作業を描いた短編ドキュメンタリー作品になるはずだったが、長編にするためにこのラブ・ロマンス部分が追加されたらしい。ロッセリーニは、この映画の半分は自分のものではないと言っていて、船の戦闘シーンは自分が撮ったが、青年と戦時代母のロマンスのところはデ・ロベルティスによるものだと主張している。たしかに、戦闘が始まってからの一連の描写は、戦いの様子を素早いモンタージュを通して、台詞もなく淡々と描き出してゆくドキュメンタリーのようであり、ロマンス部分とは明確な違いを見せている。とりわけこの戦闘シーンにおける、事物に対する唯物論的とでも言いたくなるような眼差しは、以後のロッセリーニ作品すべてに共通するものだ。しかし、デ・ロベルティスとロッセリーニの主張は微妙に違っていて、この映画の「ロッセリーニ部分」を見分けるのは、実際にはなかなか困難であると言わざるを得ない。ただ、少なくとも、デ・ロベルティスもロッセリーニも、この青年と戦時代母の物語は嫌々押しつけられたものだという点では一致している。


このように『白い船』の「作者」がだれなのかは、なかなか微妙な問題をはらんでいる。それに加えて、『白い船』について語るのを難しくしているのは、この映画がムッソリーニの時代に、というよりも、ムッソリーニ政権のただ中で撮られたという事実である。『白い船』『ギリシアからの帰還』『十字架の男』をファシズムの映画と断じるものは少なくない。しかし、これもなかなか簡単には語れない微妙な問題なのである。とりわけ、『白い船』のように作者が不確かな場合はなおさらである。

白い船』はたしかに一見プロパガンダ映画に見えなくもない。『戦火のかなた』や『無防備都市』のようにレジスタンスの活動を描いているわけでもなければ、反戦をあからさまに訴えかけるわけでもないという意味では、この映画は、ムッソリーニの体制に、あるいは戦争に、正面切って異を唱える映画ではないといってもいいだろう。だが、その一方で、この映画は、逆に、ムッソリーニを賛美することもなければ、ことさらに戦意を高揚したり、勝利を声高に叫ぶこともない。なるほど、作戦室の壁にムッソリーニの写真が飾られているのが見える場面はある。しかし、それは、ただそこにあったから撮ったにすぎないという扱いであって、わざとらしくそれがアップで映し出されて、特別な意味をこめられることもない。

注目すべきは、この映画の戦闘シーンだ。キャメラは船の中からほとんど外に出ることがなく、兵士たちにも観客にも敵の姿はほとんど見えない。そもそもどの国の敵と戦っているのかも分からないのである。こちらの攻撃が相手に届いたのかさえ判然とせず、むろん、勝利の感覚ともほど遠い。ランプが点滅するたびに、盲目的にダイヤルが回され、レバーが引かれ、ボタンが押され、そそれに合わせて機械が動き、攻撃が開始させれる。人間も含めて全ては巨大な機械であり、キャメラはただそれを記録しているだけ、とでも言えばいいか。「機械と人間、一つの心臓」──壁に書かれたスローガンが一瞬映し出され、ぞっとさせる。この映画自体がファシズム的かどうかはともかく(わたしはそうは思わないが)、この機械と人間と関係には、たしかにファシズム的なものが映し出されていたとは言えるかも知れない*3


微妙な問題をはらんでいる映画だが、ロッセリーニ本人が自分で撮ったといっているこの映画の戦闘シーンを見る限りでは、事物に注がれる眼差しはまさしくロッセリーニのものであると思える。結論から言って、ロッセリーニは最初からロッセリーニであったというのが、『白い船』を見て感じたわたしの印象である。


『メシア』(Il messia, 75) ★★★


最晩年のロッセリーニが映画化を考えていた最も大きな二つの企画が、キリストとマルクスの伝記映画だった。マルクスの映画は結局完成することはなかったが、キリストの伝記は『メシア』に結実する。これがロッセリーニ最後の長編映画となった。

あるがままの現実を見せる。『白い船』においてすでに示されていたロッセリーニの姿勢は、この美しい(という言葉は、ロッセリーニが一番嫌っていた言葉だが)宗教映画においても健在である。ロッセリーニは最後までロッセリーニだった。

『メシア』は聖書に忠実に従いながら、キリストの生涯を描いた映画である。ロッセリーニは、ユダヤの民がカナーンの地に流れ着く場面がから映画をはじめる。やがてサウルがイスラエル初代の王となり、その後、次々と新しい王が入れ替わり登場するが、いつの世も戦争はなくならず、人々は虐げられたままだ。人々の間に、真の王=メシアを待望する声が次第に高まってゆく。キリストが登場するまでの歴史を、ロッセリーニはほんの数分の間に、短い数シーンで語り終わる。

エスが生まれてからの物語はだれもが知っているだろう。ロッセリーニも、これはだれもが知っている物語だと知った上で、この映画を作っている。キリストを描いた映画なら当然あってしかるべきシーンもあっさり省略されるだろう。処女懐胎の場面も、暗い画面の片隅であるかなきかの一瞬に示されるだけだ。イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう場面さえ、ロッセリーニは大げさで、見せ物的だと考えたのだろうか、この映画の中では一切描かれない。

スペクタクル性を排除するという姿勢は、この映画において徹底して貫かれている。『メシア』のほぼ全ての場面はロングショットで撮られていて、アップはほとんど一つもない。キャメラはパンとズームを繰り返しながら、絶えずゆらゆらと揺れ動き、遠い距離から事態を見守るだけである。時として、顔の表情も口の動きもよく見えず、声で聞き分けなければだれが喋っているのかも判然としない画面の中で、イエスさえもがその他大勢の中にまぎれて、見失われることさえある*4

聖書に忠実に作られていると言ったが、この映画には「奇跡」はほとんど映っていない──たぶん、ほとんど。目が見えなかった男がイエスによって目が見えるようになる挿話は、目が見えるようになった男がユダヤの高僧に向かって語る言葉を通じて描かれるだけだ。イエスが手にしていたたった一切れのパンが、無数のパンに増殖する逸話も、普通ならば、一切れのパンが次の瞬間には大量のパンに変わっているところを、ショットをつなげて見せたりするのだろう。しかし、ロッセリーニは、イエスが信徒に一切れのパンを渡すところを見せ、そのままキャメラをゆっくりと移動させて周りにいる信徒がパンを手にしているのを次々と見せてゆくだけだ。むろん、天上から神の声が聞こえてくることもない(この「奇跡」の不在は、『メシア』の製作者をいらだたせ、この映画の公開を危ういものにすることになるだろう)。
もしもこの映画に奇跡が映っているとするならば、その最大の奇跡は、イエス磔刑を見守るマリアの姿が、イエスの少年時代の時と全く変わらない若々しい姿であることである。ここもふつうならば、マリア役の女優をメーキャップで老けさせるところだろう。だが、ロッセリーニはあえてそうしない。これが彼のリアリズムであり、「奇跡」なのである。

処刑されたイエスの遺体は、布にくるまれて洞窟の墓に運ばれ、その入り口は巨大な石でふさがれる。イエスの死体が亡くなったと知らされたマリアが墓に駆けつけると、入り口の石がどかされている。マリアは一瞬で事態を察し、手を差し出して空を見上げる。その時、この映画で初めて空が大写しで映し出され、そこにエンド・クレジットが流れるのである。空のショットにこれほど心揺さぶられたのは、ゴダールの『パッション』を見た時以来だった*5


*1:短編映画がこれ以前に数本撮られているが、ほとんどはフィルムが紛失してしまっている。この習作時代に撮られた短編の正確な本数は分からない。全部で5本にも満たなかったのではないかと思われる。

*2:そもそも、『ギリシアからの帰還』をわたしはまだ見ていない。それも見た上で、『Desiderio』を含めた初期作品については、また改めて語るつもりである。

*3:カリグラフ派について書いた時のも軽くふれたが、ロッセリーニを離れて一般論として語るなら、初期のネオ・リアリズムはファシズム的だったという主張には、一定の真実が含まれているとは言えるだろう。

*4:そういえば、ロッセリーニの自伝的=自画像的著作『Fragments d'une autobiographie』の一章が、ギ・ドゥボールの本と同じ「スペクタクルの社会」と題されていることにレイモン・べルールが注目していたが、ロッセリーニドゥボールに興味を持っていたのだろうか?

*5:ゴダールが『メシア』についてどこかで言及していたという記憶はないのだが、2006年にポンピドゥーセンターでゴダールが行った個展のなかの「Hier」というセクションでは、ウェルズの『ドン・キホーテ』、ドヴジェンコの『武器庫』、パラジャーノフの『ざくろの色』などと並べて、『メシア』の映像が使われていたらしい。