明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

サイ・エンドフィールド『アンダーワールド・ストーリー』

サイ・エンドフィールドアンダーワールド・ストーリー』(Underworld Story, 50) ★★★


才能ある監督でありながら、サイ・エンドフィールドは日本ではあまり人気があるとはいえない。それどころか、作家としてもあまり認知されていないような印象さえ受ける。ちゃんと語られることはあまりないし、作家論の類もほとんど見た記憶がない。目立ったものとしては、『亡命者たちのハリウッド』に収録されている数十ページの記述ぐらいのものだろうか。


サイ・エンドフィールド(または、シリル・エンドフィールド)は、赤狩りの時代にブラックリストに載せられた監督として有名だ。アメリカで映画を撮れなくなった彼は、結局、イギリスに亡命せざるを得なくなる。『アンダーワールド・ストーリー』は、デビュー後、何本かマイナーな作品を発表した後でエンドフィールドが作家として転機を迎えるきっかけとなった作品であるといわれる(というか、本人がそう語っている)。この作品と、次作『群狼の町』によって、エンドフィールドは作家として自己を確立したといっていいだろう。


この映画に描かれるのはジャーナリズムの世界だ。自分の記事がきっかけでギャングによる殺人事件が起き、新聞社をクビにされてしまった記者(ダン・デュリエ)が、そのギャングから大金を借り、その金で地方都市のつぶれかけの新聞社を窮地から救い、そこで記者として働きはじめる。ちょうどその頃、地方の新聞王(ハーバート・マーシャル)の息子の妻が殺される事件が起きる。犯人は新聞王の息子だったが、新聞王と息子の隠ぺい工作によって、その日から行方不明になっている黒人のメイドが容疑者にされてしまう。記者は、その事実をいち早くつかむと、新聞社の若い女オーナーがうちではそういう事件は扱わないというのにも耳を貸さず、さっそく記事にしようとする。しかし、黒人メイドが無実だと信じる町の住人が多いことを知ると、記者はすぐさま態度を一変させ、新聞社をあげて、メイドを擁護する一大キャンペーンを展開しはじめる。多くの人から集めた募金で、彼は弁護士を雇ってメイドの弁護を依頼するのだが、彼にとっては、真犯人が誰だろうが、メイドが有罪だろうが無実だろうが、実はどうでよかった。とにかく話題になって、自分が記者として名を上げられればそれでよかったのだ……。


何の信念も持たず、その場その場で風見鶏のようにころころと立場を変え、人の善意に付け込み、時にはギャングにさえ恩を売って、自分を売り出そうとする記者を演じるダン・デュリエの無軌道ぶりが素晴らしい。こういう小悪人みたいな役をやらせたらピカイチだと思うのだが、この映画では最後に本当にヒーローになってしまうところがいつもの彼らしくない。実際、こういうアンチヒーローリチャード・ウィドマークなんかが得意とするところで、ダン・デュリエとしては割と珍しいのではないだろうか(オルドリッチの『ワールド・フォー・ランサム』の探偵役が少しこれに近いか)。

メイドを黒人に変えたのはエンドフィールドだそうだが、この映画ではメイドを白人俳優が演じているので、人種問題への言及はやや曖昧なものにされてしまっている(「ニガー」という言葉も最初は検閲で削除されたが、吹き替えで入れ直されたという。ともかく、DVD ではちゃんと確認できた)。トルーマンの時代に人種問題に踏み込んだ映画が撮られはじめたのは本当である。だが、やはりまだそれは微妙な問題だったのだ。この映画における人種問題の扱いがちぐはぐなのには、その辺りに原因がある。
しかし、ここで言及されているのは黒人問題だけではない。黒人メイドを擁護するために新聞社によって組織される委員会は、明らかに、ハリウッド・テンを擁護するために組織された「修正第一条のための委員会」(Committee for the First Amendment)を暗に指し示している。最初は委員会を支持し、メイドを擁護していた町の人たちは、新聞王の画策によって世論の傾きが変わりはじめると、すぐさま有罪説に転じる。それは、「修正第一条のための委員会」がたどったのと同じ顛末なのだ。言論の自由を訴えてハリウッド・テンを擁護した映画人たちは、どこからともなく圧力がかかるとすぐさま意見を撤回してしまい、「修正第一条のための委員会」はなし崩し的に崩壊してしまうのだ。

映画の冒頭、自分の記事のせいでギャングによる殺人事件が起き、その結果、新聞社をクビになってしまった記者は、金が必要になると、あろうことかそのギャングに会いに行き、「あんたのせいで〈ブラックリスト〉に載せられてしまった。金を貸してくれ」と頼む。これも明らかに赤狩りへの言及である。もっとも、善だろうが悪だろうが、利用できるものなら何でも利用しようとする記者を演じるダン・デュリエは、赤狩りの犠牲者とも、また転向者とも容易に重ならない独自のキャラクターを打ち出していて、強烈な存在感を残す。

ここでは、ジャーナリストも、弁護士も(「流れが変わったときは、それに流されるのが賢い人間のすることさ」)、新聞王も、警察も、誰も彼もが灰色である。クライマックスのシーンで、息子の犯行をもみ消すために利用したギャングと対峙した新聞王が、良心にさいなまれてギャングに、「貴様は何様なんだ?」と尋ねると、ギャングはこう答えるのである。「お前と同類だよ。ただ、俺のほうがちょっとばかり利口なだけさ」

赤狩り時代のハリウッドを知る上で見逃せない一本である。当時の事情を知っていればよりいっそう楽しめるが、知らなくても普通に面白い。