明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

グレゴリー・ラトフ『Moss Rose』――ペギー・カミンズの暴走

グレゴリー・ラトフ『Moss Rose』★★


19世紀、切り裂きジャックにこそ相応しい深い霧に包まれた夜のロンドン。女友達を殺されたミュージック・ホールの女役者ベル(ペギー・カミンズ)は、事件の直後にアパートを立ち去った怪しい男マイケル(ヴィクター・マチュア)を強請り、名家である彼の屋敷に潜り込む。幼い頃から〈レディ〉になることが夢だったロンドン娘ベルにとってそこでの生活は夢のようだったが、やがてマイケルの婚約者が殺される事件が起き、ベルの身にも危険が迫る……。


これもなかば忘れ去られたフィルム・ノワールの佳作の一つである。

19世紀のロンドン、古びた屋敷、そして殺人事件と来れば、典型的なゴシック・ノワールが予想される。夜行列車に乗ったペギー・カミンズが陰鬱なトーンで回想モノローグをはじめる冒頭のシークエンスは、たしかにシリアスな映画を予感させるが、この映画のカミンズの演技はときに非常にコミカルで、場合によっては映画のゴシックな雰囲気を壊しかねないほどだ。一方で、彼女は、このいささか信じがたい物語を、持ち前の強引さでぐいぐいと推し進めてゆく。〈レディ〉になる夢を叶えたいというそれだけのことのために、ひょっとしたら犯人かもしれないヴィクター・マチュアについてゆくペギー・カミンズは、この数年後の『拳銃魔』で彼女が演じることになる、幼児的な欲望に突き動かされて動くヒロイン像をすでに予告しているようでもある。

ヴィクター・マチュア、ペギー・カミンズ以外にも、マチュアの母親役にエセル・バリモア、刑事役にデイヴィッド・ニーヴンと、配役もなかなか豪華だ。

謎解きミステリー寄りのフィルム・ノワールだが、わたしには早い段階で犯人も動機も察しがついてしまった。もっとも、主要な登場人物は限られているし、犯人を当てるのはさほど難しくはないだろう。それよりも、霧深いロンドン、季節外れのモスローズの咲き乱れる庭、まだ生きている息子が子供時代に使っていた部屋をその時のままの状態で開かずの部屋にしている母親、死体のそばに必ず置かれているモスローズが挟まれた聖書……、といったミステリアスな雰囲気を大いに愉しめばよい。

ロシア出身のグレゴリー・ラトフは、アメリカに渡ってからキューカーの『栄光のハリウッド』や、マンキーウィッツの『イヴの総て』などで俳優として地位を築いたあとで、監督としてデビューした。強烈な作家的個性を感じさせるような監督では決してないが、オーソン・ウェルズ主演の『黒魔術』や、この作品など、忘れがたい作品を何本か残している。