明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『地球爆破計画』『アンドロメダ…』――70年代SF映画の2つの古典

SF映画を2本。どちらも地味な作品だが、SF映画史に残る古典である。

ジョゼフ・サージェント『地球爆破計画』(Colossus: The Forbin Project, 70) ★½


"I think Frankenstein ought to be required reading
for all scientists." (Colossus: The Forbin Project)



東西冷戦を背景にコンピュータの人間に対する反乱を描くSF映画

アメリカのフォービン博士によってコロッサス(巨人)と呼ばれるスーパーコンピュータが開発され、国内のミサイルは全てこのコンピュータによって一括管理されることになる。憎しみや偏見などに左右されず、膨大な情報から導き出される結論のみに従うコンピュータに国防を任せるほうが、合理的で安全であり、これによって冷戦を終わらせることができるはず……だった。しかし、起動されるやいなやコロッサスは、自分と全く同じようなコンピュータをソ連も開発していたことを突き止める。ソ連側の同意の下に、二つのコンピュータが接続されるのだが、ここから事態は一変する。意思を持ち始めた二つのコンピュータは、引き離されることを拒否し、もし従わなければミサイルを発射すると両国を脅す。膨大な情報を分析してコンピュータは結論づける。これまで戦争を引き起こしてきたのはつねに人間たちであり、人間たちこそ害悪の種である。だからこれからはコンピュータが平和のために人間を管理するのだ、と。なんとかしてコンピュータの裏をかき、事態を収拾しようとする試みが行われるが、コンピュータはヴィデオ・カメラによる監視体制まで導入して、人間を完全にコントロール下に収めはじめる……。


冷戦が背景にあるのはたしかだが、この映画が作られた時代は、同時に、支配的なものに異を唱えるカウンターカルチャーが盛り上がりを見せていたときでもあり、この映画には、そうした社会風潮が如実に反映されている。感情のないコンピュータこそ戦争を終わらせることができるという部分には、ヴェトナム戦争に対する国内の反戦ムードが透けて見えるが、一方で、そのコンピュータが人間の自由を抑圧し、支配しはじめると、この共通の敵を前に、アメリカとソ連はあっさりと手を結ぶ。


「地球爆破作戦」などという大げさなタイトルが付けられているけれど、そんな作戦はどこにも描かれていない。とても地味な映画なので、タイトルにミスリードされて派手なスペクタクル映画を期待すると、きっとがっかりする。実のところ、コンピュータを描くSF映画でありながら、ここにはコンピュータさえほとんど登場しない。コロッサスはモニター画面(といっても文字しか映らないのだが)とスピーカーを通して聞こえてくる機械音声を通じてしか姿を現さないのである。冒頭、わずかに一瞬、コロッサスのメイン・コンピュータと思われる巨大な記憶装置が起動される様子が、引きの画面で映し出されるだけである。しかし、その一瞬に、CGに頼った映画では絶対に味わえない手作りの画面の贅沢さといったものが感じられて、思わず唸ってしまう。

もっとも、コンピュータを見せないのは経済的な意味では正解であったにしても、意思を持ったコンピュータの存在を映画の画面として見せる方法はほかに何かあったのではないかというフラストレーションは残る(『2001年宇宙の旅』——この映画の直前に封切られ、おそらくこの映画にGOサインを与えるきっかけともなっている——で、記憶チップが抜かれて行くにつれてコンピュータHALの音声が変化していくところなど、まるでコンピュータが本当にゆっくりと息絶えてゆくようだった)。後半、ヴィデオによる監視画面がスクリーンと同化しはじめるあたりから、映画は面白みを増してくる。HAL もそうだったが、コロッサスにものぞき魔的な特性が与えられていて、この映画ではそれがときにユーモラスに描かれているのが面白い。

よく言われることだが、戦争を終わらせるためにコンピュータ・システムが導入され、その結果、人間こそが元凶であるとして、機械が人間たちに反乱を起こしはじめるというのは、『ターミネーター』に(パクリといわないまでも)受け継がれていくテーマである。

一方で、この映画は、人類の発展のために科学者が作り出した創造物が人類にとっての脅威になるというフランケンシュタインのテーマをあからさまに意識して作られている(Fで始まるフォービンという名前もおそらくフランケンシュタインのFから取られている)*1。ここでは、コンピュータこそがモンスターなのである。その意味では、この映画はSFであると同時に、ホラー映画でもあるということもできるだろう。

『地球爆破作戦』は、SF映画ファンの間では知る人ぞ知る大傑作といわれている。わたしはそこまでの作品だとは思わないが、コンピュータをテーマにしたSF映画の古典であることは間違いないだろう。

ちなみに、この映画の脚本家ジェームス・ブリッジスは、のちに『チャイナ・シンドローム』を監督して有名になる人物。イーストウッドの『ホワイトハンター ブラックハート』にもバート・ケネディらとともに脚本に参加している。


ロバート・ワイズアンドロメダ…』(The Andromeda Strain, 71) ★★


マイケル・クライトンSF小説アンドロメダ病原体』を映画化したSF映画。これもわざわざ紹介するまでもない有名な映画だが、今となっては見ている人も少ないかもしれない。

監督のロバート・ワイズは日本でも多数の作品が公開されていて、名前もそれなりに知られている。どんなジャンルもこなす名匠として評価も決して低くはない。しかしどうだろうか、ラングやプレミンジャーやニコラス・レイなどと比べるとランクが少し落ちると考えている人も少なくない気がする。おそらくそれは間違いではないのだろう。ただ、ジャン=ピエール・メルヴィルはかれの『拳銃の報酬』を愛していたというし、ジャン=マリー・ストローブもワイズのことをそれなりに高く評価していたと思われる。そろそろ、新しい視点からこの監督のことを見直すべきときかもしれない。


アメリカ、ニューメキシコの田舎町の住民たちが、赤ん坊と老人の二人をのぞいて全員謎の死を遂げているのを発見されるというショッキングなシーンで映画は始まる。この映画を初めて見たのは、たぶん小学生の時にテレビで放送された際だったと思うが、他の部分は忘れてもこの冒頭のシーンだけはよく覚えている。地面に無数の死体が横たわっているというイメージは、『ストライキ』、『シャイアン』、『マッキントッシュの男』などなど、サイレントの時代から映画にくりかえし描かれてきた。禍々しいと思いつつもついこういう画面には目が釘付けになってしまうのはなぜなのだろうか。


実は、住民の死をもたらした原因は、地上に落下した宇宙衛星に付着していた未知のウイルスだった。冒頭の場面が終わると、映画の舞台は砂漠の地下にもうけられた秘密の研究施設のなかに移行し、キャメラがこの建物の外に出ることはほとんどなくなる。謎のウイルスの正体を突き止め、その治療方法を見つけるために科学者たちが奮闘する姿を、ロバート・ワイズは映像で作業日誌を付けるように、リアルに、詳細に描き出してゆく。映画の大部分はこの地味な作業を丁寧に描いているだけなので、人によっては物足りなく感じるかもしれない。

しかし、映画のラストは非常にサスペンスフルだ。もしも原因が究明できなければ、施設全体を核によって爆破してウイルスを封じ込めるという最終手段が執られ、爆破のカウントダウンが始まれば、5分以内に特殊な鍵をセットするしか爆破を回避する方法はない。爆破を回避するための必死の努力を描くクライマックスはとにかく盛り上がる(あのレーザービームとか)。

『地球爆破作戦』もそうだが、50年代に作られた宇宙侵略ものや巨大生物ものなどと違って、この時代のSFは、いつ起こっても不思議ではない事態、いわば現在でもありうる未来を描いているのが特徴である。しかし怖いのはウイルスだけではない。調査が進むにつれてウイルスの正体だけでなく、実は、ことの背景には、政府による細菌兵器の開発が関係していることがわかってくる。ここでも問われているのは、科学者の責任とモラルであり、その意味では、この映画もかたちを変えたフランケンシュタインものだということもできるだろう。(この作品のおよそ20年前にもワイズは、地球を自滅から救うために、宇宙人が地球人に核兵器の廃絶を要求するという、『地球爆破作戦』のテーマをさらに壮大にしたようなSF映画を撮っている。


*1:冒頭に引用した「科学者は全員『フランケンシュタイン』を読むべきだ」という言葉は、フォービン博士自身がいう台詞である。