明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ノーマン・フォスター『Woman on the Run』――フィルム・ノワールとメロドラマのあいだで

ノーマン・フォスター『Woman on the Run』★★


さほど期待していなかったのだが、思いの外よくできた作品だったのでびっくりした。

監督のノーマン・フォスターは、オーソン・ウェルズの『恐怖への旅』の監督であり、『イッツ・オール・トゥルー』にも関わっている。しかし、作家としてはほとんど認知されていないので、安物の作家主義に従って監督の名前だけで映画を選んで見ている人の網には引っかかってこない作品だろう。



フィルム・ノワール」という言葉によって喚起される紋切り型のイメージが、私立探偵や刑事、あるいは平凡な保険勧誘員や銀行の経理係などが悪女(ファム・ファタール)に魅入られてしまい、転落していくという物語であることからもわかるように、この〈ジャンル〉は、基本的に、男性を主人公とする映画であると考えられている。しかし、実際には、女性を主人公にしたフィルム・ノワールと呼ぶべき作品が、少なからず存在する。シオドマクの『幻の女』、ロイ・ウィリアム・ニールの『黒い天使』、そしてこの『Woman on the Run』などといった作品がその代表例になるだろう。もっとも、『幻の女』や『黒い天使』をフィルム・ノワールとすることにはなんの抵抗もないが、『Woman on the Run』を果たしてフィルム・ノワールと呼べるのかという疑問がないわけではない。フィルム・ノワールというジャンルを考えるとき、この作品は微妙な位置にあるといわざるをえないのである。


殺人事件の現場を目撃してしまったために怖くなってその場から逃走した夫の居場所を、妻が捜し出そうとする*1。ときには彼女に張り付いている警察の裏をかきさえしながら、ひとりで(実際は、ジャーナリストの男が彼女を手伝うのだが)夫を見つけ出そうとする妻を演じるアン・シェリダンは、この映画のなかでほとんど私立探偵のように振る舞っているといってよい。しかし一方で、夫にはすでに愛情をほとんど感じなくなっており、彼からも愛されていないと思っていた妻が、夫を捜すうちに、自分が彼のことを全く知らなかったことに気づき、同時に、彼がまだ自分を愛していることを確信して、夫への愛情を取り戻してゆくという物語には、多分にメロドラマの要素が交じっている*2

フィルム・ノワール自体が定義しがたいジャンルであるのに、様々なサブ・ジャンルを作ってさらに事態をややこしくする必要はないと思うのだが、この映画は〈メロドラマ・ノワール〉とでも呼ぶべきものであり*3ドナルド・フェルプスが "cinéma gris"("noir"=黒ではなく、"gris"=灰色の映画)と呼ぶフィルム・ノワールのサブ・ジャンルに属する作品の1つであると言ってもいいかもしれない。フィルム・ノワールならぬ「フィルム・グレイ」という言葉を使ったのは、『ロサンゼルス・プレイズ・イッツセルフ』のトム・アンダーセンだったと思うが、言葉だけ借りるなら、この映画もフィルム・ノワールという集合のかなり外側に位置するという意味で、フィルム・グレイのひとつにあたるという言い方もできるだろう。


女が主人公のフィルム・ノワールと書いたが、実は、この映画の真の主人公はサンフランシスコの町そのものだといったほうが本当は正しいかもしれない。冒頭のヒル・ストリート・トンネル横の石段(?)を上段から見下ろすように撮られ、眼下に今はないバンカーヒル・セントラル・ポリス・ステーションが見えるショット(この階段を上がったところで夫が殺人を目撃する)と、クライマックスのサンタモニカの遊戯施設をのぞくと、この映画はほぼ全編がサンフランシスコの町でロケーションされていて、アン・シェリダンが夫を捜し回って動くたびに、サンフランシスコの町の様々な側面が浮かび上がってくる。『サンフランシスコ・プレイズ・イッツセルフ』という映画がもしも撮られたならば、『過去を逃れて』『めまい』『ブリット』『ダーティ・ハリー』などといった作品と並んで、この映画も必ず引用されるに違いない。ちなみに、フランスでのこの映画の公開題名は "Dans l'ombre de San Francisco"(「サンフランシスコの闇の中で」)だった。


この監督のもう一つのノワール作品であり、彼の数少ない(?)傑作の1つ、『暴れ者』についてはまた別の機会にでも紹介したい。


*1:タイトルから想像する内容とは違って、この映画で逃げているのは女ではなく、男のほうである。ちなみに、この映画の前年に『Man on the Run』という映画が撮られているのだが、たぶん本作とは全く関係がないはず。

*2:この点で興味深いのは、のちに『心のともしび』『悲しみは空の彼方に』『天の許したまう全て』など、多くのダグラス・サーク作品を製作することになるロス・ハンターがダイアローグ監督としてクレジットされていることだ。

*3:メロドラマとフィルム・ノワールは全然別物のように思えるかもしれないが、いわゆる映画の〈ジャンル〉のなかでこの2つだけは、他と違う異形のジャンルとでも呼ぶべきものであり、意外と共通点も少なくない。