明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


このサイトはPC用に最適化されています。スマホでご覧の場合は、記事の末尾から下にメニューが表示されます。


---
神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

---

評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『市民ケーン』劇場その2――漫画「ピーナッツ」と『市民ケーン』その2

4月8日
神戸映画資料館 連続講座「20世紀傑作映画 再(発)見」第1回、「『市民ケーン』とは何だったのか」



1972年10月29日

73年12月9日のエピソード同様に、このエピソードでも、70年代はじめには『市民ケーン』は普通にテレビで見られるようになっていたことが伺える。

前回書いたように、『市民ケーン』は50年代以降はアメリカの映画館ではほとんど上映されなくなっていたと言われる。アメリカの大手スタジオが映画をテレビで放映し始めるのは、50年代の中頃のことだった。『市民ケーン』の批評的地位が復権していくのには、このテレビ放送の開始が少なからぬ役割を果たしていると思われる(ちなみに、メジャー映画会社のなかで最初にテレビでの放送を始めたのは『市民ケーン』を製作した RKO だった)。

1984年4月28日


スヌーピーの兄であるビーグル犬スパイクがハリウッドに行き、『市民ケーン』をアニメにする企画を売り込むが、すげなく断られる。

84年はクライテリオンから『市民ケーン』の最初のレザー・ディスク版が発売される年である。85年には、RKO Home Video から VHS と Beta のビデオが発売されている。映画の見方が変わりつつあった時代である。

ちなみに、80年代末に『市民ケーン』の権利を買い取ったメディア王テッド・ターナーは『市民ケーン』をカラー化しようと目論んだが、RKO との契約には白黒でなければならないという条項があったために断念したという。おかげで、我々はカラー版『市民ケーン』などという醜い代物を見なくてすんだ。

(つづく)