4月8日
神戸映画資料館 連続講座「20世紀傑作映画 再(発)見」第1回、「『市民ケーン』とは何だったのか」
1972年10月29日
73年12月9日のエピソード同様に、このエピソードでも、70年代はじめには『市民ケーン』は普通にテレビで見られるようになっていたことが伺える。
前回書いたように、『市民ケーン』は50年代以降はアメリカの映画館ではほとんど上映されなくなっていたと言われる。アメリカの大手スタジオが映画をテレビで放映し始めるのは、50年代の中頃のことだった。『市民ケーン』の批評的地位が復権していくのには、このテレビ放送の開始が少なからぬ役割を果たしていると思われる(ちなみに、メジャー映画会社のなかで最初にテレビでの放送を始めたのは『市民ケーン』を製作した RKO だった)。
1984年4月28日
スヌーピーの兄であるビーグル犬スパイクがハリウッドに行き、『市民ケーン』をアニメにする企画を売り込むが、すげなく断られる。
84年はクライテリオンから『市民ケーン』の最初のレザー・ディスク版が発売される年である。85年には、RKO Home Video から VHS と Beta のビデオが発売されている。映画の見方が変わりつつあった時代である。
ちなみに、80年代末に『市民ケーン』の権利を買い取ったメディア王テッド・ターナーは『市民ケーン』をカラー化しようと目論んだが、RKO との契約には白黒でなければならないという条項があったために断念したという。おかげで、我々はカラー版『市民ケーン』などという醜い代物を見なくてすんだ。
(つづく)