チャールズ・ブラービン『街の野獣』
(The Beast of the City, 32) ★★
正直、あまり期待していなかったのだが、予想もしていなかった展開と、何よりもラストの銃撃戦の凄まじい暴力性に圧倒された。
厳密に言うならば、この戦前に撮られた警察映画はフィルム・ノワールには分類されないだろう。しかし、この作品は、当時としてはユニークなその題材によって、しばしばフィルム・ノワールの先駆的作品として取り上げられる。
厳格なほどに正義を貫こうとして警察内部からも疎ましがられる警部(ウォルター・ヒューストン)と、弱さからどんどん堕落していくその弟の警察官。この兄弟の確執が、ギャングと警察の戦いと同時に語られてゆく。腐敗警官はフィルム・ノワールで繰り返し描かれることになる主題であり、その意味で、この映画がこのジャンルの先駆的作品とされることもうなずける。弟を堕落させるギャングの情婦役をプラチナ・ブロンド、ジーン・ハーロウが演じていて、そんなに見せ場もない脇役だが、なかなかの存在感を見せている。
しかし、この映画の見所は、なんといっても、ラストの壮絶な銃撃戦の場面だろう。悪徳弁護士の活躍によって、裁判でギャングのボスに負けるという象徴的なシーンがあったあとで、警部(ヒューストン)は、法に従っていてはギャングを一掃できないことを痛感し、最後の手段に訴える。それは、討ち死に覚悟でギャングと一戦を交えるという、信じがたいものだった。
向かい合ったギャングたちと警官隊が唐突に撃ち合いを始め、だれひとり身を守ろうともしないまま、死体の山が築かれていく、ある意味荒唐無稽であると同時に、凄まじく暴力的なこの場面は、まさにプレ・コード時代のハリウッド映画を象徴する場面の一つと言ってもいいだろう。警察官が法を逸脱したかたちで悪を制裁するというこの後半の展開から、この映画は「ダーティ・ハリー」シリーズの先駆けとも言われる。
この映画の企画は、MGMのルイス・B・メイヤーと当時のフーバー大統領との会談に端を発するとも言われていて、映画の冒頭にはフーバーの言葉が引用されている。しかし、完成した作品を見たメイヤーは、内容がMGMにふさわしくないとして、映画の興行を大幅に縮小した。
あのウィリアム・ランドルフ・ハーストが内容を批判する手紙をプロデューサのルイス・B・メイヤーに送ったらしいが、結局、そのまま上映されることになったという話も聞く。
原作のW・R・バーネットはアメリカ映画には馴染み深い存在であり、『犯罪王リコ』『俺は善人だ』『ハイ・シエラ』『アスファルト・ジャングル』などなど、彼の小説が原作の映画は挙げればきりがない。