2017年9月24日(日)神戸映画資料館
「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見 第3回 1930年代のジャン・ルノワール」
参考上映『素晴らしき放浪者』
kobe-eiga.net/program/2017/09/3268/
いよいよ日にちが近づいてきた。全然ブログを書いている余裕がない。
というわけで、前回、ジョン・フォードについてやったように(「ジョン・フォード賛」)、今回はジャン・ルノワールについて世界の映画作家たちが語った言葉を集めてみた。フォードのときほど集まらなかったが、まだまだ追加する予定。
「私はジャン・ルノワールが好きだ。わが最大の後悔は『ラ・マルセイエーズ』のキャストに加われなかったことであり、わが切なる願いは彼の別の作品で、どんな端役でもかまわないから、何か役を授けてもらうことである。私はその役を大喜びで、力を尽くして演じるつもりだ――しかもギャラはなしで」
「これはアンケートの結果ではなく、個人的な感情(sentiment)だ。ジャン・ルノワールは世界で最も偉大な監督である。この個人的な感情を、他の多くの映画作家たちが抱いている。それに、ジャン・ルノワールは個人的な感情の映画作家ではないか?」
[フランス映画の黄金時代の監督のなかで、最も強い印象を残した人は誰かという問いに]
「ヴィゴの『ニースについて』は素晴らしいドキュメンタリーで、本当に好きだった。ヴィゴ本人も、映画を通して好きになってしまう、そういう人物だった。だが、なかでも偉大なのはルノワールだと思う。彼はあの時代のフランスで最も美しい映画の何本かを撮った。『ゲームの規則』、『ラ・マルセイエーズ』、『大いなる幻影』、それに『牝犬』と『素晴らしき放浪者』。これらの作品の名前を挙げないなんて無理だ」
「ジャン・ルノワールとその父親を比べるのは容易じゃないし、その必要もない。ジャン・ルノワールはジャン・ルノワールだ。ヨーロッパで最も偉大な監督、たぶんきっとすべての監督のなかで最も偉大な監督であり、この乏しい時代の地平線にそびえ立つ巨大なシルエットだ」
「ルノワールの人物は、いかにも人間らしくふるまい、人間らしくとまどい、漠としてあいまいな表現をしている。彼らは筋立てや、芝居のようなドラマティックなクライマックスに動かされるのではない。彼ら自身の持つ矛盾、気ままな、何気ないふるまい、生命の流れそのものと呼ぶことさえできるようなあるものに動かされるのだ[…]ルノワールから何かを学ぶとすれば、それは筋立ての大詰め(尊大ぶった人間の偽りの知恵)からではない。重要なのは誰が誰を殺したかではないのだ。ルノワールの真実がわれわれの胸に伝わるのは、ストーリー、状況あるいは構成がひそかに、あるいは明らかに象徴するものを通してではなく、人物の細部、性格描写、受け止め方、関係、動き、それにその演出の方法を通してである」
「ジャン・ルノワールには絶大な影響を受けた。だれもがだれかから何かを学んでいる。人は本当に自分だけで何かを生み出しはしない。俳優とともに映画を撮ることをわたしに教えてくれたのはルノワールだった。彼と一緒に仕事をしたのはほんの一ヶ月かそこらだったが、それで十分だった。私は彼の人間性にそれほど魅了されたのだ」
「俳優たちを因習的なクリシェから完全に解放したのは、ルノワールが最初だった。同時に、彼は、あらゆる束縛から俳優を解き放とうとして、一つのテクニックを編み出したのだが、そのテクニックは後に、注目に値する現在の監督たち全てによって使われことになる。[…]彼はまた、映画を、ショットではなく、シーンによって組み立てることをした最初の監督の一人だった。 ルノワールはロング・テイクを使い、シーン全体をワン・ショットで撮影した。[…]前景で起きていることが興味を引くなら、後景で起きていることも興味を引くはずだということにも彼は気づき、ディープ・フォーカスを使って極めて自然に撮影するという手法を編み出した。後景で起きていることを捉えるのが技術的に不可能なときは、カメラを少しだけ移動させてそれを見せてから、前景に戻し、すべてが関係しあっているのだということを示した。こうしたことはどれも斬新で、革命的なことであったし、いまだに乗り越えられていない。」
「『修道女』を撮り終えた直後に、「今日の映画作家」シリーズを撮っている時にルノワールと過ごした3週間は、わたしに大きな印象を残した。嘘のあとに、突然、真実が現れたのだ。大なり小なり作り物の映画のあとに、映画の真実が現れたのだ。だから、ルノワールに触発された映画ではなく、ルノワールに体現されている映画の理念に合致するような映画を撮りたいと思った。なにも押し付けず、提案するだけで、ただ物事が起きるに任せ、大部分が、俳優との、状況との、出会う人物との、あらゆる面での対話であるような映画、撮る行為が映画の一部であるような映画を」