明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ルチオ・フルチ『幻想殺人』ほか

ルチオ・フルチ『幻想殺人』(Una lucertola con la pelle di donna, 71) ★★½


さすがは〈巨匠〉ルチオ・フルチというべき見ごたえのある作品である。これもロンドンを舞台にしたミステリー。後年、元祖スプラッター映画の監督として名を馳せてゆくことになるフルチだが、この頃は残酷描写を比較的抑えた上品な(?)作品を撮っていた。『ザンゲリア』などの後期作品が好きな人には物足りなく思えるかもしれないけれど、わたしにはこっちのほうが好みに近い。


上流夫人キャロルは、毎夜、奇妙な夢に悩まされている。夢のなかで彼女は、自分とは真逆の退廃的な生活をしている隣のアパルトマンの若い女をナイフで刺し殺すのだった。キャロルがその夢の話を精神分析医に話した直後に、その女が夢のとおりに殺されてしまう。現場からはキャロルのものであるコートや、彼女の指紋の付いたナイフが見つかり、警察は彼女に疑いの目を向ける。キャロル自身も、あれが夢だったのか、現実だったのか次第にわからなくなってゆく。弁護士であるキャロルの父親は証拠を集めて、彼女を釈放させるが、その直後から、キャロルは、夢の中の殺人現場に居合わせていた怪しげなヒッピーに付け回され始める……。

これもありがちな話ではあるが、フルチは観客の注意をあちこちにそらしながら、曖昧な雰囲気をたくみに作り上げてゆき、最後にあっと言わせる。その手腕はなかなかのものだ。キャロル役を演じているフロリンダ・ボルカンは、フルチの傑作『マッキラー』でも主役を演じている女優で、この映画では、次第に精神のバランスを失ってゆく女を見事に演じきっている。ロケーション撮影もなかなか巧みだ。今は使われていない教会(?)の廃墟のなかでキャロルがヒッピーに追い詰められ、ようやく扉をこじ開けて外に出ると、そこはもう逃げ場のない屋根の上で、そこに追手が迫ってくるという場面は、とりわけ忘れがたい。

刑事の役でスタンリー・ベイカーが出演している。事件の解決には実のところあまり貢献しないのだが、ただそこにいるだけで大きな存在感を示しているところはさすがだ。口笛の妙な使い方も印象に残る。

残酷描写は抑えてあるといったが、一箇所、犬を使った凄まじいシーンがあるので要注意。この場面はヴァージョンによってはカットされていて、見ることができない。動物虐待の疑いで、たしか裁判沙汰にもなったはずである。裁判では、製作者側が、撮影中に犬を実際に虐待したのではなく、特殊効果を使ってそう見せているだけだということを、実演してみせたらしい。


フランチェスコ・マッツェイ『尼僧連続殺人』<未> (L'Arma, L'Ora, Il Movente, 72) ★½


原題は「凶器、犯行時刻、動機」くらいの意味だろう。ひょっとすると原作そのままのタイトルなのかもしれないが、いずれにしても、ミステリーとしてここまで直接的なタイトルはあまり見たことがない。

清廉潔白で通っているが実は複数の女性と関係をもっている神父が、教会のなかで何者かによって殺害されるところから映画は始まる。ジャッロ映画に悪徳神父が登場するのは珍しくないが、この映画はその最初の一本であるとも言われる。

教会の屋根裏が、孤独な孤児の少年の遊び場になっていて、その床の穴から殺人現場がまるみえになっているという空間が、サスペンスに貢献している(床の穴から教会に落下する少年のビー玉)。

ジャッロ映画としてはいささかパンチに欠けるけれども、修道女たちの全裸シャワーシーンなど、カトリックのイメージをジャッロ特有のエロティシズムと結びつけた最初の一例としては記憶に値する作品である。