明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

アントニオ・ピエトランジェリ『私は彼女をよく知っていた』

アントニオ・ピエトランジェリ『私は彼女をよく知っていた』(Io la conoscevo bene, 65) ★★½



「50年代と60年代のイタリアのコメディ映画において、女は、母親か、妹か、娼婦として登場するのがふつうで、彼女たちは、さまざまな問題や不幸を抱えていたり、抑圧に苦しむ人間としては描かれない。〈フェミニズム〉という言葉はあの頃存在すらしていなかった」

この映画の脚本を書いているエットーレ・スコラ*1は、あるインタビューのなかで上のように語っている。女は、家庭を守る存在であるか、男性にとっての性の対象であるか、あるいは、これからそのどちらかになろうとしている存在(妹)であるか、そのいずれかであって、自立した存在としては決して描かれてこなかったということだろう。一方で、ソフィア・ローレンに代表されるように、50年代には女がイタリアン・コメディの主人公であることも少なくなかったが、60年代に入ると、ヴィットリオ・ガスマンやアルベルト・ソルディといった男性俳優がコメディの主役の座を占めてゆくことになるという分析もある。そのなかで、ピエトランジェリは、この分野で例外的に、女たちを従来のコメディとは違う形で描き続けた存在だったと言えそうだ。

『私は彼女をよく知っていた』はピエトランジェリの代表作であり、60年代のイタリア映画における最も重要な一本であるとも言われる。それなのに、この映画は、一部の専門家をのぞくと、ほとんどだれからも忘れ去られてしまった状態にあった。それが、最近になってその存在が広く知られるようになったのには、例によって、クライテリオンから DVD と Blu-ray のかたちでソフト化されたことが大きく関わっていると見ていいだろう。また、フランスでは、たしか一昨年にリヴァイヴァル上映されてもいる。

ネットのレヴューサイトなどにおけるこの映画の評価はいずれも極めて高い。そんな映画が長いあいだ忘れ去られてしまっていたとは不思議だが、しかし、こういうことはよくあることである。そして、そういう映画は、いずれはこうしてまた日の目を見るものなのである。


ピエトランジェリが喜劇を得意とする監督であったせいか、『私は彼女をよく知っていた』はしばしばコメディとして扱われることがある。人間喜劇という意味でなら、たしかにこの映画は喜劇であると言えよう。しかし、笑える映画を期待してこれを見たなら、きっと肩透かしを食うに違いない。わたしが見終わったときの印象は、コメディ映画よりは、むしろ初期のアントニオーニの映画などに近いものがあった。


ラジオから当時流行りのポップミュージックが流れるなか、砂浜をカメラがゆっくりとパンしてゆき、最後に、トップレス姿でうつ伏せに寝そべって日光浴をしている女を捉えるショットで映画は始まる(ロジェ・ヴァディムの『素直な悪女』のブリジッド・バルドーの登場シーンを思い出す人もいるだろう)。スター女優になることを夢見て田舎からローマへと出てきた若い娘、アドリアーナがこの映画の主人公である。クラブで流行歌にあわせて踊りまくり、出会った男たちと次々にアヴァンチュールを繰り広げながら、それでいて、田舎娘らしい人の良さと純真さを失わないでいる娘、アドリアーナ。彼女が経験するさまざまな出会いのエピソードだけでこの映画はできていると言ってもいい。
彼女が出会う男たちのなかには、その後二度と登場しないものもいれば、ジャン=クロード・ブリアリのように長い間隔をおいてから再登場するものもいる。しかし、いずれにしても、その出会いから何かの物語が生まれることはない。このエピソディックな物語の語り方は見るものに単調な印象をあたえるかもしれないが、その一方で、刹那的に生きるアドリアーナの人生の空しさを次第に浮き彫りにもしてゆく。彼女に近づく男たちはひとり残らず、彼女を欲望の対象にしているか、あるいは利用し、搾取しようとしているか、あるいはその両方である(唯一の例外は、彼女が駅の待合室で短い間一緒に過ごす、あの素朴なボクサーくらいだろう)。

印象深いシーンが一つある。チネチッタ界隈にあるらしい豪邸に、映画関係者たちが多数集まって行われるパーティのシーンだ。まだ無名のアドリアーナもそのパーティに参加している。いまや落ち目の俳優バッジーニ(ウーゴ・トニャッツィ)が、なんとかこのチャンスをものにして映画の役を得ようと、パーティの主賓である別の俳優ロベルトの前で、列車の走る音をタップダンスで模倣するという芸を披露する。少し踊っただけで苦しそうにゼイゼイ息を吐きながらも、バッジーニは、周りの人間が囃し立てるのに促されてどんどんタップのスピードを上げてゆく。やっとの思いで踊り終えた彼に、ロベルトが近づいてきて、なんとかアドリアーナを自分の家にくるように誘ってくれないかともちかける。バッジーニは、これが仕事につながるのならと、このポン引きのような役目を引き受けるのだが、アドリアーナにあっさりと断られる。結果を知ったロベルトは、すがりつくようにして追いかけようとするバッジーニを置き去りにして、スポーツカーに乗って走り去る。この映画のなかでは、男たちの多くもまた敗北者(ルーザー)にすぎない。そして、アドリアーナは、その敗北者にすら利用されるような存在なのである。

マルコ・フェッレーリの『Dillinger è morto』の結末を少し思い出させもする、ラストのアドリアーナの投身自殺はいささか唐突に思えるかもしれない。それはピエトランジェリがドラマを語ろうとはしないし、アドリアーナの内面を描こうともしないからだ。しかし、浮かれ騒いでいるようにしか見えないアドリアーナの顔のアップ、ピエトランジェリが繰り返しもちいる彼女の顔のアップが、そのなにも語らない無表情さによって、この結末を静かに予告していたと言ってもいい。(アドリアーナとともに地面へと向かって落下してゆくカメラの動きは、ひょっとするとオフュルスの『快楽』の最後のエピソードを真似たのであろうか。)


それにしても、映画のタイトルである「私は彼女をよく知っていた」の「私」とははたして誰なのか? この映画にはナレーションは使われていないし、語り手も登場しない。タイトルの「私」が不在であることは、結局のところ、だれも彼女のことを知っていないということを意味しているのかもしれない。


個人的には、完全に納得させられる作品ではなかった。しかし、この映画でアドリアーナを演じているステファニア・サンドレッリ(『誘惑されて棄てられて』『暗殺の森』)は、ゴダールの映画に出ていても全然不思議ではないくらい、モダンで、コケティッシュで、素晴らしい。全部見たわけではないが、これは彼女の最高傑作と言ってもいいだろう。少なくとも、彼女の女優人生を代表する一本であることは間違いない。


*1:スコラのデヴュー作『Se permettete parliamo di donne』はピエトランジェリ作品をモデルにして撮られたとも言われる。