明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

トンポン・シャンタランクン『I Carried You Home』

トンポン・シャンタランクン『I Carried You Home』(Padang besar, 2011) ★★



タイ映画、といってもアピチャッポンの映画のように型破りで、作家性に溢れている映画ではないし、アノーチャ・スイッチャーゴーンポンのように実験的な作品でもない。タイの映画がみなアピチャッポンのような作品ばかりだと思ったら大間違いで、彼は例外中の例外でしかない。トンポン・シャンタランクン("Tongpong Chantarangkul" 適当に読んでみたが、正確な発音は知らない)監督のこの長編デビュー作も、そういう意味では、ごくごく慎ましやかな作品ではある。しかし、決してつまらない映画ではない。

病院のベッドに横たわる女性の全身を真上から捉えたショットで映画は始まる。やがて遺体は、2人の娘に付き添われて救急車で遠い自宅まで一晩かけて運ばれることになる。こうして、母親の遺体と2人の娘と車の運転手の計4人をのせたドライブがロード・ムーヴィーふうに描かれてゆくのだが、セリフは極端に少なく、観客は台詞の端々や、一見無作為にときおり挿入される短いフラッシュ・バックから、様々なことを推測していくしかない。

妹のパンはバンコクに叔母と住んでいるが、姉のピンの方はずいぶん以前にタイを出てシンガポールに移り住んでいて、母親の死をきっかけに数年ぶりにタイに帰ってきたらしいことはすぐに分かる(その間、彼女は家族と音信不通だったらしく、母親の名前が変わっていることさえ知らない)。彼女が一人異国の地に住んでいる真の理由が明らかにされるのも、ようやく映画の終わり近くになってのことだ。

母親の死を通して、疎遠だった姉妹が再会し、最初はぎこちなかった二人の関係が、旅のなかで次第にうちとけてゆく。死をきっかけに家族が再会するというドラマなら今どき珍しくもない。もっとも、ここには父親は登場せず、肝心の母親との関係もほとんど描かれず、もっぱら姉妹の関係ばかりが描かれているという意味でも、この映画はこじんまりとした印象を与える。しかし、そんなウディ・アレン的というか、ベルイマン的な、人間ドラマの部分以上に面白いのは、この映画にはいかにもタイらしい生者と死者との奇妙な関係のあり方が描かれていることだ(この部分に関してだけは、アピチャッポンの映画との共通性を感じる)。

母親の遺体を運ぶ救急車(そもそも救急車で遺体を運んでいるのが不思議なのだが)のなかで、娘たちは死んだ母親に向かって、「ママ、次、車は左に曲がるよ」、「ママ、〇〇橋を渡るよ」などと話しかけ、道中、死者に欠かさず道案内を続ける。一度などは、母に道を教えるのを忘れてしまったと言って、狭い道で危険を犯してまでわざわざ車をバックさせてちょっと引き返しさえするのだから驚く。車が家に近づいてくるにつれて、娘たちが母親に話しかける内容も、「ほら、ママのお気に入りのバイク屋だよ」などと、死者の生前の生活を感じさせるリアルなものに次第になっていくのがいい。おそらく、タイにはこういう風習があるのだろう。なんとも奇妙な喪の儀式である。

タイトルの "I carried you home" の "you" とは、むろん、死んだ母親のことを指すのだろうが、母親の死をきっかけに、何年も故郷を離れていた姉が帰郷することを考えるならば、死んだ母親が姉を家に連れて帰ったということもできる。そういう意味では、これは二重の意味で "going home"〈帰郷〉の映画なのである。