別に忙しかったわけでもないのだが、あまり書く気になれなかったのでしばらく更新できていなかった。最近見て印象に残った映画についてメモ書き程度に記しておく。
オーソン・ウェルズ『風の向こう側』★★★
内田吐夢『警察官』(1933) ★★★
キング・ヴィダー『城砦』(The Citadel, 1938) ★★½
溝口健二『ふるさとの歌』★★
ミケランジェロ・アントニオーニ『ポー川の人々』★★
『城砦』はヴィダーの中ではどちらかというとマイナーな作品に分類されている映画だと思うが、全然悪くなかった。フォードの『人類の戦士』(31) などが切り開いた医学ものの流れをくむ作品の一つである。実はイギリス映画。実在の人物を描いた映画ではないけれど、内容的にはウィリアム・ディターレが得意とした偉人の伝記映画などに近い。新しい発見をした科学者が周囲の無知に苦しめられるというのはディターレの伝記映画などでもお約束の展開だが、患者の無知につけこんで金儲けをすることしか考えていない医者たち(レックス・ハリソン)を通して、医学の腐敗を描いているところはこの時代としてはかなり踏み込んでいたはず。
内田吐夢の『警察官』は前々からずっと見たかった作品。今回、京都ヒストリア映画祭でようやくその夢がかなった。小津安二郎の『非常線の女』と同じ年に撮られたサイレント映画だが、むしろ同時代のフリッツ・ラングの『M』などと比較したくなる作品である。それどころか、この映画は同時代の世界の映画と比べても一歩先をいっていた感がある。画面のはるか奥から一台の車が走ってき、カメラの前で警察の検問に引っかかる冒頭のファースト・ショットからドキドキさせられる。車の後部座席に乗っていた何やら怪しげな男と車の窓から覗き込む検問の警官が、実は学生時代の親友であったことがわかるところから、物語は動きだす。隠れゲイ映画という説もあるらしいが、普通に見れば、『男たちの挽歌』や『インファナル・アフェア』といった、男たちの絆をいささか過剰に描いた香港ノワールを思わせる内容である。夜の闇にポツリと浮かび上がる派出所を俯瞰から捉えたショットや、建物を間に挟んで画面の奥に見え隠れする人物を横移動で捉えるトラベリングなど、忘れがたいショットが多々ある。クライマックスの屋根を使ったアクションはまるで時代劇のように撮られているし、バイクの使い方にもびっくりした。この時代にこんなフィルム・ノワール的な現代劇が日本で撮られていたことに、本当に驚かされた。
しかし、ここ最近の最大の映画的事件といえば、やはり、オーソン・ウェルズの『風の向こう側』の公開だろう。未完のままだった幻の作品(未完であることはウェルズの映画の本質であると言う人さえいる)がついに公開される。たしかに、これは待ちに待った瞬間であるはずなのだが、同時に、なんとも言えないもやもやした気分もつきまとう。果たしてこの完成版はウェルズが思い描いていた通りのものであるのだろうかという疑念が一つにはあるし、さらには、この映画がネットを通してのストリーミングという特殊なかたちで公開されてしまったということもある。
ヘミングウェイやレックス・イングラム、そしてもちろん演じるジョン・ヒューストンやウェルズ自身も幾分は投影されているだろう一人の映画監督が、ドン・キホーテよろしく映画製作に悪戦苦闘する姿を、ディオニュソス的な狂騒として描くこの映画の、概要だけでも提示するのは一苦労するにちがいない。ヒューストンがやおらライフルを手にしてマネキン人形を撃ち抜いてゆくモノクロ画面に、色とりどりの花火が空に打ち上げられる夢のようなカラー画面が続く、ラストの数10分間はとりわけ必見であるとだけいっておく。
『警察官』と『風の向こう側』については、いずれまた機会があれば、もう少し詳しく論じてみたい。