明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ディーヴァ誕生――マリオ・カゼリーニ『されどわが愛は死なず』


マリオ・カゼリーニ『されどわが愛は死なず』(Ma l’amor mio non muore!, 1913) ★★★


第一次大戦前のイタリア映画は、ハリウッドにさえ負けていないどころか、その先をいっていた。アメリカ映画がまだ一巻ものの作品ばかりを作っていたとき、イタリアでは数巻よりなる長編映画が撮られていたのである。ジョヴァンニ・パストローネの大作『カビリア』(1914) が、まだ『イントレランス』に着手する前のグリフィスに多大な影響を与えたことは映画史の常識に属する事実である。1909年に、イタリアは、世界で最初の映画祭なるものを発明さえしていた。世界的に見てもイタリアは映画の最前線にいて、その短い絶頂期を迎えていたのである。

しかし、この頃イタリアで作られていたのは『カビリア』に代表されるような史劇の大作だけではない。大詩人であり、当時の人気作家であったガブリエーレ・ダンヌンツィオが官能的なスタイルで恋愛を描いた作品が次々とスクリーンに脚色され、〈ダヌンツィオ主義〉などと呼ばれて人気を博していた。1911年には6本ものダヌンツィオ作品が映画化されている(そのうちの一本『イノセント』は後にルキノ・ヴィスコンティによって再映画化されることになるだろう)。そして、これらの作品で〈運命の女〉を演じた女優たちは〈ディーヴァ〉(女神)の名で呼ばれ、そこからハリウッドの〈スター・システム〉に相当する〈ディヴィズモ〉なる言葉も生まれた。

史劇『ポンペイ最後の日』でも知られるマリオ・カゼリーニが監督した『されどわが愛は死なず』は、ダヌンツィオを原作とする作品ではないが、これもまたダヌンツィオ映画の系譜に属する作品であり、ヒロインであるエルザを演じた女優リダ・ボレッリは、イタリア映画における最初のディーヴァであると言われている。彼女がこの映画で見せる苦悶の表情や、両手を大きく差し出し体をくねらせる悲しみの仕草は、これ以後次々と現れるフランチェスカベルティーニ,ピナ・メニケッリ,マリア・ヤコビーニなどのディーヴァたちの演技の原型となるものだった*1


大事な軍事機密書類をスパイによって盗まれてしまった責任をとって父親が自殺したあと、自らも国を追われることになった令嬢エルザは、歌手となって舞台の上で第二の人生を始めるが、異国でそれと知らずに故国の皇太子と恋に落ちる。しかしそのことが大公国に知られてしまい、2人は引き離されてしまう。失意と自己犠牲の精神から舞台上で毒を飲んだエルザのもとに皇太子が駆けつけ、瀕死の彼女に「私の愛は死なない」と囁きかける……。


とまあ、要約すると物語はこんなふうになると思うが、実のところ、この映画においてストーリーはさして重要ではない。少なくとも、当時の多くの観客にとって、ディーヴァ映画の物語はディーヴァたちの演技を見るための口実に過ぎなかった。この映画では、ほとんどの場面が固定ショットの長回しによって撮られている。当時の映画の標準に比べても、この映画のショット数は少ないように思えるが、これは、女優リダ・ボレッリの演技を堪能するためには至極もっともなスタイルであったと言えるだろう。劇場の楽屋に置かれた三面鏡は、画面手前のフレーム外の出来事を画面奥に反射してみせるだけでなく、リダの仕草をあらゆる角度から観客に見せる視覚装置としても機能している。

この映画ではショットの数が少ないだけでなく、中間字幕の数も極めて少ない。編集よりも演技に、動作よりもポーズに重きが置かれ、観客はしばしば、物語上なんの新しい情報もない場面をしばらく見続けることになる。リダが駅のホームにおかれたテーブルで、おそらく皇太子への別れを告げる手紙を書いている姿を数分間に渡って長回しで撮り続けた名高いシーンでは、説話上においてこの行為が意味するもの以上に、手紙を書く彼女の顔の表情の変化や、涙を流し、両手で顔を覆い、そして、一瞬の決意から涙を振り払うといった身体の演技を観客に見せることこそが、重要だったのである。(とはいえ、おもに上流階級の家庭を舞台に、手の届かないところにいる存在であるディーヴァ(女神)たちを描くこうした映画が、中産階級の観客にとって心地よい逃避の空間となっていたという社会的側面は忘れるべきではない。)

多くのディーヴァたちと同じく、リダ・ボレッリも、映画デビューする以前にすでに舞台で活躍していた大女優だった。観客は、映画のヒロインであるエルザではなく、女優リダ・ボレッリを見に映画館にやってきたといったほうがいい。そもそも、エルザとリザの境界は、この映画では至極曖昧なものになっている。とりわけ、後半、彼女が女優=歌手として活動し始めるようになってから、その境界線はますますぼやけてゆく。服毒自殺するエルザは、『椿姫』のマルグリット・ゴーチエを演じながら死んでゆくのだが、この美しいラストシーンで観客が眼にするのは果たしてエルザなのか、リダなのか。更にいうなら、この場面で彼女に寄り添う皇太子も、まるで『椿姫』のアルマンのように振る舞っている。ついでながら、この最後の芝居をボックス席から(?)皇太子が見ているショットにおける、フレーム・イン・フレームの構図も素晴らしい。ここでは、画面手前の暗さが舞台の明るさを強調し、彼はまるでスクリーンの映像を見ているようにも見える。(ちなみに、この場面で演じられているのはピエール・ベルトンの『舞姫ザザ』*2だとする解説もあるのだが、映画の画面の中には手がかりらしきものがあまりないので、どちらが正しいのか判断しかねる。)


この作品を皮切りに、1910年代の後半まで数多く作られたディーヴァの映画は、1920年代に入るとぱったり作られなくなってしまった。



ダニエル・シュミットの映画の1シーンに出てきてもおかしくない船上のショット)

*1:興味深いことに、ディーヴァたちのこうした身体演技は、シャルコーらが研究したヒステリー患者のみせる身体の動きと類似していることがしばしば指摘されてきた。

*2:ジョージ・キューカーが映画化している作品。