明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

イングマール・ベルイマン『牢獄』

イングマール・ベルイマン『牢獄』(Fängelse, 49) ★★½


ベルイマンが初めてオリジナル脚本を映画化したという意味では、彼の最初のパーソナルな作品。

映画の撮影が行われているスタジオの光景から映画ははじまる(これは、ベルイマンが映画のなかで映画をテーマにした最初の作品である)。映画監督マルティンを訪ねて、かつての恩師ポールがスタジオにやってくる。ポールは、「この地上は地獄である」という映画のアイデアを持ってきたのだったが、マルティンはそれを一笑に付す。

ここからマルティンを主人公とした物語が始まるのかと思いきや、そうはならない。マルティンの友人であるトーマスとソフィのカップルが登場し、脚本家であるトーマスが、最近知り合って取材したある娼婦、ブリジッタの物語を話し始めると、語りの中心は、映画内映画のかたちで物語られてゆく、娼婦ブリジッタとそのヒモであるピーターの話へと移行してゆく。その映画内映画の導入部分には、ナレーションのかたちでスタッフが紹介され、監督はイングマール・ベルイマンであると語られる。ただし、この映画内映画は、トーマスが取材した本当の話であるらしく、トーマスやソフィも登場してくる。だから、どこからが映画内映画なのかは、正直、判然としない。

その映画内映画で、ブリジッタは、妊娠した子供をピーターによって半ば強制的に堕胎させらる。その罪の意識を背負いながら、彼女は一旦はピーターの元を離れて、やはりソフィと別れたトーマスと、ほんの短い間だけ幸福な時間を過ごすのだが、結局、ピーターのもとに戻って、最後は自殺する。

映画の構成はお世辞にもわかりやすいとはいえず、よほど注意してみていないと話の筋を見失うに違いない。この映画を制作する際、ベルイマンは無理解なプロデューサーのせいで、予算も撮影スケジュールも削られ、非常に制約された条件のなかで映画を撮らざるを得なかったと言うが、それがこの映画のわかりにくさの原因になっているとは一概にはいえまい。とにもかくにも、この制約が、結果的に、この作品をこの時期のベルイマン作品のなかでもひときわ実験的な映画にしたとは言えるかもしれない。

ブリジッタが見る悪夢(堕胎した自分の赤ん坊が、バスタブのなかで魚に姿を変え、絞め殺される)や、逆光によって撮影されたコントラストの強いモノクロ画面など、ベルイマンの世界はすでにほとんど出来上がっている。

一方で、この地上こそが地獄であるというテーマは、いささか不器用に、性急に提示されていて、あまり説得力はない。

《映画》のテーマはそれほど深く追求されているわけではないが、トーマスとブリジッタが屋根裏部屋で、手回し式の映写機を使ってサイレントのスラップスティック喜劇を見る場面は忘れがたい。この映画はおそらくはベルイマンが少年時代に見たサイレント映画パスティッシュであり、その意味でベルイマンと映画自体の幼年期の幸福が、この恋人たちの短い幸福な時間と重なり合う、そんな場面である。この場面は、ゴダールが『映画史』のなかで何度も繰り返し挿入するショットとしても名高い(ここで出てくるサイレント映画はたしか『ペルソナ』の中でも使われているはずであるが、要確認)。


ちなみに、映画監督マルティンを演じるハッセ・エクマンは、スエーデン時代のバーグマンの主演作『間奏曲』で知られる男優ヨースタ・エクマンの息子であり、当時は監督としてベルイマンとは比べ物にならないほど有名だった。