明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『キラー・マスト・キル・アゲイン』『ウォード夫人の奇妙な悪徳』


たまたま(?)ジャッロ映画を続けて見てしまったのでかんたんにメモしておく。

ルイジ・コッツィ『キラー・マスト・キル・アゲイン』
(L'assassino è costretto ad uccidere ancora, 75, 未) ★★

妻を疎ましく思っている男(ジョルジオ)が、寂しい埠頭の電話ボックスで電話をしているときに、偶然、謎の男が殺した女を車に乗せて海に沈める瞬間をみてしまう。しかし彼は、警察に通報する代わりに、犯人にある話を持ちかける。今見たことは黙っていてやるから、自分の妻を殺してほしいというのだ……。

こうして、交換殺人めいた場面から映画は始まるのだが、謎の男がジョルジオの家で彼の妻を殺した直後に(むろん、この時、ジョルジオは別の場所でアリバイを作っている)、女の死体を乗せた彼の車が軽薄なカップルによって盗まれてしまうあたりから話が横滑りしてゆき、ロードムーヴィー風サスペンス映画とでもいったものに変わっていくところがなかなか面白い。

カップルの女のほうが謎の男によって強姦されている場面と、カップルの男のほうがたまたま拾った別の女とカーセックスしている場面とをカットバックしてみせるシークエンスなどに、ジャッロ映画の紋切り型に対する作り手の批評意識のようなものが感じられる(優れたジャンル映画というのは、しばしばそのジャンルに対する批評を含んでいるものだ。この映画ではそれがさほど成功しているように思えないが)。

特典映像のインタビューを見ると、この監督は、ゴダールの『アルファヴィル』の影響丸出しのSF映画を撮っていたりするらしい。ちょっとだけ興味が湧いてきた。他の作品ももう少し見てみたい。


セルジオ・マルティーノ『ウォード夫人の奇妙な悪徳』
(Lo strano vizio della signora Wardh, 71, 未) ★★½


外交官の妻ワルド夫人には3人の男がいた。異常なほどサディスティックな過去の恋人ジャン、結婚したばかりの夫ニール、そして新たにできた愛人ジョルジュである。彼女と3人の男の関係が複雑になってゆく一方で、いま彼女が滞在しているウィーンでは、女性ばかりを狙ったシリアル・キラーによる殺人事件が街を騒がせていた。やがて彼女は、ジャンこそがシリアル・キラーなのではないかと疑いはじめる……。

60年代末に登場したダリオ・アルジェントの作風の影響が強く感じられるジャッロ初期の佳作。この映画は、マルティーノの長編劇映画2作目で、彼がわずか30歳の頃の作品である。それにしては堂々たる演出ぶりで、観客の予想を少しづつ裏切るようにしてサスペンスを持続させてゆく手腕はすでになかなかのものであるし、空間把握にも才気が感じられる。ヒロインにつきまとう謎の人物が指定した庭園に、ヒロインの女友達が代わりにおもむく場面では、シネスコの画面全体をあえて無駄に使い、だだっ広い何もない空間に巧みにサスペンスをみなぎらせることに成功していた。ここはたぶん、『北北西に進路を取れ』で、ケイリー・グラントが辺り一面何もない一本道で飛行機に追いかけられるシーンからヒントを得たのだろう。そういう意味では、たしかに目新しいところは何もない映画かもしれないが、監督2作目で、様々な影響を消化してこれだけの作品を撮れれば十分だろう。

あまり詳しく書けないが、後半の二転三転する展開もミステリー・ファンには嬉しいはずだ(意外性を求めるあまり多少強引なところも見られるが、基本的にはよく出来ている)。