セルゲイ・コマロフ『メアリー・ピックフォードの接吻』(Potseluy Meri Pikford, 1927) ★★
「メアリー・ピックフォードの映画にふくまれる甘いプチ・ブルジョア的毒は、健全で進歩的な観客の中にさえ残っているプチ・ブルジョア的な傾向を意図的に刺激することで、搾取し、手懐ける」(エイゼンシュテイン)
「ヨーロッパの観客が『戦艦ポチョムキン』の水夫たちを見て熱狂していたとき、ロシア人たちはメアリー・ピックフォードとルドルフ・ヴァレンチノを夢見ていた」(クリス・マルケル『アレクサンドルの墓/最後のボルシェヴィキ』)
1926年にツアーでロシアを訪れていたメアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスを、本人役で登場させ、物語の重要な登場人物にしてしまった、ある意味で商魂たくましいロマンティック・コメディ。セルゲイ・コマロフは主に俳優として知られている名前であるが、この映画をふくめて2本だけ監督作品がある。彼も、プドフキンやバルネットなど多くの監督たちと同じくレフ・クレショフの門下生だった。
映画館に務める主人公の青年は、ピックフォードに憧れる女優の卵に惚れている。女優の卵に「スターになってから来なさい」と言われた青年は、怪しげなフィットネスクラブに通ってスターを目指す。その努力はさして実らないのだが、映画撮影中のピックフォードが何故かかれに目を留め、青年はピックフォードのラブシーンの相手役に大抜擢される。そのシーンのなかでピックフォードに頬にキスされた青年は、メアリーにキスされた男としてどこに行っても VIP 扱いされるようになる。こうして念願のスターとなった青年だが、彼のあとを狂ったように追い回し始めるファンの行動は次第にエスカレートしてゆき……。
他愛のないコメディであるが、この NEP(新経済政策)の時代に、海外の(とりわけハリウッドの)映画がどのように受容されていたのかがよく分かるという意味で、非常に興味深い。映画史において、20年代のロシア映画は、いわゆる「モンタージュ派」の作品のみによってややもすれば代表されてしまいがちであるが、もちろん、実際には、もっと因習的な、早い話がハリウッド風の映画も数多く作られていた。一方で、ピックフォードやフェアバンクスの映画を始め、チャップリン、キートンなどのハリウッド映画が次々と公開され、人気を博していた。この映画は、そうした状況をわかりやすく皮肉交じりに描いている。ただ、この作品が、ハリウッド映画への大衆の熱狂ぶりを、真剣に憂え、批判しようとして作られた映画であるかというと、それはかなり怪しい。
冒頭に引用した言葉からもわかるように、エイゼンシュテインはメアリー・ピックフォード主演の映画をプチ・ブル的と批判していた。だとすれば、劇映画を全否定していたジガ・ヴェルトフにとっては、彼女の映画はなおさら唾棄すべきものに映っていたに違いない。しかし、この映画にはエイゼンシュテインやヴェルトフらがこうした映画に対して抱いていたネガティヴな意識は微塵も感じられず、それどころか革命などまるでなかったかのように作られている。
噂の域を出ないが、この映画には、初代教育人民委員(文相)であったルナチャルスキーも関わっていたらしい。ルナチャルスキーといえば、「あらゆる芸術のなかで、映画はもっとも重要な芸術である」というレーニンのよく知られた言葉を自著のなかで伝えた人物として有名である。彼はその同じ著書のなかで、レーニンの主張を敷衍する形で、映画は社会主義のイデオロギーをただ主張するだけでなく、大衆にアピールするものでなければならないという考えを述べていた。退屈なアジテーションは、反アジテーションになりかねないというわけである。もしも、ルナチャルスキーが関わっていたというのが真実であるとするなら、この一見何の政治性も感じられないコメディにも、なにがしかの政治的な意図が込められていたと考えることもできるのだろうか。
すったもんだの末に恋人と結ばれた主人公の青年は、最後に、頬に残っていたメアリー・ピックフォードのキスのあとを拭い去り、元の静かな生活へと戻ってゆく。この終わり方に某かのメッセージを受け取るべきなのか(だとしても、それは弱々しすぎるメッセージであると言うしかない)
ちなみに、映画をテーマにしたこの映画には、実は、あのアブラム・ロームも映画監督役でカメオ出演している。