明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。





























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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ハワード・ホークス讃



神戸映画資料館でのハワード・ホークス特集の宣伝がてらにツイッターでつぶやいていた「ハワード・ホークス讃」を、いくらか書き足した上でまとめました。



ホークスが持っているコメディのタイミングの才能は、他の追随を許さない。[…]『ヒズ・ガール・フライデー』の、ケイリー・グラントロザリンド・ラッセルが丁々発止とやりあう会話でのタイミングの素晴らしさは、「タイミング」とは一体なんであるかを学ぶために、あらゆる映画監督、映画を学ぶあらゆる学生に、見せられてしかるべきであろう。

サミュエル・フラー*1

明白さは、ホークスの天才の印である。『モンキー・ビジネス』は天才の映画であり、その明白さによって有無を言わさず見る者の精神を納得させてしまう。[…]すべてのホークス映画がまず第一に美に対して捧げるものはやはりその肯定をおいてほかにはない。ひるむことも後悔することもなく、ただ静かに自信を持って行う肯定の身振りのほかにはない。ホークスは歩くことによって運動を明らかにし、呼吸によって生を明らかにする。在るものは在るのである。

ジャック・リヴェット

ハワード・ホークスの映画を心の底から愛せない者には、どんな映画であれ心の底から愛することはできない。

エリック・ロメール

ホークスについてわたしが非常に面白く感じることは、ああした全てのインタビューの中で、彼はインテリたちを批判し、小言をいっていることだが、わたしの意見では、 ホークスはアメリカの映画作家のなかで最も知的な一人だ。[…]かれは本能的な映画作家ではない。やることすべてに考えをめぐらしていて、すべては考え抜かれている。だから、いつかは、誰かが、彼自身の意志にもかかわらず、彼はインテリであり、彼はそのことを受け入れねばならないと伝えなくてなはならない。

フランソワ・トリュフォー

彼は監督そのものに見え、監督のように振る舞い、監督のように話した。それに彼はすごい監督なのだ。

ドン・シーゲル

ハワード・ホークスは映画史上最高のストーリーテラーだ。そしてたぶん最高のエンターティナーだ。一本をのぞいて、ハワード・ホークスがわたしを失望させたことは一度もない。

きみたち「カイエ」と違って、わたしは『ハタリ!』が好きじゃなかったが、ホークスの何本かの作品は大好きだ。たとえば、最新作の『男性の好きなスポーツ』とかね。あれは、賢い老人によって撮られた、若さと優雅さに溢れた映画だ。

ホークスは素晴らしい監督だが、反動的な人間だと私は信じている。少なくとも彼の人生においてはだ。ところが人は、そのことを彼が作る映画のなかでは感じないし、彼と一緒に仕事をするときも、そんなことはこれっぽちも感じられないときている。

ハワード・ホークスアメリカで最高の映画監督だと思う。わたしは彼以外に、あらゆるジャンルで名作を作った監督を知らない。批評家たちはマックス・オフュルスオーソン・ウェルズのワン・カットの移動撮影のことを言うが、1932年という早い時期に作られた『暗黒外の顔役』のワン・カットで処理された驚くべきオープニング・ショットのことには、ついぞ触れようとしない。笑いのタイミングの巧さときたら、ホークスの右に出るものはない。納得がいかなければ『ヒズ・ガール・フライデー』を一目見るだけでいい。ハワード・ホークスこそ、文字通りアメリカ映画を作り上げた男だとわたしは思う。彼はわれわれ自身、われわれのありようとあり方を、われわれに見せてくれたのだ。

ジョン・カーペンター

ハワード・ホークスは、現在のアメリカの最も偉大な映画作家の数人のうちに数えられるであろう。少なくとも『黒い罠』(これは『市民ケーン』よりはるかにすぐれている)のオーソン・ウェルズや、『サイコ』のヒッチコックより劣ることはない。ニューヨーカー劇場の特集で、再び彼の映画を9本見て、私は以上のことを確信した。ホークスの『空軍』一つを考えてみても、エイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』よりはるかに素晴らしい。『空軍』の澄み切った美しさに比べると、『ネフスキー』はオペラのように作為的で、大げさである。

ジョナス・メカス

彼は人間というものを知り尽くしていた、とわたしは思う。心の奥底にあるものを。

マイケル・パウエル

この〈古典的な〉、という観念がいかに相対的なものかを理解するには、アメリカの最も偉大な作家の歩んだ道を考察すればことたりるのだ。その作家とは、ハワード・ホークスである。『コンドル』の芸術から『ヒズ・ガール・フライデー』の、『三つ数えろ』の、さらには『脱出』の芸術に至るまで、われわれはそこに何を見るか? 分析への傾向が確固たる姿をとること。視線の動きや、歩く様子に付与されるあの人工的な偉大さを愛すること。簡単に言えば、つまり、映画が自分の誇りとしうるものをだれよりも愛し、そしてその誇りを鼻にかけてアンチ・シネマに興じたりせず(この点に関しては、『マクベス』を作ったオーソン・ウェルズ、『田舎司祭の日記』を作ったロベール・ブレッソンを断罪したい気持ちだ)、逆に、映画の限界を厳密に知りぬいた上で、その本質的な法則を定めることではないか。

ジャン=リュック・ゴダール

僕が大好きな作品に、 ハワード・ホークスが監督した『ヒズ・ガール・フライデー』という映画があるんです。戯曲の映画化なんだけど、脚本は180ページにもわたる長さなのに、映画自体は92分なんです。なぜなら、役者たちの話すスピードが、ものすごく速い。現代の役者にはできないんじゃないかというくらい。こちらが一度ペースを定めてしまえば、観ている人はついてくる。そう教えてくれたこの映画を、常にモデルとしてきました。小津安二郎ヴィム・ヴェンダースみたいに、静かでゆったりとした映画ももちろん好きですけど、僕の映画やコメディの場合は、速いほうがしっくりくるなと思います。

ウェス・アンダーソン

*1:第二次大戦が始まろうとしていたころ、フラーが新聞人について書いた小説『暗いページ』にホークスは興味を示し、エドワード・G・ロビンソンとボガート主演で映画化するために権利を買い取る。例によって、ホークスは原作の男性主人公を女性に変えて映画にするつもりだった。しかし企画は実現せず、フラーの知らないあいだに小説の権利はよそに転売されてしまう。ちなみに、『最前線物語』には、第二次大戦中、戦地で仲間がこの小説を読んでいるのを見て、それは自分が書いたのだと言うが、信じてもらえなかったという、フラー自身が体験したエピソードが出てくる。

*2:『革命前夜』には、「アゴティーノ! 『赤い河』を見に行くんだぞ。見逃すな!」という台詞が出てくる。

*3:まだ監督デビューする前だったヒューストンは、ホークスの『ヨーク軍曹』で、ハワード・コッチらとともに脚本に参加し、当時存命中だったヨークに取材するなどして、この映画の方向性を決める上で重要な役割を果たした。