明るい部屋:映画についての覚書

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『編集室の床に落ちた顔』──エルネスト・ボルネマンについての覚書

キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』(The Face on the Cutting-Room Floor)

映画会社に勤めるキャメロン・マケイブは、完成間近の新作からある新人女優の登場シーンを全てカットするようにとの命令を受けた。その翌日、編集室で当の女優が手首を切って死んでいるのが発見される。自殺か他殺か。真相は、編集者のロバートソンが編集室に仕掛けた自動カメラが捉えていたはずなのだが、肝心のフィルムが消えている。捜査の難航をあざ笑うかのように、第二の事件が発生し……。“どんな探偵小説でも無限の終わり方が可能”と主張する作者が仕掛けた、二度と使えぬトリックとは? 「全ての探偵小説を葬り去る」と評された問題作。

(単行本裏表紙より)


夢野久作ドグラ・マグラ』、中井英夫の『虚無への供物』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』など、ミステリーには奇書と呼ばれるカルト作品が少なからず存在する。キャメロン・マケイブ作『編集室の床に落ちた顔』も、そんな奇書の一つとしてミステリー・ファンに知られている作品である。もっとも、三大奇書と呼ばれる上記3作品と比べると知名度はだいぶ劣るから、ミステリー・ファンの中にも知らない人は多いかもしれない。



「編集室の床に落ちた顔」というなんとも奇妙なタイトルは、冒頭に説明があるように、映画業界の用語で、

「映画が完成したあと、何らかの理由により、彼らの出番は不必要だということが判明し…ハサミのひと裁ちでばっさりと(フィルムから)切り落とされた…男優あるいは女優のこと」

を意味するそうだが、わたしはこの小説のことを知るまで、こんな表現は聞いたことがなかった。物語の舞台となっているのはイギリスの映画会社であり、ひょっとするとイギリス特有の表現なのかもしれない。手元の辞書には、

 be on the cutting-room floor
 役に立たない, 価値がない, 求められていない.

という熟語表現が見つかるくらいである。この表現も、もともとは編集室の床に打ち捨てられたフィルムの屑に由来するのかもしれない。とにもかくにも、「床に落ちたフィルム」ではなく、「床に落ちた顔」という言い回しがなんとも不気味である。


『編集室の床に落ちた顔』は、映画会社で編集の仕事をする語り手マケイブが、完成したばかりのある映画から、主要人物の一人を演じる女優の出演場面をすべてカットするように上から命じられるところから始まる。そんなことをすれば物語の前後の繋がりさえ危うくなるにちがいないこの不可解な要求にマケイブは首をかしげるが、黙って従う。しかし、その直後に、出番をカットされたまさにその女優が編集室の床に死体となって横たわっているのが見つかり、謎解きが始まるというわけである。


自殺なのか、それとも殺人なのか。殺人現場には、映画会社の編集者が発明した自動で撮影を開始するキャメラが仕掛けられていたが(小説の時代設定は、まだビデオなど存在しない1930年代の半ばである)、撮影されたはずのフィルムは何者かによって抜き去られていた。スコットランドヤードのとぼけた警部スミスが登場し、シニカルな語り手マケイブと腹のさぐりあいのような推理合戦を繰り広げる中、問題のフィルムが見つかるが、それによって明らかとなった犯人らしき人物もまた殺されてしまう。捜査が進むにつれ、人物たちの知られざる過去や、以外な人間関係が浮かび上がゆくが、やがて、自分が犯人だと告白する人間が次々と現れ、事態は混乱を極めてゆく……。


ミステリーなので、前半の(というか、本編の)本格推理小説ふうの展開についてはあえて詳しく述べない。犯人が逮捕されたあとの、衝撃の展開についても触れないでおく。実は、この作品が怪作であるゆえんはそんなところにはない。犯人の意外さや、トリックの巧妙さ(そんなものがあればの話だが)さえ、ここではさして重要ではない。この小説には、真犯人が明らかとなり、すべてが終わったあとに、第三者によって書かれたエピローグが付されているのだが、この一見無駄とも思える長々しいエピローグこそが、この小説の主眼であり、怪作であるゆえんなのである。


エピローグの筆者は、事件の全体を推理小説として分析し、批評を加え、複数の解釈を提示してゆく。その内容はやがて事件を置いてきぼりにして、一種の推理小説論、というか反推理小説論とでも行ったものに近づいてゆくのだが、その中で、本編で物語られてきた殺人事件は、輪郭を明確にしてゆくどころか、一層とらえどころのないものになってゆく。メタフィクション(頭が悪そうなのであまり使いたくない言葉だが)的な構成の中で、推理小説自体が脱構築されてゆくとでも言えばいいか。

今では、こういう趣向のミステリーもさして珍しくなくなったが、この小説が書かれたのは、実に、今から80年以上も前の1937年である。出版された当時、評価する人も少なからずいたようだが、この早すぎた問題作が同時代のミステリーファンからは概ね黙殺され、早々に忘れ去られてしまったのも、当然といえば当然だったのだろう。再評価が始まるのは、ようやく1970年代になってからだった(ジュリアン・シモンズがその推理小説史『Bloody Murder』(72) の中で、この作品を高く評価したのがきっかけだったと言われる)。

しかも作者のキャメロン・マケイブは、この小説を書いたとき若干20歳の青年だったというからびっくりである。それだけでなく、彼は英語を母国語とする人間ですらなかった。そもそも、キャメロン・マケイブという名前自体が、彼がこのミステリーのためにだけに使ったペンネームに過ぎない。エルネスト・ヴィルヘルム・ユリウス・ボルネマンが彼の本名である。ボルネマンはもともとドイツ生まれで、33年にナチスを逃れてイギリスに渡り、そこで自分の英語が使い物になるかどうかを試すために、ただそれだけのために書いたのがこの早熟な推理小説であったというから本当に驚きである。


もっとも、ボルネマンについては、資料によって書いていることが微妙に違っていたりして(この小説を書いたときの年齢も、19歳だったり、22歳だったりとまちまちである)、まだまだわからないことが多い。イギリスでこの作品を出版したあと、彼はカナダ、フランス、イタリアとあちこちを転々とし、また、作家以外にも、映画製作者、レーサー、ジャズ・ミュージシャン、ジャーナリストなどさまざまな職業に従事して、1995年に亡くなったときにはオーストリアの寒村で性科学の研究に没頭していたという。

ボルネマンの経歴については、『編集室の床に落ちた顔』の訳者解説の中で簡単にまとめてあるし、ネットを調べればいろいろと書かれたものが見つかると思う(繰り返すが、ボルネマン本人について書かれたそれらの記述を読み比べてみると、細かい部分でいろいろ食い違いがあるので、あまりかんたんに信用しないほうがいい)。なので、ここでは、ボルネマンと映画との関わりについてのみ、他ではたぶん書かれていないだろうことを記しておこうと思う。


IMDb の "Ernest Borneman" の項目には、彼が手掛けた脚本作品*1と、本人として出演した2本のテレビ番組が挙げられているだけであり、映画製作者としての記載はない。しかし、実際には、ボルネマンと映画との関わりは、もう少し深かったようである。

ジョナサン・ローゼンバウムの『Movie Wars』には、脚注の形ではあるが、エルネスト・ボルネマンと映画との関わりについて少しばかり触れた箇所がある。訳すのも面倒なので、そのまま英語で引用しておく。


Ernest Borneman was a German psychotherapist (1915–1995) who was also a novelist, playwright, cameraman, film director, screenwriter, writer for TV and radio, prolific journalist, and jazz musician. Borneman worked for Orson Welles in the late forties and early fifties by scripting an adaptation of Homer’s The Odyssey—eventually realized in altered and uncredited form by producers Carlo Ponti and Dino De Laurentis, actor Kirk Douglas, and director Mario Camerini as Ulysses (1955)—and by writing several scripts for the radio series The Adventures of Harry Lime; he was also apparently responsible for Welles’s discovery of Eartha Kitt. Borneman’s fascinating and multifaceted career—which began in the United Kingdom with studies in social anthropology and archeology and ended in Austria with studies in sexuality and child psychology—clearly merits further research; for most of the information in this footnote, I am grateful to Welles scholars Hans Schmid, who interviewed Borneman shortly before his death, and James Naremore, who lent me his copy of Borneman’s first novel, The Face on the Cutting-Room Floor (1937), a mystery credited pseudonymously to Cameron McCabe that includes a detailed account of Borneman’s career in its afterword (New York: Penguin Books, 1986).


これを読むと、ボルネマンは脚本家であっただけでなく、カメラマンでもあり、映画監督でもあったことになっている。しかしそれ以上に驚いたのは、ボルネマンがオーソン・ウェルズと少なからぬ関係を持っていたらしいことである。40年代末から50年代の初めにかけてホメロスの『オデュッセイア』の脚色に関わり、それは結局、ウェルズではなくマリオ・カメリーニよって、『ユリシーズ』として完成するわけだが、他にも彼は、『ハリー・ライムの冒険』(もちろん『第三の男』のあのハリー・ライムのことであろう)というラジオ・ドラマの脚本も手掛けていたらしい。

ネットなどで『編集室の床に落ちた顔』について書かれたものをざっと調べてみた限りでは、ボルネマンのこのような映画との関わりについて触れたものはないので、ローゼンバウムのこの記述をどれほど信じていいのかわからないが、ボルネマンにインタビューしたウェルズ研究者ハンス・シュミットから得た情報だというから、それなりに信憑性はある。ちなみに、ローゼンバウムに『編集室の床に落ちた顔』の本を貸してくれたのは、オーソン・ウェルズについての本も書いているジェームズ・ネアモアだったという。


ボルネマンの波乱万丈の生涯は、調べれば調べるほど興味深く、彼自身が一本の映画の主題になりそうである。彼と映画との関わりについてもまだまだ未知の部分が多い。今後の宿題にしておく。



*1:そのほとんどはテレビ向けのものであるが、唯一の例外と言っていい映画作品が、テレンス・フィッシャーが監督した犯罪映画『Face the Music』である。これは、そもそもボルネマンの小説を彼が自ら脚本化したもののようだ。