明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。






































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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『アトランティック』『海賊のフィアンセ』『乙女の星』

『アトランティック』★★★
『海賊のフィアンセ』★★½
『乙女の星』★★

マティ・ディオップ『アトランティック』(Atlantique, 2019)


ダカールの高層ビルの建築現場で働く青年スレイマンは、彼と同じく貧しい家の娘アーダと恋仲である。しかし、アーダには親が決めた金持ちの婚約者がいた。彼女は家を捨ててでもスレイマンと一緒になるつもりだったが、現場で給料の未払いが何ヶ月も続いている状況に絶望したスレイマンは、アーダに黙って、仲間の男たちとともにボートで海を渡って新天地を目指す。しかし、やがて、彼らが乗った船は遭難し、みんな海の藻屑と消えてしまったという噂が流れてくる。スレイマンが死んだものと思ったアーダは、あきらめて婚約者と結婚するが、そんなとき、スレイマンの姿を見たものが現れる……。


非近代的な社会における恋愛を描いたメロドラマで嫌というほど繰り返されてきた物語──そんなふうに思わせて始まった映画は、やがて思いもかけぬ方向へと動き始める。一言で言うならば、これは幽霊を描いた映画であるのだが、それが同時に、腐敗した、不平等な社会への批判にもなっているところが実にユニークだ。社会的不正に対して抗議する幽霊たち。しかも彼らは、女たちの姿を借りて夜ごと現れ出るというところがまた面白い。幽霊を見せるにあたって、マティ・ディオップは鏡という単純な装置を用いて見事な効果を上げている。何よりも素晴らしいのは、明け方や深夜など、一日の中のさまざまな時間によってその表情を変える海の存在だ。幽霊たちが帰ってくるというファンタスティックな物語にリアリティを与えているのもまた、生死ともに飲み込みうごめいているようなこの海の圧倒的な存在感である。


ネリー・カプラン『海賊のフィアンセ』(La fiancée du pirate, 1969)


先ごろ亡くなった女性映画監督ネリー・カプランの代表作にして、おそらくは最高傑作。


マリー(ベルナデット・ラフォン)は、閉鎖的なフランスの田舎町の町外れにぽつんとある掘っ立て小屋で、まるで除け者のように、母親とふたりだけで暮らしている。町の人から魔女扱いされていた母親が車にはねられて死に、葬式もろくにさせてもらえないことがわかると、彼女は、自分が持っている唯一の武器、その美貌と体を使って町の人間に復讐することを誓う。やがて彼女の小屋には、町の男たち(だけでなく、彼女をこき使いながら、彼女を性的に搾取もしていた女主人まで)が、彼女の身体目当てにひっきりなしに訪れるようになる。彼女の存在によって町の人間たちの偽善が次々と暴かれてゆき、町の秩序は次第に崩壊してゆく。


ちょっとエロティックな大人のおとぎ話。マリーは自分の性的魅力を使って男たちから金を巻き上げてゆくのだが(彼女は自分の支配力が強まるにつれて、自分の〈値段〉を釣り上げてゆく)、彼女は金の亡者ではない。それどころか、金など無価値だとばかりに、彼女は稼いだ金を使って、かかりもしない電話(そもそも電話線が来てないのだから)など、役にも立たないものばかりを買い集め、客から巻き上げたたくさんの時計も、金に変えることなく壁にただ並べかけて飾っておく。やがてそうした物たちが溢れ出し、家の外にまで、まるでシュルレアリストの奇妙なオブジェのように積み上げられていくところが実に面白い。


伝え聞くところによると、ピカソはこの映画について、「傍若無人さが芸術にまで高められている」と語ったという。


アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれのネリー・カプランは、アベル・ガンスの映画に衝撃を受け、彼に会って、できれば彼と映画を撮りたいと思ってフランスに渡ってきたというユニークな経歴の女性。当時フランスでは半ば忘れ去られていたガンスは、彼女に触発されてふたたび映画製作への意欲を取り戻す(『アウステルリッツ』など、ガンスの晩年の数作品には、カプランが脚本に参加)。



クロード・オータン=ララ『乙女の星』(Sylvie et le fantôme, 1943)


これも幽霊を描いた名作。


シルヴィー(可憐なるオデット・ジョワイユが演じている)は、祖母の愛人で、決闘で殺された男アランが、幽霊となって自分のそばに存在しており、自分は彼のことを愛していると信じている。城の一室に飾られた巨大なアランの肖像画から、アランの幽霊が抜け出すところから映画は始まるのだが、シルヴィーの16歳の誕生日のサプライズに、父親が人を雇って幽霊を演じさせようとしたことから、偽物の幽霊と本物の幽霊が入り混じっての大混乱に……。


『アトランティック』とは違って、ヨーロッパの古城を舞台にしたオーソドックスな幽霊譚で、幽霊の描写も、本物の幽霊はオーヴァーラップを使って表現され、偽物の幽霊は KKK のように白い布を頭からかぶって登場するという、ごくごくありきたりのものだが、この映画で本物の幽霊を演じているのがあのジャック・タチであると知ったら、もう見ないではいられない。


偽物の幽霊を本物だと信じているシルヴィーに自分の姿を見せようとして、タチ演じる幽霊は白い布をかぶってみるのだが、いつもの癖で壁や床をすり抜けるたびに布だけが取り残されてしまうというギャグの繰り返しが、いかにもタチらしくて笑える。もちろんこの映画でもタチは一言も発しない。