明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。































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2020年10月31日(土)
連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見
第10回 最も物議をかもしたアメリカ映画──グリフィス『国民の創生』を再考する
http://kobe-eiga.net/program/2020/10/5558/
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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

忘れられた映画の町──ニュージャージー州、フォート・リー


(フォート・リーの断崖の上で撮影中のパール・ホワイト)


アメリカ映画が始めからハリウッドで作られていたと思っている人は多いだろう。しかし、実際は、アメリカの映画産業がハリウッドに完全に移行するのは1910年代の初めになってからであり、それまではアメリカ映画の大部分は東部で作られていたのである。

例えば、D・W・グリフィスがハリウッドに移り住むようになるのは1912年になってのことである。彼がバイオグラフ社を辞めるのは、その直後の1913年であるから、1908年に監督デビューして以来、グリフィスがバイオグラフ社で撮った作品(その数は450本を超える)の大部分は、ハリウッドではなくアメリカ東部で撮られていたわけである(もっとも、1909年頃から、グリフィスは単発的にではあるが、すでにカリフォルニアでの撮影を始めていたので、バイオグラフ時代にグリフィスがハリウッドで撮影をしていなかったわけではない*1)。

ハリウッドに移る前にグリフィスが作った作品のロケ地を調べてみると、デビュー作の『ドリーの冒険』はコネティカット州で撮られたようだが、ニューヨークで撮影が行われたものがやはり少なくない。そして、ニュージャージー州が撮影地になっているものが意外に多いことにも気づく。サイレント初期のアメリカ映画とニュージャージーとの結びつきにピンとこない人も多いだろう。しかし、ニュージャージーがしばしばロケ地に選ばれたのは偶然ではないのである。

そもそも、発明王トーマス・エジソンが世界初の映画カメラ、キネトスコープを発明し、1893年に世界初となる映画スタジオ〈ブラック・マライア〉を築いたのが、実は、このニュージャージーのウエストオレンジの地だった。グリフィスとエジソンは、ほんの一瞬であるが出会っている。1907年、エジソンの映画会社がニュージャージーのフォート・リー(Fort Lee)に『鷹の巣から救われて』を撮影しに来るのだが、この映画で俳優として初主演したのが、何を隠そう若きグリフィスだったのである。俳優としての才能はあまりなかったし、もともと目指してもいなかったグリフィスは、この直後にバイオグラフ社に入社し、監督としてその才能をいかんなく発揮してゆくことになるだろう。

フォート・リーの、起伏に富む丘や断崖絶壁、滝や森といった表情豊かな風景は、ときに異国情緒ある中東の都に、ときにロビン・フッドの活躍する森にも見せかけることができた。しかも、ハドソン川を挟んでニューヨークから目と鼻の先という地の利もあり、ここは映画の撮影にはまさにうってつけであった。やがてこの土地にはエジソン以外のさまざまな映画会社も押し寄せてくることになり、フォート・リーはまたたく間に映画の都となってゆく。1910年には Champion Film Company によってここに最初の映画スタジオが建てられ、やがてその他の映画会社もこれにつづいた。MGM や20世紀フォックスのルーツの一つもここあると言われる。グリフィスもバイオグラフ時代にこのフォート・リーで数多くの作品を撮影している(有名なものでは『寂しい別荘』や『ピッグ・アレイの銃士たち』)。



1918年までには11の映画スタジオがこの町に乱立していたという。ごくごく平凡だった町に、突然インディアンが走り回り、強盗や殺人者たちがうろつき、狂ったような追っかけ合いが行われるようになり(もちろん映画の中での話だが)、町の住民たちはさぞかし戸惑ったろう。しかし同時に、撮影所は、小道具や大道具係、さまざまな雑用やエキストラなど、思ってもみない雇用を町の住民に提供するものでもあった。そしてなにより、数々の映画スターたちがこの町を訪れてきたことを忘れてはいけない。ロスコー・アーバックルやウィル・ロジャーズ、メアリ・ピックフォードやリリアン・ギッシュなどなど……、こうした銀幕のスターたちが撮影に訪れ、町のあちこちで姿を見られたという。

しかし、そんな時代はそう長くは続かない。カリフォルニアの陽光が映画撮影に適していることがわかると、映画会社は次々と西海岸に拠点を移し始める(この映画産業の大移動には、特許によって映画産業を独占していたエジソンの支配から逃れるためというのも、大きな要因の一つになっていた)。1911年にはすでにネストール・スタジオがハリウッドで最初の映画スタジオを建てており、グリフィスも翌年にはこれに倣ってハリウッドに移り住んだ。そこに第一次世界大戦による石炭不足(石炭はスタジオを支えるエネルギー源だった)やスペイン風邪(インフルエンザ)の影響も加わり、1918年にはニュージャージーはもはや映画の都としては体をなさなくなっていたようだ。

このように、わずか10年ほどの短い間ではあったが、サイレント初期のアメリカ映画において、フォート・リーは間違いなく映画の都だった。しかし、今そのことをどれほどの人が覚えているだろうか。


*1:メアリー・ピックフォード主演の『ラモナ』(1910) はカリフォルニアで撮影された作品の最初の一例である。