明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

キプリング「ミセス・バサースト」と創成期における映画=小説

創成期の映画が同時代の文学にどのような影響を与えたのかについては、すでにいろいろ研究されているにちがいない(ちなみに、ここで「創成期の映画」というのは、サイレント映画がその洗練を極める以前、1910年初頭あたりまでに撮られた「プリミティブ」と呼ぶこともできよう映画のことである*1)。

20世紀初頭の小説家たちの多くは、まだ生まれたばかりの映画をしょせんは安っぽい見世物として多少とも見下しながらも、その新奇さには注目していたし、直接的・間接的に影響を受けさえしていたものも少なくなかったはずである。ダブリン最初の映画館であるヴォルタ座の設立にたずさわった*2ジェイムズ・ジョイスならば、『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』を書くにあたって当時のサイレント映画の影響を少なからず受けていたとしても不思議ではない。

プルーストのあの長大な『失われた時を求めて』には、美術・音楽・演劇についての記述にはあふれているが、映画について言及されるのは全編を通してたった3度だけであり、彼が映画について抱いていた考えは決してポジティヴなものではなかったように思える。それでも、多くの人が、プルースの小説と映画との間には深い関係があるに違いないと指摘してきた*3。やはり映画に対しては否定的だったと言われるヴァージニア・ウルフについても同じことが言えるかもしれない。一見、映画とはあまり関わりなさそうなカフカについても、彼がいつ、どこで、何を見たのかを、日記や手紙などを手がかりに詳細に調べ上げた本や、カフカの小説に映画が与えた影響をもっと踏み込んで論じた研究書が日本でも翻訳されている。



とはいえ、映画自体をテーマとした小説は、わたしの知る限り、ほんのわずかしか書かれていない。その中でも最も注目すべき作品でありながら、一般にはあまり知られていないように思われる作品が、キプリングの「ミセス・バサースト」(1904) という短編である。

ラドヤード・キプリングといえば児童文学『ジャングル・ブック』でつとに名高い。しかし、植民地時代のインドや南アフリカで過ごした経験が強く反映している彼の小説は、ときに帝国主義的なナショナリズムを指摘されることもあり、近年は敬遠されることが多くなっていた。日本の一般の読者には、キプリングはそういう悪いイメージすらなく、たんに有名だが実際にはそれほど読まれていない作家の一人であったと言っていい。わたしの記憶では、日本でキプリングがいくらか再評価され始める、あるいは再注目され始めるのは、1990年頃だろうか。この頃に、岩波文庫の『キプリング短編集』と、ボルヘスが「バベルの図書館」の一冊としてキプリングの短編を集めた『祈願の御堂』がほぼ同時に出版されている。それでキプリングの読者が急に増えたわけでもないと思うが、キプリングが『ジャングル・ブック』の作家だけではないことは、この頃から徐々に認識され始めたのではないだろうか。

年代順に編纂されている岩波文庫の短編集を読めば一目瞭然なように、キプリングの短編は、初期はわかりやすくてリーダブルなものであったのに、後期になると技巧的で難解な作風へと変わってゆく。後期の難解な作品は、一見単純な話に見えて、その実、深い意味が隠されていて、何度も読み直さないと話の核心がどこにあるのかさえわからないといったものが多く、そういう意味では、読み手を選ぶ作品であるかもしれない。しかし、文学通には後期の難解な作品がとりわけ人気があるのではないだろうか。少なくともわたしが一番惹かれるのは、この時期のキプリング作品である。ボルヘスキプリングの短編を集めた「バベルの図書館」叢書の一冊『祈願の御堂』も、キップリングの後期の難解な作品ばかりを集めたものであった。



さて、ここで取り上げたい「ミセス・バサースト」もまたこの後期の作品群に属する短編の一つである。40ページ足らずの作品の中で語られているように見えるのは、一見他愛もない話に思える。ボーア戦争直後の南アフリカ、語り手である〈私〉が列車を降り、たまたま再会した知人とケープ海岸脇の待避線で話しているところに、もうひとりの知人がその友人を連れて現れる。4人は、思い出話を交えながら、ときに冗談をいい、ときに議論を交わし合う。迂闊な読者なら、そこで何が問題になっているかも気づかずに、ただそれだけの話だと思って読み終わってしまうかもしれない。物語の核心にあるのは、二人の海軍軍人の同僚であったヴィカリーという人物の謎に満ちた失踪事件であるのだが、キプリングはそのことを、木を森のなかに隠すように、あえて表面に浮かび上がらせないようにするためのみに、小説の技工の限りを費やしているようにも見える。この短編をミステリーと呼ぶこともできるだろうが、このミステリーにおいては〈謎〉の解決どころか、まず〈謎〉がどこにあるかを探り当てることにさえ、多くの読者は一苦労するだろう。しかも、その謎は結局解決されることはないのである(ちょうど、登場人物の一人が最後に思わせぶりにポケットから取り出した手のひらの中には何も握られていないように)。

しかし、これ以上この物語の詳細を語ることはやめておこう。とにもかくにもこれはミステリーであり、まずは読んでいただくのが一番である。この短編については、例えば、デヴィッド・ロッシが『小説の技法』のなかで見事な解説を披露しており、しかもそれはここで読むことができる。わたしがあれこれと解説する必要もないだろう。ただ、最初に言ったように、この短編は創成期の映画を描いた数少ない作品の一つであり、この点についてだけは簡単に触れておきたい。そもそも、この作品を取り上げたのは、それがあったからである。

ロッシの解説でも、これが映画を巡る小説であることはほとんど触れられていない。映画はあくまでもこの物語のなかで使われている小道具に過ぎないということもできるだろう。しかし、キプリングはこの短編のなかで、高速撮影や逆回転、二重写しといった映画の表面的な技法ではなく、映画の存在に関わる本質を早くも見事に浮き彫りにしているといっていい。

この小説のなかで映画は、サーカス小屋の出し物の一つとして登場する。物語の時代設定が正確にいつなのかわからないが、この小説が書かれたのが1904年、内容的にもボーア戦争(1902年に終結)直後だということを考えると、1902、3年頃と考えておいていいだろう。リュミエール兄弟による映画の発明からはすでに10年近くが経っているが、南アフリカという辺境が舞台だということもあるのだろうか、この短編のなかで描かれる映画は、いまだに新奇な見世物としての魅力を失っていないように思える。パディントン駅に特急列車が入ってくるシーンでは前にいた観客がのけぞったというエピソードなど、まるでリュミエール兄弟の『列車の到着』を見た観客の反応そのままであり、映画は「本物をもとに作られているんだ」というセリフも、映画というメディアがこの頃はまだ新鮮な驚きとともに受け止められていたことを伺わせる。


「ミセス・バサースト」に映画が登場するのは、物語が中盤を過ぎた頃になってからである。この物語の〈謎〉の中心にいる人物ヴィカリーが──彼は4人の登場人物の話題のなかに登場するだけで、その場にはいないのだが──失踪前にとった謎の行動のなかで、映画は重要な意味を持って出てくるのである。ケープタウンのサーカス小屋の出し物の一つとして「3ペニーで見られる故国のニュース」という短編ニュース映画が上映されていたのだが、ヴィカリーは毎晩この映画を見るためだけにそのサーカス小屋に通っていたというのである。ヴィカリーには妻がいたのだが、4人の会話から、彼はどうやらこの小説のタイトルになっているミセス・バサーストという未亡人と男女の関係になっていたらしい。そして、その問題のニュース映画には、下船してくる乗客のなかに偶然ミセス・バサーストが写っていたのである。映画のなかに刻み込まれた彼女の様子は、4人の中のひとりによって次のように実に印象的な言葉で語られている。


「それからドアが開いて、乗客が降りてきて、ポーターが荷物を受け取って――まるで本物みたいだよ。ただ――ただ、ちょっとばかり違うのは、客席から見てると、向こうから歩いてくる人があまりこっちに近づきすぎると、何ていうか、いきなり画面から消えちまうっていう感じかな。……ポーターが二人出てきて、そのうしろから――小さな手提げ袋を持って、きょろきょろしながら――ゆっくり降りてきたのがあのバサーストの女将さんだってわけだ。一万人の中にいたってあの歩き方はわかるさ。こっちにやって来て――まっすぐこっちに向かってさ――プリッチャードが言ったように、目が見えていないような顔でまっすぐこっちを見てるんだ。どんどん歩いてきて、最後に画面からすうっと消えちまった――ちょうど――そうだな、ろうそくの上で跳ねる影みたいにさ……」


ヴィカリーは、その映画のなかに現れるミセス・バサーストが、彼女の視線が、自分を探しているのだと信じ込んでいたという。だから、彼は憑かれたように夜毎にその映画を見に行っていたのである。いや、そこに彼女に会いに行っていたと言ったほうがいいかもしれない。

この直後に彼は失踪してしまうのだが、このときに彼が語った言葉がまた、なんとも謎めいていて不吉である。

「俺は殺人を犯していないことだけは覚えていてくれ! 俺が出港してから6週間後に妻は産褥で死んだ。少なくともそこまでは俺は潔癖なんだ」


「少なくともそこまでは」とはどういう意味なのか。とぎれとぎれの情報を継ぎ接ぎしてゆくうちに、ひょっとしたらミセス・バサーストはもう死んでいるのかもしれない、あるいは殺されているのかもしれない、とさえ思えてくる。だとすれば、ヴィカリーが、映画のなかに一瞬捉えられた(生前の?)彼女の姿を見に、狂ったようにサーカス小屋に通っていたことも納得できる。


もちろん、これは単なる推測に過ぎない。しかし、この小説のなかで描かれている映画にはどこか不吉な影があるのも確かである。何よりも重要なのは、キプリングが、映画のトリッキーないわばメリエス的側面ではなく、現実をそのままフィルムに刻み込むというリュミエール的側面を、見事に捉えていることである。ここにはアンドレ・バザンによる映画の存在論的リアリズムに通ずるものがあると言ってもいいかもしれない。フィルムに定着された人間の存在は、映画が上映されるたびに否定しがたい現実感を持って生々しく映し出される。

だが同時に、キプリングが描く映画には、どこか死臭が漂ってもいる。どれほどイキイキしていようと、そこに写っている現実はすでに存在しない。場合によっては、文字通りすでに死んでさえいる。映画はそんな死者たちを呼び起こすものでもある。四方田犬彦ふうに言うならば、「死者の召喚」としての映画ということになろうか。その意味では、この小説はビオイ・カサーレスの『モレルの発明』をはるかに予告していると言ってもいいかもしれない。


これほど早い段階で、映画のこのような特性を見抜いて、それを小説の形で描いた作品というのは極めて稀だったに違いない。たんにミステリアスな小説としてもかなり魅力的だが、それに加えて、そこに世界に登場したばかりの映画が実に印象的に描かれているという点で、キプリングのこの短編は、小説ファンも映画ファンも必読と言っていいだろう。

この短編は先に挙げた岩波文庫の『キプリング短編集』の中に収められていて、かんたんに読むことができる。


さて、このあたりで、ヴィカリーの(というか『オセロ』)のセリフを真似て、こう言うとしよう。

「あとは沈黙あるのみ」


*1:この時期の映画を安易に「プリミティブ」と形容することは、いささか問題がないわけではないことは理解しているつもりである。

*2:この企ては、結局、実現することなく終わる。

*3:例えば、武田潔「光の間歇 ── プルーストと映画の交わりを問い直す ── 」を参照。