明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

コニー・ウィリス『リメイク』──フレッド・アステアと踊る

SF小説、とりわけ未来世界を舞台にしたSFでいささか苦手だと思うのは、その独自の世界観に馴染むまで、というか、そこに描かれている世界を多少とも信じることができるようになるまでにどうしても時間がかかってしまうところだ。時間が逆行しているとか、天と地が逆さまになってるとか、常識離れしたそうした設定だけならまだしも、その世界を描写するために見たことも聞いたこともないような新造語が次々と繰り出されてくると、出だしでつまずきそうになる。日本語訳ならまだしも、英語の原書でそういうSF小説を読み始めたときは、その挫折率はかなり高いものになると言っていい。


実は今回紹介する映画=小説も、そんな近未来を舞台にした作品なのであるが、幸い日本語で読むことができる。

コニー・ウィリス『リメイク』(Remake, 1994)


『犬は勘定に入れません』などの作品で日本にもファンの多い女性SF作家コニー・ウィリスによるSF小説


新作映画が一本も撮られなくなってすでに久しいハリウッドでは、今や、旧作映画をデジタル加工しただけのリメイク作品ばかりが作られ続けている。過去作の俳優の顔を、別の顔と差し替えて、映画を新しく作り直すのである*1。今立ち上がっている企画の一つは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をリヴァー・フェニックス(もちろんもう亡くなっているのだが)でリメイクするというもので、フェニックスの相手役の女優としてミシェル・ファイファーラナ・ターナー(むろん死んでる)の名前が上がっている、といった具合だ。しかも、こうしたリメイク作品の編集には、過去のハリウッド作品や世界の名作映画の編集パターンをデータ化したコンピューターのプログラムに従って機械的に編集される場合さえある(ジンジャー・ロジャースを「デジタイズ」したシーンが、『市民ケーン』の冒頭のシークエンスの編集パターンに従って編集されるといったように)。


さらに、この時代のハリウッドでは映画会社の様々な再編が行われ、「ILMGM」(ジョージ・ルーカスILM と MGM が合併したものらしい)や「FOX三菱」といった聞いたこともないような映画会社が存在したりしているようなのだが、このあたりの設定はいまいち説得力に欠ける。


主人公の青年トムは、映画を熱烈に愛しながらも、こんなふうになってしまったハリウッドで、シーンから AS (中毒物質)を削除して映画を健全化するという虚しい仕事を続けている。映画の中に出てくる喫煙シーンや飲酒シーンを削除して、なんとか辻褄が合うように映画を編集するという仕事である。しかし、『フィラデルフィア物語』から飲酒シーンを削除してしまえば、キャサリン・ヘップバーンジェームズ・スチュアートの恋愛も、なにもかも成立しない。


そんな馬鹿らしい仕事を続けるうちにすっかりシニカルになってしまった彼の前に、アリスという女性が現れる。フレッド・アステアが死んだ年に生まれたという彼女の夢は、スクリーンの中でアステアとともに踊るというものだった。この近未来のハリウッドで慣習になっていたように、過去のミュージカル作品の中で踊るアステアの相手役の女優の顔を、彼女の顔に「デジタイズ」するのではなく(それなら新人の「フェイス」[顔を貸すだけの俳優]たちが皆やっている)、実際にアステアと共に踊るという夢である。しかし、新作が全く撮られなくなった今のハリウッドには、アリスにダンスを教えてくれるトレーナーさえどこを探しても見つからない。


トムはそんなアリスに惹かれながらも、現実を知らない彼女にいらだってつい皮肉に接してしまい、二人の間には恋が始まる以前に距離ができてしまう。そんなとき、彼は、チェックしていた映画の中でアリスが踊っているのをたまたま発見する。最初トムは、アリスがプロデューサーと寝て、新人の「フェイス」として過去作の女優の代わりにデジタイズしてもらったのかと思い、彼女に失望し、腹を立てるのだが、どうやらそうではなく、彼女はスクリーンの中で本当に踊っているようなのだ。探していくうちに、『四十二番街』や『踊るニュウ・ヨーク』など、数々の映画の中でアリスが踊っていることがわかってくる。しかし、そんなことは不可能なはずなのだ。タイムマシンに乗って過去に戻って、実際にそれらの映画に出演した、ということでもない限り……。



「客電消灯
アバンタイトル


という文句で始まるこの小説は、大きな章の始まりごとに、脚本のト書きのような説明が入る。そして、さらに小さなセクションごとに、そこで描かれる内容に応じた「映画的クリシェ」が披露され、参照すべき映画作品が列挙される。つまり、この小説自体が、撮られるはずの映画のシナリオのように書かれているわけである。むろん、小説の最後の文句は


「劇終」THE END


である。




一言で言うならば、近未来のハリウッドを舞台にしたボーイ・ミーツ・ガールものである。映画についてなにか思考を刺激されるようなたぐいのラディカルな小説ではまったくないが、ほとんど毎ページごとに出てくる映画ネタは、映画ファンにはたまらないに違いない。冒頭いきなり『インディー・ジョーンズ 魔宮の伝説』の話から始まるのだが、この本の中で話題になっている映画はむしろ30・40・50年代の往年のハリウッド映画であって、とりわけスポットライトを当てられているのは、黄金時代のミュージカル映画である。最近の映画しか見ないという人にはあまり馴染みのない作品名も多いだろうが、巻末には、訳者である大森望による詳細な訳注や、作中に登場する映画作品ほぼすべての作品データ(原題・監督・出演者など)まで付されているという異例なまでのサービスぶりで、映画にそれほど詳しくない人でも読み進められるようになっている。しかし、ミュージカル作品に詳しい人が読めば、格別の味わいがある作品であることは間違いないだろう。



*1:この小説が書かれた頃にはなかった言葉だが、今なら、「ディープ・フェイク」のようなものといったほうがわかりやすいだろうか。