明るい部屋:映画についての覚書

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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『スペードの女王』とソロルド・ディキンソンについての覚書――イギリス映画の密かな愉しみ2


ソロルド・ディキンソン『スペードの女王』(The Queen of Spades, 49) ★★★


『Rocking Horse Winner』もなかなかの拾い物であったが、この『スペードの女王』は文字通りの傑作であったといっておこう。これも小説を映画化した原作ものであるが、とにかく出来がいい。いや、びっくりするほどよく出来ているといってもいい。

スペードの女王』は、戦後まもなくに日本でも公開され、かつてはビデオ化もされていたようだ。しかし、今となっては、この作品を見たことがある人はそれほど多くはないだろうし、ソロルド・ディキンソンという名前に聞き覚えがある人もほとんどいないのではないだろうか。実はわたしも、つい最近になってこの監督の存在を初めて知ったばかりなのである。日本だけでなく、本国イギリスを始めとして、海外においても、ディキンソンはこれまで正当な評価を受けてきたとは言いがたい。そんな彼に、近年、新たな注目が集まり、再評価の動きが現れはじめたのには、例によって、マーティン・スコセッシの活動が少なからぬ影響を与えているようだ。スコセッシはディキンソンのことを、「イギリスにおける第一級の映画作家の一人である」と高く評価し、この『スペードの女王』についても傑作と絶賛している。わたしが見た DVD にもスコセッシによる短いが熱烈なイントロダクションが特典としてつけられていた。ディキンソンを高く評価している監督は彼だけではない。例えばジョン・ブアマンは、ディキンソンのことを、「マイケル・パウエルのように大胆で、デイヴィッド・リーンのように編集に無駄がなく、キャロル・リードように感情に訴えかける緊張感がある」と評している。

このようにプロからも高く評価されている映画作家が、なぜこんなに長いあいだ忘却に近い状態におかれていたのだろうか。その理由は定かではないが、彼のキャリアは最初からタイミングの悪さと不運につきまとわれていたということはできそうだ。ディキンソンの初期の傑作『ガス燈』(40) に感銘を受けたデイヴィッド・O・セルズニックは、すぐに電信を打って彼をハリウッドに招こうとした。しかし、ディキンソンは戦争を理由にこれを断る。もしもセルズニックの招待を受け入れていたなら、彼はヒッチコックがたどったのとちょうど同じような道をたどって、ハリウッドで成功を収めていたかもしれない。『ガス燈』は高い評価を得た作品だが、その数年後にはMGMによってバーグマン主演でリメイクされてしまい、その結果、ディキンソン版『ガス燈』は早々に市場から引っ込められてしまう。


こんなふうにどこかくすんで見えるディキンソンの映画監督としてのキャリアは、わずか20年ほどのあいだに9本の長編を作っただけで終わってしまう。しかし、彼の映画との関わりはこれで終わりはしなかった。1952年に現役を引退すると、ニューヨークを拠点に映画製作に携わり、その後、60年にロンドンに戻ると、英国で初めて大学に映画学科を設置し、67にはこの国で最初の映画研究の教授になった。ディキンソンは映画についての研究書も出していて、彼が書いたソヴィエト映画についての研究書は、あのジェイ・レイダ(『ゴダールの映画史』でも言及される人物)の高名なロシア映画史のなかでもたびたび引用されている。

ディキンソンは、まだ映画を撮り始める前の30年代の初め頃にすでに、エイゼンシュタインやヴェルトフの映画をロンドンの観客に紹介する活動を行っていた。ロシア・ソヴィエト映画についての彼の造詣の深さは、プーシキンの高名な小説を映画化した『スペードの女王』においても随所に発揮されている。


有名な小説なので『スペードの女王』の物語については詳しく書く必要はないだろう。19世紀のロシア。賭けトランプにとりつかれていた工兵士官シュヴォーリンは、賭けに必勝する秘密と引き替えに悪魔に魂を売ったと噂される老伯爵夫人に、下女を誘惑して近づくが、結局、秘密を聞き出す前に伯爵夫人をショックで死なせてしまう。落胆している彼の前に伯爵夫人の亡霊が現れ、トランプに勝つ秘密の数字を彼に教える。シュヴォーリンはその秘密を使ってトランプに勝ち続けるが、結局は、伯爵夫人の亡霊に呪われて破滅してゆく。

この小説は、ロシア映画のサイレント時代に『アエリータ』のプロタザーノフによってすでに映画化されている。こちらもけっして悪い作品ではなかったが、ディキンソン版と比べるとやはり地味な印象はぬぐえない。ディキンソンの『スペードの女王』も金のかかっている映画ではないと思うのだが、繊細な美術と見事な撮影(『マダムと泥棒』『血を吸うカメラ』のオットー・ハート)、そして映画的な創意工夫によって、とてもゴージャスな印象を見るものに与える。しかも、この企画はもともと別の監督の下で進められていたのだが、彼が突然降板したために、撮影開始のわずか5日前にディキンソンが急遽代役を務めることになったのだというから、作品の完成度になおさら驚いてしまう。

鏡、枝付き燭台、時代物の調度品の数々。石造りの歩道に落ちる影。逢引と陰謀の舞台となるオペラ座に舞う雪(墜落したドイツの航空機の防風窓に使われる合成樹脂から作られた偽物の雪)。ディキンソンはサイレント映画は撮ったことがないはずだが、20年代末にフランスで映画製作の現場を知り、ハリウッドでサイレントからトーキーへと時代が移り変わるのを目撃した経験からか、この映画にはどことはなしにサイレント映画の呼吸が感じられる。しかし、その一方で、彼は音に対しても大変なこだわりを見せている。画面のどこかで終始聞こえている風のうねり。あるいは、亡霊となった伯爵夫人がクリノリンのペチコートの裾をゆっくりと引きずるときのシュッ、シュッという音……(ディキンソンによると、ジェット機が飛び立つ音などをミックスして様々な効果音が作られたという)。ディキンソンは、限られた手段を巧みに駆使し、繊細に作り上げた音とイメージを見事に絡み合わせて、陰鬱で、息詰まるような世界を作り上げている。

主人公シュヴォーリンが立ち寄るかび臭い古本屋のメフィストフェレスを思わせる主人。伯爵夫人がカードの秘密を知るシーンで、彼女が謎の屋敷を訪れ、廊下の先の暗闇に飲み込まれていく瞬間(この数年前に撮られたコクトーの『美女と野獣』を彷彿とさせるとさせる)。悪魔に魂を売り渡してしまった伯爵夫人がマリアのイコン画に向かって祈りをささげた瞬間、絵のなかのマリアの顔にさっと影がさすという照明の巧みさ。伯爵夫人に近づくために彼女の下女を誘惑しようとしてシュヴォーリンが恋文を書いているとき(といっても恋文の指南書の文章を丸写しするだけなのだが)、テーブルの上の燭台を覆っていた蜘蛛の巣が、何も知らずに遠くで彼からもらった手紙をベッドの上でそっとなでている純情な下女の顔にオーヴァーラップしてゆく、あざとくも忘れがたいシーン。あるいは、ロシアの教会で行われる伯爵夫人の葬式を描いた驚くべき場面で、シュヴォーリンが棺に顔を寄せたとき、死んでいるはずの伯爵夫人の両眼がかっと見開かれる、あのぞっとするような瞬間。そして、姿を見せない伯爵夫人の亡霊が、声となって現れ、一陣の風がシュヴォーリンの部屋の中をかき回したかと思うと、次の瞬間には嘘のように消えている、悪夢のようなシーン……。


『The Rocking Horse Winner』に比べると、ずっとずっとホラーよりの作品ではあるが、ここでも、すべては主人公の狂気が見させた幻覚だったという解釈もできるつくりになっていて、その意味では、この映画もまたトドロフの言う「幻想」属する作品であるといえる。


わずかな予算のなかで、あるものすべてを最大限に映画的に活用する手腕において、ディキンソンにはエドガー・G・ウルマーなどに近しいものを感じるが、肝心のものを何も見せずに怪しげな恐怖の雰囲気を増幅させていくところは、ヴァル・リュートン製作ののホラーにも似ている。B級映画ファンにぜひ見てほしい一本である。


主人公を演じているアントン・ウォルブルックは『ガス燈』にも主演している俳優だが(彼がこの映画の監督にディキンソンを強く推したのだという)、日本の映画ファンにはマイケル・パウエルの『赤い靴』で芸術に憑かれた団長レルモントフを演じた男優といったほうがわかりやすいだろう。宮崎アニメに登場する魔女のような伯爵夫人役のイーディス・エヴァンスは、これが映画デビューだとは信じがたい、存在感を示している(もっとも、わたしはよく知らないのだが、彼女は演劇の世界では伝説的な存在であったようだ)。


スペードの女王』が作られた49年のイギリスでは、ロバート・ハーメルの『カインド・ハート』、アレクサンダー・マッケンドリックの『ウィスキー・ガロア』、パウエル&プレスバーガーの『The Small Back Room』、そして『第三の男』といった、数々の傑作が撮られている。この作品の印象が多少かすんだとしても不思議ではないのかもしれない。しかし、それにしても、これだけの作品が今までほとんど忘れ去られていたというのはちょっと信じられない。

しかし、それと同じくらいに驚くのは、実は気づいていなかっただけで、このソロルド・ディキンソンという映画作家が、意外に身近な場所にいたことである。彼の代表作のひとつである『ガス燈』は、なんと驚いたことに、日本でも発売されているジョージ・キューカー『ガス燈』の DVD におまけとして収録されていたのだ。これだけではない。冷酷なテロリズムに巻き込まれてゆく姉妹を描いたサスペンス映画の傑作『Secret People』も、『オードリー・ヘップバーンの初恋』というタイトルで DVD が出ているのである(この映画にはたしかにデビュー間もないヘップバーンが出演してはいるのだが、主演でもなんでもないし、邦題が匂わせているような「初恋」要素もほとんどない。まったくふざけたタイトルである。たしかに、だれも知らないソロルド・ディキンソンという監督が撮った『Secret People』として売り出すよりも、ヘップバーンの恋愛映画として売ったほうが、DVD の売り上げは桁違いに上がるだろう。しかし、このB級映画を潜在的に求めていた観客は、このタイトルではこの映画に近づかないだろうし、逆に、ヘップバーンの恋愛映画を期待してみた人たちは肩透かしを食うだろう。こういう DVD マフィアたちは、商品を売るためには何だってするが、肝心の映画のことだけは考えていない。人はこうして映画と出会い損ねるのである)。