明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

「カイエ・デュ・シネマ」

「情け容赦のなさ」──ジャン=マリー・ストローブによるドライヤー論

《情け容赦のなさ》 ジャン=マリー・ストローブ ここ数年で見たり再見することができたドライヤー作品においてなによりも素晴らしいと思うのは、それらの作品がブルジョア社会に対してみせる情け容赦のなさである。その情け容赦のなさの矛先が向けられるの…

モンタージュをめぐる座談会2

リヴェット:ちょっと回り道になりますが、おそらくここで、ダイレクトとモンタージュの関係の問題に立ち戻らねばなりません。というのも『世界の続きのために』のような作品は、ペローが(ルーシュと同様に)、素材(定義からして、映画の「企画」よりも過…

モンタージュをめぐる座談会

「カイエ・デュ・シネマ」210号に掲載された、エクス・アン・プロヴァンスで行われたモンタージュをめぐる有名な座談会を訳しはじめました。毎日少しづつ訳出していきます。例によって、たんなる気まぐれでやってます。ここにあえてアップしているのは、どこ…

セルジュ・ダネーによるサミュエル・フラー論「物語への狂熱」

全体の4分の一程度の抄訳。ま、いつもの適当訳です(といいつつ、一応ちゃんと訳したつもり)。気が向いたら続きも訳します。 「物語への狂熱」(Fureur du recit*1)セルジュ・ダネー ゼロの観客フラーの作品が50年代のフランスの批評家の一部にかくも気に…

ジャック・リヴェット「映画のエッセンス」(オットー・プレミンジャー『天使の顔』論)

最近「カイエ・デュ・シネマ」の古い記事をわりと真剣に読み込んでいる。しかし、漫然と読んでいてもあまり頭に入ってこないので、適当に訳したりしているうちに、勢いで一つの記事をぜんぶ訳してしまった。以下に掲載するのは、「カイエ・デュ・シネマ」第3…

ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ、ジョン・フォードを語る

境界線 ──ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ、ジョン・フォードを語る ──『歴史の授業』を上映後の議論を思い出します。その中で、この作品とホークスの『三つ数えろ』が比較されました。どちらの作品においても、調査をする人物が、もつれた糸…

ジャン・ドゥーシェ「愛する技法」

映画批評家ジャン・ドゥーシェの主著の一つ『愛する技法』(L'art d'aimer) の冒頭に収められた同名の評論「愛する技法」を試訳してみた。 ジャン・ドゥーシェは、50年代の終わりに「カイエ・デュ・シネマ」と「アール」誌で映画批評を書き始めた*1。ロメー…