ウィリアム・ディターレ『科学者の道』(The Story of Louis Pasteur, 36) ★★
「『伝記映画』なんてジャンルがあるのだろうか。そりゃあ、個々別々の『伝記映画』なるものは数限りなくあるだろう。しかし、『伝記映画』というカテゴリーがかつて存在したというのか。『伝記映画』研究家などという職業が存在しうるだろうか! ためしに、世界各国(?)の本屋の映画のコーナーに行ってみたまえ。はたして『伝記映画』論の書物を一冊でも見つけられるものだろうか」
今からおよそ20年ほど前に出版された『映画の魅惑 ジャンル別ベスト1000』(安原顕 編集)という本のなかで「伝記映画ベスト50」を担当した中条省平は、上のように書き記している。
「伝記映画」なるものがはたしてジャンルと呼べるかどうかは今でも疑問だが、"biography" と "picture" を合体させた "biopic" なる言葉はもう普通に使われているし、これをテーマにした本はわたしの知っているだけでもすでに5、6冊は書かれている。映画研究の未開拓地帯は年々減少してきており、「伝記映画」もその例外ではない。
「伝記映画」の萌芽といえるものは、リュミエール兄弟やメリエスの作品のなかにもあったし、サイレント時代からアベル・ガンスの『ナポレオン』といった「伝記映画」の名作が多数撮られていた。しかし、こうした作品が本当の意味でポピュラーになるのは、トーキー時代を迎えたハリウッドの30年代からであり、そのパイオニアと呼ぶべき監督が、ウィリアム・ディターレだった*1。
ディターレは、細菌学者ルイ・パストゥールを描いた『科学者の道』(36) で初めて「伝記映画」に取り組むと、その後立て続けに、エミール・ゾラを主人公にした『ゾラの生涯』(37)、メキシコの革命家ベニート・フアレスを描いた『革命児ファレス』(39)、ドイツの細菌学者パウル・エールリヒを取り上げた『偉人エーリッヒ博士』(40) といった「伝記映画」を発表し、「ハリウッドのプルターク」などというニックネームまで頂戴することになる。
パストゥール、ゾラ、ファレスという全く異なる3人の人物をすべてポール・ムニ(あの『暗黒街の顔役』の)が演じていると聞くと、どんな爆笑ものになっているのかと思ってしまうが、これが見てみると、ものすごいメーキャップにかくれてパストゥールやゾラに見えてくるから不思議である*2。19世紀以前の、せいぜい写真ぐらいしか残っていない時代の偉人たちの場合は、顔が多少似ていて(場合によっては似てさえいなくても)、演技に一貫性さえあればいい。「本当らしさ」さえ作り上げておけば、パストゥールが英語をしゃべろうが、ゾラの死に方が違おうが、観客は問題としないのである。この原理は今でも変わっていなくて、だから、ウィレム・デフォーは、さしたるメーキャップも施さずに、キリスト、マックス・シェレック、T・S・エリオットを演じることができたわけである*3。
『科学者の道』は、『ゾラの生涯』とくらべると完成度は少し落ちるとはいえ、なかなかよくできていて、ディターレはすでにこの作品で「伝記映画」のパターンをほとんど作り上げていると言っていい。細菌の存在を頭ごなしに否定し、なにかとパストゥールに対立する仇敵シャルボネ博士など、ほとんど戯画化されて誇張気味に描かれている部分もあるのだろう。しかしそれは、主人公のポジションを際だたせるために作劇上必要なことだった。30年代のハリウッドで製作された「伝記映画」においては、主人公=偉人たちが、なによりもヒーロー(英雄)として描かれているのが特徴である。『ゾラの生涯』に描かれるゾラは、小説家である以上に、反ユダヤ主義によって弾劾されたドレフュスを擁護した人物として英雄的に描かれていた(このユダヤ人擁護の姿勢のために、この映画はヨーロッパ各地で上映禁止の憂き目を見るのだが)。この時代に、こうした作品がヒットした理由の1つには、不況の時代に大衆が求めるヒーローの姿に、「伝記映画」に描かれる偉人たちの姿が重ね合わされたということがあるのだろう*4。そのためには多少の単純化は許された。「伝記映画」に登場する偉人たちの描かれ方は、かれらが実際に生きた時代以上に、その映画が作られた時代を如実に反映していると言っていいかもしれない。この頃作られた「伝記映画」の主人公がほとんどすべて男性であったことも、そういう観点から、分析されるべきであろう。
同じパストゥールを描いた「伝記映画」では、サッシャ・ギトリのデビュー作『パストゥール』のほうが断然優れているとフランス人はいうのだが、見ていないのでなんとも言えない。だが、こっちではパストゥールがフランス語をしゃべっていることだけはたしかだろう。
ディターレが作り上げたパターン(弾圧・無知・頑迷などによって挫折を味わったあとに、不屈の努力で挑戦し続け、最後に成功を収める主人公)は、『科学者ベル』(アーヴィング・カミングス、39)、『人間エヂソン』(クラレンス・ブラウン、40)、『ヤンキー・ドゥードル・ダンディ』、『若き日のリンカーン』などの作品でもおおむね踏襲され、「伝記映画」の大まかな基本形はこの時代にできあがったと言っていい。これ以後も、『ジョルスン物語』(46)、『炎の人ゴッホ』(56)、などの作品が作られつづけ、1927年から1960年のあいだに、ハリウッドのメジャー・スタジオだけでも実に300本近くの「伝記映画」が製作されたという(偉人の生涯を描いた映画なら、ミュージカルであろうと、戦争映画であろうと、「伝記映画」になるのだから、そう考えると、この数は驚くにあたらない)。
「伝記映画」も時代とともに様々に変化してきており、また、イミテーションと現実など、テーマ的にもいろいろ面白い問題を含んでいるので、まだまだ論じることはたくさんあるが、とりあえず今回はそのイントロダクションということで、これだけにとどめておく。また機会があったら改めて取り上げたい。
*1:この直前にイギリスで撮られたアレクサンダー・コルダの『ヘンリー八世の私生活』の成功が重要なファクターのひとつだったことも忘れてはならない。
*2:もっとも、ムニは、7歳の時にアメリカに移住するとはいえ、オーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ系家族に生まれたヨーロッパ人だった。
*3:「伝記映画」は、同じ一人の俳優が異なる人物として何度も回帰してくるという、ラウル・ルイスいうところの映画におけるアイデンティティの問題を優れて考えさせる「ジャンル」である。
*4:この時代に「伝記映画」がポピュラーになった他の理由としては、偉人たちの人生につきものの、声明・宣言・裁判の場面などが、映画が音声を持つことによって初めて十全な表現をえたということもある。『ゾラの生涯』のゾラの演説場面などがその典型的な例である