あんまり評判がいいので買ってしまった。
今年の6月に翻訳が出て話題になったチリの作家、ロベルト・ボラーニョの短編小説集だ。全部で14の短編が収められている。なかにはピンとこないものもあったが、どれもなかなか面白い。
訳者のあとがきには、「ウディ・アレンとタランティーノとボルヘスとロートレアモンを合わせたような奇才」というフランスの批評家の言葉が引用され、本の帯には、「チェーホフ、カフカ、ボルヘス、カーヴァー、彼らの作品の完璧な受容が、これらの物語の原点にある」などという言葉が書かれてある(こういう、固有名詞をずらずら並べる宣伝文句はもう見飽きたけど)。
たしかにいろんな要素が詰まっている作品集だ。わたしに言わせれば、二人の人物の会話だけで書かれている短編「刑事たち」のラストなんて、ほとんどジョン・カーペンターの『マウス・オブ・マッドネス』ですよ──、
なーんてね。冗談、冗談。
インテリには受けのいいウディ・アレンや、まだまだ流行のタランティーノはともかく、ジョン・カーペンターの名前なんて、文学の宣伝に使ってはいけません。本の値打ちが下がってしまいます。そんなわけで、この本のなかにはカーペンターの名前が登場する短編が2つも入ってるのに、訳者のあとがきにも帯にも、カーペンターの名前はまったく使われていない。まあ、当然といえば当然だ。文学好きを自称する人間、とりわけ寺山修司とか、三島由紀夫とか、サリンジャーとかが好きという輩の前では、カーペンターは絶対口にしてはいけない名前だからね。カーペンターズならなんとか許してもらえるかもしれないが(その代わりに、趣味が古いといわれる危険あり)。関係ないけど、タルコフスキーが好きという人間も要注意だ。そういう人の前では、自分の趣味を軽々しく口にしない方がいいだろう。マキノ雅弘が好きだなどといったら、誰それ?といわれるのがオチだ。とりあえずヴェンダースの名前でも出して、探り探り話を進めた方がいい。
話がそれた。
ちなみに、わたしがいちばん気に入ったのは、「文学の冒険」という短編だ。一言で説明するのは難しいし、念入りに説明するのも面倒なんだけど、簡単にいうと、ひとりの作家 Aと、彼を軽蔑する一方で、彼に嫉妬してもいるもうひとりの作家 B、この二人の作家が紆余曲折を経て最後にやっと出会うまでを描いた作品ということができる。これは褒め言葉になるのかどうかわからないけど、この短編に漂う漠とした不安の雰囲気は、パトリシア・ハイスミスの作品を思い出させるものだ。B の目から見た A が描かれていくのだが、A の存在はいつまでたっても曖昧なままで、いっこうに焦点を結ぼうとしないし、彼の周囲で起こる謎めいた出来事(と、B の目に映るもの)は、結局最後まで明らかにならない。
こういう筆致がパトリシア・ハイスミス風だったりする。似ていると思ったのはこの短編だけだが、どの短編にも得体の知れない恐怖、不安が見え隠れしているといっていい。まあ、しかし、パトリシア・ハイスミスの名前もあまり強調しない方がいいだろう。たんなる推理作家だしね。
あと、チリの現代史をある程度知ってないとよく理解できない作品が多いです。チリで73年に起きたクーデターのことぐらいは予習しておきましょう。だれでも知ってる出来事だとは思うけれど、わたしの経験上、重度のシネフィルは信じがたいほど歴史に疎かったりするので、念のため。ちなみに、ラウール・ルイスはこのクーデターのときに亡命しています。映画狂は、73年をジョン・フォードが死んだ年ぐらいにしか記憶していなかったりするけど、世界ではいろんなことが起きてたんですね。まあ、亡命といっても、クーデターが起きました、国を出ましたという単純な話じゃないので、実際のところどうだったかは知りませんけどね。フリッツ・ラングはゲッベルスにナチスの映画を指導してくれと持ちかけられて、その日のうちに列車に乗って亡命したということになってるけど、事実はそうじゃなかったともいわれているし……。
また話がそれた。まあ、最初からまともな紹介なんてする気なんてなかったんだけど。
ともかく、気が向いたら読んでください。