ダグラス・サーク讃

何かに
「風に書かれた」(『風と共に散る』の仏題)というタイトルはじつに美しい。ダグラス・サークは、メロドラマを通じて、数々の価値転倒を映画に導入することに成功しました。1959年の時点で、『悲しみは空の彼方に』のサークが、黒人の女性が何を感じているかを、白人の観客にわかるように仕向けたやり方を考えてみればいい。[…]自分にはブレッソンの方に向かう傾向がある一方で、メロドラマという真逆の方向から、ブレッソンと同じ本質的な物質性へと向かうことができると感じもするのです。ブレッソンとサークは、真逆の道を通って、最後には出会うのです。『スリ』のラストショットは、サークの映画のラストに置かれていてもかまわない。
ハリウッド映画で私の好きなのは、例の作り物の感じである。上質のハリウッド映画は、ほんとうの意味で〈作り物〉である。徹頭徹尾作りものである。フォード、サーク、ミネリを見てみるがいい。ハリウッド映画はリアルではない。〈ありのまま〉の生活を描いていない、と喚く批評家たちの声に耳を傾けるようになってから、ハリウッドは下り坂になった。ハリウッド仕込の、ハリウッド気質の監督がひとたび〈リアリスト〉映画の罠に落ち込めば、彼は空疎な退屈なもの、あのジンネマンの二代目になるのである。
本格的なメロドラマが好きじゃないなら、ダグラス・サークの映画はやめといたほうがいい。[…]妙な話だが、内容がばかばかしいものになればなるほど、サークは映画を見事に扱うんだ。彼はほんとうに、そうだな、マーティン・スコセッシのような監督の真の先駆者の一人なんだ。彼が諸々のテーマと取り組むやり方で好きなのは、ソープ・オペラのメロドラマ的な題材をもろに採用しているところだ。現代の観客に本当に見せたい私のお気に入りの映画の一つで、今や古典となっている映画が、『心のともしび』なんだ。
キューブリックの映画に出てくるような上流階級の人々を描く必要があるときはむしろ、ダグラス・サークの作品を考える。たとえば『ポーラX』や『アネット』の場合がそうだ。サークの時代は上流階級の人々について、その権力とともに脆さをも描くことができた。いわばギリシア悲劇の神や半神のように。でも今日は、階級社会や彼らの度を越した特権について、誰もが意見を持っている。彼らを描くとしたら、皮肉なしでは描けないだろう。
サークの「洗練」はまた、おそるべき緻密な機械的構造からも成り立っている。映画はこの50年代末のハリウッドで、サークとプロデューサーのロス・ハンターによって完成された、ととりあえずここで言い切ってしまってかまうまい。
ブレッソンは、ダグラス・サークと違わない。[…]わたしが言わんとしているのは、ブレッソンとサークの間には表現形式における違いがあるということだ。この2人を隔てている唯一の違いは、形式なんだ。彼らは同じ物語を語っているが、それを語る形式は真逆だ。一方はミニマリストであり、他方はすべてを最大限に誇張する。
わたしが見た彼の映画はあまりに少ない。サークが作った39本すべてを見たい。そしたら、わたしは自分と自分の人生と、自分の友だちと先に進むことができるかもしれない。わたしはダグラス・サークの映画を6本見た。そこにはこの世で最も美しいものがあった。















































































































































