「コメディはまず滑稽でなくてはいけないが、それを一段高いものにするには、人間性が必要になってくる。だからコメディとして成功したものはすべて悲劇としても成功するし、その逆もまた真なのだ」(ジョージ・キューカー)
ジョージ・キューカー『結婚種族』(The Marrying Kind) ★★★
脚本家ルース・ゴードン&ガーソン・ケニンと監督ジョージ・キューカーはタッグを組んで数々の傑作(『二重生活』『アダム氏とマダム』等々)を生み出したが、これもその1つに数えていいだろう。この映画は、このコンビのもっとも成功した作品とは言わないけれど、かれらが撮ったなかでもっとも野心的で、大胆な作品である事は間違いない。
タイトルから想像するのとは違って、この映画で描かれるのは、結婚ではなく離婚である。裁判所でジュディ・ホリデイとアルド・レイの夫婦が離婚調停の手続きを行っているところから映画は始まる。判事がふたりに、離婚を決めてしまうまえに、幸せだった頃のことを一度思い出してみてはどうかと勧めるのをきっかけに、映画はフラッシュバックのかたちで2人の結婚生活を振り返り始める。
面白いのは、この回想シーンだ。過去の結婚生活を描いたイメージにはときとして音声が欠けていて、そこにホリデイとレイのコメントがオフの声でかぶさる。まるで、映画の DVD で、関係者2人がしゃべっているコメンタリーを聞きながら映画の本編を見ているような気分である。しかも、2人の語る言葉はしばしば映っている映像と微妙にずれていたりするのだ(判事の言うセリフ、「どんな物語にも3つの観点(side) があります。あなたのと、彼のと、真実のとです」)。
全編がそのように進行して行き、これが作品にリアルかつ突き放したようなトーンをもたらしている。失望(採用されなかった発明)、失意(子供の溺死)、誤解による嫉妬……。どうしようもなく壊れてゆく夫婦生活。この時代のハリウッド映画が夫婦の関係をこれほど赤裸々に描くというのは、極めて稀だったのではないだろうか。
子供が溺死するシーンの演出も見事だ。子供連れでピクニックに来ていた夫婦がウクレレを弾きながら浮かれているのだが、その背景で人々がざわついて湖の方へと走っていく姿を、キューカーは彼らの脚の動きだけで見せる。やがて画面奥から、溺死した子供が画面手前にいる夫婦のもとへと担がれてくるのが見え、その時になって夫婦は初めて、自分の子供が知らないあいだに溺れ死んでいたことを知るのである。この映画全体でそうなのだが、この場面でもキューカーは、この時代としてはかなりの長回しで一連の出来事を画面に収めている。
夫のアルド・レイの勤め先が郵便局というのも面白いところだ。郵便局の窓口ではなく裏側の、郵便物が集積されて、運ばれてゆく倉庫の部分がこんなふうにリアルに描かれる映画というのも多分これが初めてだったのではないだろうか*1(この映画は、この郵便局の場面や、あるいはセントラル・パークのシーンなどに、ネオリアリズム的なタッチをしばしば指摘される)。ちなみに、この郵便局の倉庫は、途中で出てくる夢のシーンの舞台にもなっていて、夫のアルド・レイは、そのなかで自分が郵便物になって運ばれてゆくのだ。
コメディ映画として扱われることが多い作品だが、場面場面で映画のトーンは揺れ動き、ときには絶望的なほどに悲劇的になる。最後に2人が離婚を思いとどまるというエンディングは、一応ハッピー・エンドに見えるが、この夫婦がその後幸せな結婚生活を送ったと信じるものは誰もいないだろう。喜劇でも悲劇でもなく、人生を映し出そうとした映画とでもいえばいいか。そういう意味では、この作品は、同時代のハリウッド映画の大部分よりは、例えばカサヴェテスの映画の方にずっと近い(と言ったら言いすぎだろうか)。
キューカーがインタビュー本の中で、アンディ・ウォーホルのことを絶賛し、嬉々として語っているのを読んだときは驚いたものだが、こういう作品を見ると、そんなに不思議とは思えなくなる。この監督は、我々が思っている以上にずっと若々しい感性の持ち主なのだ。
完成度の高さで見れば、これよりも出来のいいキューカー作品はたくさんあると思うのだが、なんというかキューカーという監督の恐ろしさを久しぶりに見せつけられた作品だった。必見である。
*1:この郵便局のシーンは、実際の郵便局でロケされた映像とスタジオで撮影された映像を巧みにモンタージュして作られている。