明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。





























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神戸映画資料館でわたしが行っている「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見」の詳細が決まりました。

「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見 第8回 パプストとブルックス──『パンドラの箱』を読み解く」 2019年12月22日(日) 詳細はここで。
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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『アルキメデスのハーレムのお茶』ほか

なかなか書いている余裕がなくて、全然まともに更新できてない。

ただのメモだけれど、 とりあえず穴埋め的に、最近見たいくつかの映画について少しばかり書いておく。


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『イメージの本』★★★
『幸福なラザロ』★★★
『ハイ・ライフ』★★½
『ハロウィン』★★½
『ワイルド・ツアー』★★
マケドニアの婚礼』★★
アルキメデスのハーレムのお茶』★★
『チャイナ9、リバティ37』★★
『Courte-tête』★

ジャン=リュック・ゴダール 『イメージの本』(Le livre d'image)

画面オフから荘重な調子で何やら喋っていたゴダールが、突然わざとらしくゴホゴホと咳き込むシーンがとても好きです。

アリーチェ・ロルヴァケル『幸福なラザロ』(Lazaro Fellice)


純粋さ故に一見愚かにも見える一人の人物を通して人間社会の嘘や偽善、愚かさを描き出してゆく、昔からある〈愚者の物語〉のヴァリエーションと言っていい作品。閉鎖的な村を舞台に貴族と貧しい小作人たちの生活を描く前半とは一転して、後半、リップヴァンウィンクルめいた驚きの展開を経て、物語が思いもかけなかった方向へと転がりだしてゆくところが面白い。


Trajče Popov『マケドニアの血の婚礼』(Makedonska krvava svadba, 1967)


Vojdan Chernodrinski による同名戯曲を映画化したユーゴスラビア映画の古典。オスマン・トルコ帝国の暴君によってマケドニアの美しい農民の娘が誘拐されたことをきっかけに起きる農民たちの蜂起を悲劇的に描いた作品。

メディ・シャレフ『アルキメデスのハーレムのお茶』(Le thé au harem d'Archiméde, 1985)


自身による自伝的小説をメディ・シャレフが自ら映画化した作品。学生の頃に関西日仏学館で一度見ただけだったが、パリ郊外の荒んだ若者たちの姿や、ラストに出てくる港町ドーヴィルの荒涼とした風景はずっと記憶に残っていた。今となっては、こういう郊外の描写はクリシェとなってしまったし(『憎しみ』など)、アラブ系の住民の置かれた社会的にマージナルな位置も目新しいものではない。しかし、藤田敏八の青春映画をどことなく思わせるタッチで描かれるフランス人青年とアラブ系2世の若者(beur)の屈折した友情はなかなか説得力があるし、久しぶりに見直したが新鮮さは思った以上に失われていなかった。ちなみにフランス語の原題は「アルキメデスの公理」(le théorème d'Archimede) をもじった地口であろう。


ノルベール・カルボノー『Courte-tête』(1956)


批評家時代のゴダールが短く言及している作品で、高く評価する人も少なくない作品だが、陳腐なコメディにしか思えなかった。ヴォルテールの同名小説を現代に移し替えて描いた『カンディード』のほうがまだ野心的でみどころがある。


モンテ・ヘルマン『チャイナ9、リバティ37』(China 9, Liberty 37)


実際にある地名から発想されたというユニークなタイトルを持つ西部劇。鉄道会社に土地を売ろうとしない住人(ウォーレン・オーツ)と、彼を殺すべく鉄道会社から雇われた殺し屋との関係を描く。

西部劇らしい撃ち合いや、決闘の場面もあり、『銃撃』などと比べるとかなり因習的なイメージを与える作品であるが、ミニマルな構成や、わかりにくいジョークの数々、西部劇の登場人物を冷めた目線で見ている西部作家の存在(サム・ペキンパーが演じている)など、興味深い点は多々ある。