明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

再びマイケル・カーティズとファスビンダーについて


先日、ファスビンダーがらみでマイケル・カーティズ(カーティスと書くほうが一般的。辞書で引くとどちらの発音も乗っているので、どちらとも決められない)の『春なき二万年』に少しふれたが、なんと東京フィルムセンターでこの映画が上映されるらしい(なんたる偶然)。たしか二月中だったと思うが、はっきり覚えていない。もう終わってしまっていたなら、あしからず。まあ、わたしのような地方の人間には関係のない話でした。


ちなみに、わたしがときおり参照しているジャック・ルルセルの映画ガイドでは、マイケル・カーティズの作品が9本取り上げられているが、そのなかには、これもファスビンダーが大好きだったという『Flamingo Road』などと並んで、この作品もはいっている。カーティズの場合も、日本で人気がある作品と、海外で評価される作品が、必ずしも一致しない。日本では、カーティズは、アクション映画や西部劇にすぐれた職業作家といった程度の認識しかされておらず、『カサブランカ』が好きな往年のごくふつうの映画ファンにも、プライドの高いシネフィルにも、もうわかりきった存在としてレッテルを貼られてしまった感がある。『春なき二万年』に代表されるメロドラマ作家としてのかれはほとんど評価されていないし、かれが撮ったフィルム・ノワールも滅多に見る機会がない(『ミルドレッド・ピアース』さえ日本では未公開なのだ)。ましてや、ヨーロッパ時代に監督したという50本あまりの作品をだれが見ているというのだろう。

個人的には、ホークスの『脱出』をジョン・ガーフィールド主演でリメイクした、これも傑作といわれている『破局』(The Breaking Point) がいまいちばん見てみたい作品だ。ちなみに、『脱出』をリメイクしたもう一つの作品が、ドン・シーゲルThe Gun Runners である(これぐらいのことは知っておきましょう)。



マイケル・カーティズは、すれっからしのシネフィルには逆に人気がないようなので、これからも積極的に取り上げていきたい。


ところで、ファスビンダーといえば、最近 FILM COMMENT 2007 9-10月号を読んでいて知ったのだが、Rainer Werner Fassbinder Foundation がちょっとやっかいなことになっているらしい。Rainer Werner Fassbinder Foundation という名前は、最近刊行されたファスビンダーの DVD などをご覧になっているかたにはなじみ深いものだろう。1982年、ファスビンダーが亡くなると、かれの作品の権利は母親のリロ・ペンパイト(リゼロッテ・エダーという名前でも知られる。彼女は、ファスビンダーの初期の短編のころから、ずっと息子の作品に出演しつづけているので、ファンにはおなじみの顔だろう)の手に渡った。彼女によって設立されたのが、Rainer Werner Fassbinder Foundation である。1992年、彼女の死とともに、作品の権利はユリアーネ・ローレンツに遺贈された。ユリアーネはファスビンダー晩年の作品の多くで編集を手がけた女性で、ファスビンダーの最後の伴侶だった(と、彼女は主張している)。ユリアーネは、自分が法的にファスビンダーの妻であるとペンパイトを説得しただけでなく、ファスビンダーのドラッグ中毒や同性愛まで否定したらしい。思うに、ペンパイトにとって、息子が「正常」であったことを証明してくれたユリアーネの存在は、救いだったのかもしれない。以後、ユリアーネの監督のもと、Rainer Werner Fassbinder Foundation はファスビンダーの映画の修復、公開、レトロスペクティヴなどを積極的におこなってゆく。彼女のビジネスのセンスはたしかに大変なものだったらしい。しかし、彼女の活動のやり方には、一つ大きな問題があった。一言でいうなら、ユリアーネはファスビンダーを「正常化」しようとしたのである。

つまり、ファスビンダーから、乱交、ドラッグ、無軌道な生活、同性愛といったイメージをできうるかぎり排除し、かれをプチブル生活様式におさまったひとりの天才へと "whitewash" しようとしたのである。ユリアーネは、さらに、これに異を唱えたファスビンダーの友人たちをつぎつぎと排除していった。ペーア・ラーベン、イングリット・カーフェンといった、ファスビンダーのかつての同志たちである。ダニエル・シュミットも、この裏切りに激しい憤りを感じていたひとりだったようだ。ユリアーネは、こうした批判をものともせず、様々なメディアに出演して、自分の正しいことを主張し続けているらしい。たしかに、これが事実だとすると、R氏でなくともぶち切れるだろう。

2007年、『ベルリン・アレクサンダー広場』にデジタル修復を施した DVD が、イギリス、フランス、アメリカなどでつぎつぎと発売されたことは、近年の映画的事件として記憶に新しい(残念ながら、日本ではファスビンダーはまだまだ受け入れ体制にはないようで、『ベルリン・アレクサンダー広場』の DVD が発売されるという話は、いまのところ伝わってこない)。しかし、ここでも問題は起こっていた。『ベルリン・アレクサンダー広場』のもともと暗かった画面を、ユリアーネが商業的な目的で必要以上に明るくしすぎたことに批判が集中したのだ。修復の過程においても、ファスビンダーを「正常化」しようとするベクトルが働いていたわけである。

わたしは、最初、劇場で上映されたときに見て、その後で、この修復版 DVD でも見ているのだが、この作品に限らず、DVD になると自ずとルックは変わるものだし、それに、テレビで見るときは、画面の微調整一つで色合いもコントラストも全然変わるわけだから、はっきりいって、修復前と後でどれほど違いがあるかはよくわからなかった。しかし、DVD の特典映像にはいっているドキュメンタリーで、修復によって画面が明るくなり、細部がずっと見やすくなったことを、いかにも誇らしげに比較しているのを見ていて、こんなに明るくしていいんだろうかと思ったのもたしかである。ただ、この修復には、当時このドラマの製作に関わったスタッフも参加していたので、それほど不安には思わなかったことも事実である。

ちなみに、同じころ出た Cahiers du Cinema でも、『ベルリン・アレクサンダー広場』の DVD のことが取り上げられているが、そこでは、ユリアーネ・ローレンツの快挙をたたえるコメントこそあれ、批判的な言及は全くなかった。ユリアーネのやった仕事の功罪については、もう少し調査が必要だろう。いずれにせよ、映画作家の遺産をいかに受け継ぐかという問題について、いろいろ考えさせる出来事ではある。作品の修復一つとっても、どこまでやってよいのかという問題がいつもつきまとう。フィルムの傷を除去するぐらいならそれほど抵抗を覚える人はいないかもしれないが、傷も作品に刻まれた歴史だとするなら、それを取り去ることは作品から歴史を消し去ることにもつながりかねない。デュシャンの『大ガラス』のひび割れを修復しようとするものは、だれもいないだろう。それとこれとは話が別だというかもしれない。はたしてそうだろうか。画面についたちりやほこりはもちろん、画面の暗さも広い意味でノイズだと考えてみよう。問題は、そうしたノイズのうちのどこまでが作品に属するノイズで、どこからが作品とは関係のないノイズであるかを見分けるのは、そんなに簡単ではないということだ。


というわけで、ケチはついてしまったが、劇場で上映されたときに見逃した人も多いと思うので、日本でも DVD の発売がされることを期待する。いまさらだが、『ベルリン・アレクサンダー広場』はファスビンダーの根幹に関わる作品であるというだけでなく、多くの人が20世紀で最も重要な作品のひとつと考えていることを最後に付け加えておく。