明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ルイス・ガルシア・ベルランガと 50 年代スペイン映画(2)


先日、刑事コロンボを見ていたら、アン・バクスター映画女優の役ででていた。メル・ファラーが共演というのも豪華だが、このテレビシリーズに往年の映画スターが登場するのは珍しくない。今回は彼女が犯人役か、ぐらいに思って見ていると、ある場面で彼女が「イーディス・ヘッドのオフィスで」というセリフを言う。ハリウッド映画のクレジットではおなじみの名前だ。この名前わざとつけたのかなと思ってたら、本物のイーデス・ヘッドが本人役で出てきたので驚いたね。ちなみに、このときの監督は、リチャード・クワインだった。


──なんて話はどうでいい。本題に入ろう。

前回、「ルイス・ガルシア・ベルランガと50年代のスペイン映画(1)」を書いたとき最後に、続きは次回と言ってしまった。面倒くさいので、そのままうやむやにしようかとも思ったが、それもまずいと思い、とりあえず続きを書いては見たものの、自分で読んでも面白くなかったのでどんどん削っているうちに、箇条書きのようなものになってしまった。



サラマンカ国民映画会議」

50 年代になってスペインは、経済的にも文化的にも開放政策をとりはじめる。映画においても、内戦で悪くなったイメージを回復すべく、国際社会にアピールする作品が海外向けにつくられはじめる。その一方で、前回書いたように、国内では検閲による締めつけが行われていた。その結果、国内で上映される作品と、海外向けに作られる作品が、全然違うといったこともおきてくる。あるいは、同じ映画作品が、国内で上映されるときだけ極端にカットされて、まったく別の作品のようになってしまうなどということも少なくなかったようだ。フアン・アントニオ・バルデムやルイス・ガルシア・ベルランガが映画を撮りはじめるのは、スペイン映画がこういう矛盾を抱えていた時代だった。


1953 年、バルデムらの呼びかけのもと、名高い「サラマンカ国民映画会議」が行われる。イタリアのネオリアリズム映画の強い影響のもと、嘘だらけの旧態依然とした映画にかわって、スペインの現実を反映した映画が撮られるべきであるという主張が、参加した多くの知識人や映画人から支持され、会議は大成功に終わる。スペイン映画界に大きな影響を与えた重要な会議であるが、この会議がスペイン映画のかたちを直ちに変えたわけではない。この会議の重要さは、ずっとあとになって振り返ってみたときやっと見えてくるものでしかなく、実際には、その後も旧態依然とした映画があいかわらず作られ続けた。しかし、この会議で確認された、新しいスペイン映画を求める声は、各地に作られたシネクラブなど、様々なかたちでじわじわとスペイン映画を変える力となってゆくだろう。



『Bienvenido, Mr Marshall』(「ようこそ、マーシャルさん」、53)

サラマンカ国民映画会議で主張された新しいスペイン映画の最初の実例とでもいうべき作品のひとつが、バルデムとの共同脚本をルイス・ガルシア・ベルランガが監督した『ようこそ、マーシャルさん』である。

最初、この映画のタイトルを見たとき、"Marshall" というのは、スペイン語で「元帥」とかそんな意味なのかなと思っていたら、そうではなく、実は、マーシャル・プランの「マーシャル」のことだった。この映画は、突然、マーシャル・プランの一行を出迎えることになったカスティーリャ地方の一村の空騒ぎを描いたコメディである。

アメリカ人一行がやって来るという降ってわいたような話に、アメリカのことなど何も知らない村人たちは、たまたま村に来ていた女歌手カルメンのマネージャーの入れ知恵で、アメリカ人好みだというアンダルシアふうに村を急遽改装し、全員アンダルシアの民族衣装を身にまとう。アメリカについての勉強会を開いてにわか仕込みの知識をつめこみ、アメリカ歓迎の歌を作曲し、村をあげてのリハーサルを行うという村人たちの過熱ぶりが、見ていて実におかしい。あからさまな体制批判をした映画では全然ないが、スペイン人気質をちくりちくりと風刺した作品である。しかし、その視線はあくまで暖かい。タッチは全然違うが、この映画にはどこか、ジャック・タチの『のんき大将脱線の巻』を思い出させるところがある。

面白かったのは、アメリカ人たちの到着する前夜に、村人たちが夢を見る場面だ。まず、司祭が、KKKに捕まって尋問されたあげく、反米活動委員会によって死刑の宣告を受ける夢を見る。おなじみの頭巾をかぶったKKKの裁判官が、恐ろしく高い裁判員席からこっちを見下ろしているという、非現実的な空間が、それまでとは全然違う、コミカルでかつ恐ろしい雰囲気を作り上げていた。村長は村長で、西部劇のガンマンとなって酒場で決闘する夢を見る。この場面も先ほどの夢同様、バランスが悪くなるぐらい長い。夢の場面はさらにつづくのだが、長くなるので省略する。

この映画はカンヌ映画祭に出品され、ユーモア賞と脚本賞を受賞し、スペイン映画の再生を世界に鮮やかに示した。スペイン映画史に残る傑作である。実をいうと、わたしはこの映画を、字幕なしのスペイン語で見ただけだ。ストーリーはすぐ調べがついたが、細かいセリフまではわからなかった。しかし、セリフがわからなくても十分楽しめる映画だった(下の DVD には英語字幕がついているようだ)。




『El verdugo』(63)

『ようこそ、マーシャルさん』のちょうど 10 年後にベルランガが撮った作品。

"verdugo" とは「死刑執行人」を意味するスペイン語であり、この映画の主役は、まさにその死刑執行人である。老齢で引退がまぢかに迫っている死刑執行人が、後継者のことで頭を悩ませているところから映画ははじまる。美人の一人娘がつれてくる恋人は、父親の職業を知ると、すぐに去ってゆく。そんなとき彼女は、自分と同じような境遇にある葬儀屋の息子と出会う。死刑執行人の娘と、葬儀屋の息子は恋仲になる。娘の父親は、葬儀屋の息子が死刑執行人の仕事を継ぐことを条件に、ふたりの結婚を認める。娘婿はなかばむりやり死刑執行人の仕事を継ぐことになったが、彼の「初仕事」はなにやかやと先延ばしにされる。しかし、とうとう、死刑を実行しなければならない日がやってくる……。

『El verdugo』は、死刑という重いテーマを黒いユーモアで描いたベルランガの頂点のひとつとされる作品だ。死刑反対のメッセージを込めてつくられた映画は多いが、被害者でも加害者でもなく、死刑執行人を主役に描いたものは意外と珍しい。63 年といえば、もちろんまだフランコの独裁時代であり、この映画の制作中にも政治犯の死刑がおこなわれていたという。脚本を提出しなければ制作に入れない状況で、よくこんな映画が撮れたなと思うが、家族ドラマにカモフラージュされているおかげかもしれない。それでも、公開前には検閲で大幅にカットされ、フランコにもにらまれたようだ。


ちなみに、2008 年にパリのポンビドゥー・センターでおこなわれた『ビクトル・エリセアッバス・キアロスタミ往復書簡展』で、参考上映する映画を白紙委任されたビクトル・エリセは、ニコラス・レイの『We Can't Go Home Again』、スタンバーグの『アナタハン』、ストローブ=ユイレの『雲から抵抗へ』、メカスの『ロスト・ロスト・ロスト』などとならんで、ルイス・ガルシア・ベルランガのこの作品を選んでいる。


『ようこそ、マーシャルさん』とこの『死刑執行人』は、スペイン映画のオールタイム・ベスト 10 というのがあれば、ともに選ばれても不思議ではないぐらいの、スペイン映画史に残る傑作であるといっていい。残念ながら、日本ではどちらも未公開であり、おそらくテレビ放送されたこともないのではないかと思われる(まあ、そんなものだ)。



60 年代のスペイン映画

『糧なき土地』(36) 以来はじめてスペインに戻ってきたブニュエルが故国で撮った映画『ビリディアナ』(61) が、スペイン映画としてカンヌに出品され、受賞した直後に、スペインでの上映を禁止されるという、いわゆる「ビリディアナ事件」は、この頃になってもスペイン映画界が深い矛盾を抱えていたことを端的に示している。ちなみに、ブニュエルが長いブランクをへてスペインで『ビリディアナ』を撮るにあたって、製作を助けたのがフアン・アントニオ・バルデムであった。

60年代のスペイン映画を語る上で重要なのは、63 年から 67 年まで映画・演劇総局長を務めたガルシア・エスクデロという人物の存在だ。エスクデロはこの時期、さまざまな点においてスペイン映画の改革に努めた。彼の改革の内容は、彼もかつて参加したサラマンカ国民映画会議で主張されたことと重なる部分が多かったようだ。エスクデロの改革にはいろんな意味で限界もあったが、それでも、彼の改革のもと、60年代に入ってスペイン映画の製作本数は飛躍的に増加し、また、イタリアのネオレアリスモやフランスのヌーヴェル・ヴァーグのようなひとつの運動とは決してならなかったが、カルロス・サウラなど多くの若い世代の映画作家たちが次々と誕生し、「ヌエボ・シネ・エスパニョール」などという名称も生まれた。



ホセ・イスベルト

ところで、『ようこそ、マーシャルさん』の村長役と、『死刑執行人』の引退間近の死刑執行人役は、ホセ・イスベルトという同じ役者によって演じられている。サイレントの頃から 66 年に亡くなるまで、大変な数の作品に出演しているベテランで、スペインではだれもが知っている顔だといっていい(少なくとも、当時はそうだったはずだ)。Allcinema Online で調べると、Jos Isbert という誤った綴りで(正しくは、"José)『ばくだん家族』という映画が一本見つかるだけである(あいかわらず、役に立たないデータベースだ)。これで判断するのもなんだが、日本では、ほとんど無名に近い存在といってもいいだろう。

『ようこそ、マーシャルさん』では、この小太りの俳優が、西部劇のガンマンを無理してクールに演じようとしているのがおかしい。『死刑執行人』でも、イスベルトは、場所もわきまえずに死刑執行の話を喜々としてひんしゅくを買うKYな男をコミカルに演じている。



マルコ・フェレーリとスペイン

『死刑執行人』とほぼ同時代に撮られたマルコ・フェレーリの『El cochecito』(60) という作品でも、イスベルトはエキセントリックな演技でわれわれを笑わせてくれる。この映画でイスベルトが演じるのは、仲間がみんなもっている電動車いすを、足が動かなくなったふりまでして息子夫婦になんとか買ってもらおうが、すげなく反対され、あげくのはてには邪魔な息子を毒殺しようとさえする老人の役である。

フェレーリはイタリアの映画作家だと思われているが(そうなんだけど)、実は、デビューしたのはスペインで、スペインで撮った数本の映画、とくに、この『El cochecito』がベネチアに出品され、世界的に評判となったのをきっかけに、イタリアに凱旋帰国することになったという経緯があるのだ。その後のフェレーリ作品とくらべればまだまだまともだが、この映画を見れば、このころからフェレーリがかなり変な奴だったことがわかる。




ラファエル・アスコナ

『死刑執行人』と『El cochecito』をつなぐ名前がもう一つある。脚本家のラファエル・アスコナだ。彼もまた日本では無名に近い存在だが、だからといって重要でないと考えると恥をかくので、これを機会に名前を覚えておいてほしい。フェレーリとはスペイン時代の『小さなアパート』でも組んでおり、日本でも公開された『最後の晩餐』も彼の脚本である。非常にあくの強い脚本家なので、フェレーリのような個性の強い監督と組んだときのほうが、逆にいい結果を生んだのかもしれない。ベルランガの最高傑作の一つといわれる『Placido』(未見)もアスコナの脚本であり、カルロス・サウラとも何度も組んでいる。



『国民銃』(76)

フランコ政権崩壊後にベルランガが撮ったヒット作。フランコ時代の大臣や、成金のブルジョアなどが集まる狩りを描いて、特権階級の偽善や出世欲を風刺した映画で、『国有財産』(80)、『ナシオナル・第三部』(82) と「ナシオナル」三部作をなす。これもスペイン語、字幕なしで見た。これといったストーリーもない作品で、セリフがわからないとなかなかきつかった。スペイン人にしか分からないほのめかしも多々あるようなので、字幕があっても、日本人にはなかなかわかりづらい作品だったかもしれない。日本でソフト化されることはこの先当分ないだろうし、せめて英語字幕付きで見たいものだ。Criterion から DVD がでることを期待しよう。そのときは、ぜひ『Placido』を入れてほしい。