明るい部屋:映画についての覚書

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神戸映画資料館でわたしが行っている「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見」の詳細が決まりました。

「連続講座:20世紀傑作映画 再(発)見 第8回 パプストとブルックス──『パンドラの箱』を読み解く」 2019年12月22日(日) 詳細はここで。
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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

『ROAR/ロアー』――究極の「禁じられたモンタージュ」

ノエル・マーシャル『ROAR/ロアー』★★★


「ある出来事の本質が、行為の2つあるいはそれ以上の要素の同時的な提示を必要とするときは、モンタージュは禁じられる」


これは、アンドレ・バザンが「禁じられたモンタージュ」論*1のなかで提示した名高いテーゼである。同時に起きている2つの(あるいはそれ以上の)出来事を、モンタージュによって2つに分けて見せてしまったとき、物語は現実性(レアリテ)を失ってしまうだろう。たとえそれがフィクション映画であったとしても、このテーゼは当てはまる。いや、フィクションであるならなおのこと、観客がその物語を信じることができるためには、そのようなレアリテが必要となるのであり、文学などと比べたとき、映画の本質は他ならぬその点に存するのである(バザンがこの論文で問題にしているのは、そもそも、いささか現実離れしたラモリスのフィクション映画『赤い風船』と『白い馬』なのだ)。

もっとも、バザンはモンタージュをすべて否定していたわけではない。ただ、 映画にはどうしてもショットを分けてはならない、分けてしまえば それが映画として作られた意味を失ってしまう瞬間があると言っているだけである。このテクストの中でバザンは、『禿鷹は飛ばず』という「平凡な」イギリス映画につてふれ、そのなかに出てくる、両親と子供とライオンを一つのフレームの中に捉えたショットに感銘を受けたことを語っている。そのたった一つのショットが適切な場所に置かれているだけで、その前後の、子供とライオンを別々に撮ってそれをモンタージュ(というトリック)によって、あたかも2つが同じ空間にあるかのように見せている部分さえもが生きてくるのだと、バザンはいう。

このような文脈で見た時、ノエル・マーシャル監督が、当時結婚していた女優ティッピー・ヘドレンとかれらの子供たち(その中には若きメラニー・グリフィスも入っている)、家族全員参加で作り上げた動物パニック映画『ROAR/ロアー』*2は、バザンの「禁じられたモンタージュ」をある種の臨界状態において実現してしまった映画だと言っていい。


アフリカ*3のサバンナで野生のライオンたちに囲まれて暮らしている父親のもとに、遠く離れた都会で暮らしていた妻と子供たちがやって来る。家族が来たことを知らない父親をかれらが家で待っていると、無数のライオンたち(なかにはトラも)が玄関や窓から入り込んでくる。だれもがパニックになって逃げまどうが、天井の開口部からもすでにライオンたちが中を覗き込んでいて、どこにも逃げ場はない。そうこうするうちに部屋の中はライオンだらけになってしまい、彼らは無数の野獣たちに囲まれてほとんど押しつぶされそうになる。まるで『マルクス兄弟 オペラは踊る』のエレベーターのシーンのようだ。

驚くべきなのは、これら一連のシーンが、CGはもちろん、モンタージュさえ用いることなしに、撮影されていることである。ティッピー・ヘドレンやメラニー・グリフィスたちは、代役を使うことなく、ほぼ終始一貫、ライオンやトラたちと同一の画面のなかに捉えられ続けるのである。今ならこんな危険な撮影は到底考えられないだろう。ある程度は予想しながら見たのだが、それでもわたしはあり得ない光景に最後まで呆気にとられたまま見終わった。まったく狂気の沙汰だ。



無論のこと、ノエル・マーシャルを始めとしてこの一家のものたち全員は、動物たちと時間をかけて関係を築いてきたのだろうし、この映画の撮影も何年もかけて行われたという。しかし、それにしてもである。

「この映画の中では、動物たちは一匹も傷付けられていません」というこの映画の冒頭に出てくる字幕は、動物が出てくる映画ではお馴染みのものである。たしかに、撮影中に傷ついた「動物」はいなかったかもしれない。しかし俳優やスタッフのほうは怪我人が続出したという。実は、この映画の撮影をしているのは、オランダ出身のキャメラマンヤン・デ・ボン(のちに『スピード』を監督する)なのだが、かれがこの映画を撮影中にライオンに頭を咬まれて瀕死の重傷をおったことは今や伝説になっている。


「禁じられたモンタージュ」のなかでバザンはチャップリンの『サーカス』についてもふれ、そのなかでチャップリンがライオンの檻の中に閉じ込められるシーンについて言及している。ここでもまたライオンである*4。バザンが夢見ていたことを実現してしまったかのようなこの映画『ROAR/ロアー』を見ていると、映画のユートピアを目にしているような気さえしてくる。しかしその一方で、この映画にはバザンのパロディを見ているように思えてくる瞬間も少なくない。「カイエ・デュ・シネマ」がこの映画を紹介するにあたって「スナッフ・ムーヴィー 」という言葉を使っていることは頷ける*5。映像を現実に根付かせるはずの「禁じられたモンタージュ」が、胡散臭い見世物性を引き寄せてしまうとは、なんとも皮肉な話である。


ティッピー・ヘドレンは、母親役として果敢な演技を見せているだけでなく、作品のプロデュースもしている。嘘のような数のライオンに囲まれた彼女を見ていると、この映画全体が、彼女が約20年前に主演したヒッチコックの『鳥』のパロディではないかとも思えてくる。どこまで意識してやっていたかはわからないが、ライオンたちに占拠されてしまった家をあとにして、一家が音を立てないようにしてそっと抜け出すラスト間近のシーンなど、『鳥』の最後を思い出さずにはいられない。この点でも、これは見逃せない作品である。


*1:『映画とはなにか II』(美術出版社)

*2:公開時のタイトルは「ロアーズ」。

*3:この映画は、いかにも全編アフリカでロケーション撮影されたように見えるが、実は、ほとんどのシーンがカリフォルニアで撮られたものだった。マーシャル一家は、この頃カリフォルニアで動物たちに囲まれて暮らしていたのである。

*4:「禁じられたモンタージュ」でバザンが取り上げているのは、ナヌークとセイウチや、『ルイジアナ物語』のワニといった具合に、多くは動物と人間を描いたシーンに関係していることは注目に値する。

*5:この映画にはこれといった物語もなく、だらだらと見せ場が続いていくだけという意味でも、この指摘は当たっている。もっとも、この作品はしばしばホラー映画として語られもするのだが、見ていて受ける印象は、恐怖からは程遠い。そもそも登場人物たちが、パニック状態になりながらも、一向に怖がっているように見えないのだ。