5月26日の神戸映画資料館の連続講座:20世紀傑作映画再(発)見 第4回「『カメラを持った男』──機械の眼が見た〈真実〉」がそろそろ近づいてきたので、これから暫くの間はロシア・ソヴィエト映画強化週間になります。
ミハイル・カラトーゾフ『軍靴の中の釘』(Gvozd v sapoge [Lursmani cheqmashi], 31) ★★½
『スヴァネティの塩』を始めとするドキュメンタリー作品数本を撮った後にカラトーゾフが手掛けた劇映画第2作目。
革命軍の武装列車が皇帝軍の襲撃を受ける。列車とそれに乗った赤軍兵士たちを救うために、一人の兵士が大事なメッセージを携えてひとり列車を離れ、援軍を呼びに向かう。しかし、その途中で彼の履いた軍靴の釘が足に刺さり、苦痛で動けなくなる。その間も列車は攻撃を受け続け、味方は次々と死んでゆく。兵士は軍法会議にかけられ、敗北の責任を追求される。しかし、彼は反論するのだった。工場でもっとちゃんとした軍靴さえ作られていたなら、こんなことにはならなかったのだと……。
エイゼンシュテインたちに少し遅れて、モスクワでクレショフらの提唱する斬新なモンタージュ理論にふれた地方出身の青年監督が、それを急速に吸収してゆき、いささか過剰なまでにモンタージュの技法を披露してみせたとでもいうべき作品で、『スヴァネティの塩』同様、形式的には目をみはるものがある。
この映画では戦闘がリアルに描かれる一方で、どことなくおとぎ話めいた雰囲気が最初から漂っている。とりわけ、後半の裁判シーンで、若者たちが、「われわれにはこのような父親はいらない」(「父親」とは、今まさに裁かれている兵士のこと)と書かれた垂れ幕を掲げて傍聴席に入ってくるところあたりから、作品のトーンが予想もしない方向に変化していき、ちょっと唖然とさせられる。
カラトーゾフにはおそらくその意図はなかったはずだが、この作品は赤軍を批判的に描いているという理由で上映禁止の憂き目に合った。スターリン時代の検閲の実体を考える上でも、この作品は重要な映画の一つと言える。この前に撮られた『スヴァネティの塩』もソヴィエトのネガティヴな部分を描いているとの理由で当局から睨まれたわけだが、どちらも表向きの理由であり、実際は、カラトーゾフの映画の形式主義が、スターリン時代の締め付けが強まり始めていた党の映画についての方針と相容れなかったということかもしれない。いずれにせよ、このあと彼が思うように作品を撮れるようになるのは、実に、ここから20数年後のことであった。
トーキー時代に入ってもカラトーゾフの映画から画面の過剰さは消えることがなかった。サイレント時代のめくるめくような素早いモンタージュに代わって異様なほど長いワンショット=ワンシークエンス撮影へと姿を変えてそれは残り続け、ソ連を遠く離れたキューバにおいて撮られた晩年の傑作『怒りのキューバ』に於いてマニエリスムの頂点に達するだろう。
Filmmuseum から出ている DVD(下写真)には、『スヴァネチアの塩』も収録されている。