アントワーヌ・ド・ベック『ラ・シネフィリー 視線の誕生──1944−1968年 ある文化の歴史』
のんびり読んでたので、やっと半分ほど読み終わった。シネフィリー(映画愛)を歴史的に論じた本と思って読みはじめたのだが、今のところ、実質、「カイエ・デュ・シネマ」誌を中心とした映画批評史といってもいい内容。しかも、少なくともここまで読んできた部分(第3章の「ヒッチコック問題」、第4章の「トリュフォーはいかにして『フランス映画のある種の傾向』を書いたか」)に関しては、山田宏一などの書物ですでに知っていることだったりするので、これはという発見はさほどない。
しかし、第2章の戦中から戦後に書けてのジョルジュ・サドゥールの批評を扱った部分は、意外と知られていないことがいろいろ書かれていてなかなか面白かった。例えば、山田氏などの本では、サドゥールの批評は、「カイエ」の批評家たちと対比するかたちで、軽くふれられるだけだったりする。たしかに、その左翼教条主義的な批評は、ある意味、全然つまらないのだが、ここを押さえておかないと見えてこないことがいろいろあると気づかされた。
周知のように、サドゥールは自他共に認める左翼の批評家で、当時は「レクラン・フランセ」(のちに「レ・レットル・フランセーズ」に吸収される映画雑誌)で映画批評を展開していた。サドゥールは、スターリン時代のソヴィエト映画を、左翼的イデオロギーが謳われているというだけの理由で(ほとんどそんなふうに見える)手放しで絶賛することが多かった。そして、スターリンを描いたソヴィエト映画に、サドゥールはひとりの英雄の姿を本気で認めていたのだった。
やがて創刊される「カイエ・デュ・シネマ」に集まったトリュフォーらの若き批評家たちは、アメリカ映画を熱烈に支持したために、サドゥールら左翼よりの批評家たちには、彼らのアメリカ映画主義が保守的で、場合によっては反共産主義的であると受け取られることさえあった。アンドレ・バザンはこれらの跳ねっ返りの若き批評家たちとは一線を画していたとはいえ、「ソヴィエト映画におけるスターリン神話」と題された一文において、バザンは、当時まだ現存していたスターリンを描いたソヴィエト映画に、危険な神話化を感じ取って、これらの映画におけるスターリンの表象の仕方を批判したのであり、これをみても、バザンの映画批評がサドゥールのそれとは全然異なるものだったことがわかる。
こうした、サドゥールに代表される左翼よりの映画批評家たちと、「カイエ」のアメリカ映画主義のヘゲモニーを押さえておかないと、リヴェットが「カイエ」にバルネットの『ゆたかな夏』を絶賛する記事を書いたニュアンスもなかなか理解できない。
今読んでいる第5章「モラルはトラヴェリングの問題である」も、サミュエル・フラーのフランスでの受容のされ方について詳しく書かれていて、とても面白い。反共的な映画作家と見なされていたフラーが、サドゥールに気に入られなかったのは当然だろう。バザンが、ヒッチコックやホークスをさして評価していなかったのは有名だが、フラーのこともまったく評価していなかったらしい。サドゥールに宛てたある手紙の中で、フラーを "salaud"「ゲス野郎」呼ばわりしてるのには驚く。
後半では、「ポジティフ」との関わりとか、ベルナール・ドルトのことなど、日本ではあまり論じられない視点からフランスの映画批評とシネフィルの歴史が語られているようなので、ますます興味深い内容になっていそうな予感がする。