明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

アンドレ・バザンによるクリス・マルケル『シベリアからの手紙』評


アンドレ・バザンクリス・マルケルの初期ドキュメンタリー作品『シベリアからの手紙』(58) について書いた文章。フランス語の原文が手に入らなかったので、英語からの重訳である。
(今日は、とりあえず急いで訳しただけなので、細かいチェックは明日になってからする。)

バザンとマルケルの関係については、12月16日の神戸資料館での講演のなかで軽くふれる予定。


覚えておられるだろうが、クリス・マルケルは『世界のすべての記録』と『彫像もまた死す』(後者は今も、検閲によって半分カットされたヴァージョンしか公開されていない)のナレーションを書いた人物である。これらの作品の、痛烈な皮肉とポエジーが見え隠れする、鋭く力強いナレーション*1は、その作者に、現在のフランス映画のもっとも活気に溢れた周辺部分を形作っている短編映画の分野において、特別な地位を保証するに十分だろう。共通の理解で結ばれている友人アラン・レネによるこれらの作品のナレーションの作者として、クリス・マルケルはすでに、テクストとイメージの間の視覚的な関係を大いに変化させてきた。だが、彼の野心は明らかにもっとラディカルであり、それゆえ、彼自身が自分で映画を作ることが必要になったのである。



最初に『北京の日曜日』が作られて、1956年のトゥール映画祭で賞を取り、そして今、驚くべき作品『シベリアからの手紙』がついに現れた。『北京の日曜日』は見事な作品だったが、主題の大きさに比べて短すぎるという点において、少しがっかりさせるものでもあった。それに、この映画の映像は、しばしば非常に美しくはあるが、結局のところ満足なドキュメンタリーの素材を提供するものではなかったということも言っておかなければならない。見終わったあとに、これではまだ足りないという気にさせたのである。だが、マルケルが『シベリアからの手紙』で蒔きつづけることになる、言葉とイメージの間の弁証法の種は、すでにそこに存在していた。この新作『シベリアからの手紙』のなかで、その種は長編映画にふさわしい大きさにまで育ち、重みを獲得する。


〈一つのドキュメンタリー的視点〉

『シベリアからの手紙』をどうやって説明したらいいだろうか。最初は否定的に、この映画が、ドキュメンタリー方式の映画――〈主題〉を描く映画――でこれまでわれわれが見てきたものとは何一つ似ていないことを指摘してみる。だがそうなると、この映画はいったい何なのかを説明する必要がある。そっけなく、客観的に言うならば、これは、シベリアを何千キロにも渡って自由に旅できるという稀な特権を与えられた一人のフランス人によるレポート映画である。過去3年の間に、われわれはロシアに旅行したフランス人たちによるレポート映画を何本か目にしたが、『シベリアからの手紙』はそのどれにも似ていない。だからより詳細に見てみるべきである。次のような大凡の説明をしてみよう。『シベリアからの手紙』は、映画に撮られたレポートというかたちで過去と現在のシベリアの現実を描いたエッセイである、と。あるいは、ジャン・ヴィゴが『ニースについて』について語った言葉(「一つのドキュメンタリー的視点」)を借りるならば、映画によって記録された(documented)エッセイであると言ってもいいかもしれない。大事なのは「エッセイ」という言葉であり、これは文学においてこの言葉が持っているのと同じ意味で使われている。つまりは、歴史的であると同時に政治的な、さらには一人の詩人によって書かれたエッセイである。

政治的なドキュメンタリーや、ある特定の主張をもつドキュメンタリーにおいてさえ、事実上は、映像(すなわち、映画特有の要素)が作品の第一の素材をなしていることが普通である。作品の方向性は、映画作家がモンタージュにおいて行う選択を通して示され、ナレーションが、記録された映像(document)にこうして与えられる意味の組み立てを仕上げる。マルケルの映画においては、今述べたこととはまったく別のことが起きるのである。そこでは、第一の素材は知性であり、その直接的な表現手段は言語であって、映像は、この言語的な知性との関係で、三番目に介入してくるに過ぎないと言っていい。通常のプロセスが逆転しているのである。思い切って別のメタファーを使ってみよう。クリス・マルケルは、ショットとショットの関係を通して持続の感覚と戯れる従来のモンタージュとは対照的に、〈水平的な〉モンタージュとわたしが名付ける、全く新しいモンタージュの概念を自分の映画にもたらしたのである。そこでは、映像は、それに先立つ映像とも、それにつづく映像とも関わらず、むしろ、語られている言葉[ナレーション]と、何らかのかたちで、水平に関わっているのである。


耳から眼へ

あるいは、マルケルの映画では、基本をなす要素は語られ聴かれる言葉の美しさであり、知性は聴覚的要素から視覚的要素へと流れると言ったほうがいいかもしれない。そこではモンタージュは耳から眼へと形作られてきたのである。紙数が限られているので、ひとつだけ例をあげよう。それはこの映画で最も成功している瞬間でもある。マルケルは、意味に満たされていると同時に、まったくニュートラルでもある一つのドキュメンタリー映像を提示する。それはイルクーツクの通りを捉えた映像である。一台のバスが通り過ぎ、道端で労働者が道路工事をしている。ショットの最後に、どことなく不思議な顔をした(控えめに言って、少しばかり自然の恵みを受けた顔をした)人物がたまたまカメラの前を通りかかる。マルケルはこのどちらかと言うと平凡な映像に、2つの対照的な視点からコメントを加える。最初は共産党の方針に沿ったコメントで、それによると、このだれとも知れない通行人は、「北の国(north country=シベリアのこと?)を絵のように鮮やかに代表している」ということになる。ところが、もう一つの反動的な観点に立ったコメントの中では、彼は「人を困らせるアジア人」ということになってしまう。

このたった一つの、人を考えさせる対照法だけでも、見事なインスピレーションの賜であるが、その機知はどちらかと言うと安易なものにとどまる。その時である、マルケルはそこに、偏りのない、微に入り細をうがつ第三のコメントを加え、このかわいそうなモンゴル人を「やぶにらみのヤクート*2」と客観的に描写するのである。ここに至って、映画はたんなる才気とアイロニーの作品を遥かに超えたものとなる。というのも、マルケルがたった今証明してみせたのは、客観性というものが、特定の党派に偏った相対する二つの視点以上に、偽りのものだということだからである。少なくとも、ある種の現実に対して、公平無私であることは幻想にすぎない。マルケルの映画のなかに今見てきた操作は、したがって、同じ映像を異なる三つの知的文脈のなかに置き、その結果をたどるという、まさに弁証法的な操作なのである。


知性と才能

このかつてない試みがどういうものなのかを読者に完全にわかってもらうために、最後に指摘しておきたい。クリス・マルケルは、現場で撮られたドキュメンタリー映像を使うだけにとどまらず、助けになるものならありとあらゆる映像素材を――静止画像(彫刻や写真)はもちろん、アニメーションまで――使っていることである。[アニメーション映画作家ノーマン・]マクラレンのように、彼はためらうことなく、この上なくシリアスな話題をこの上なくコミカルなやり方で語ってみせる(マンモスの場面がそうである)。この花火のように陳列されるテクニックには、一つだけ共通項がある。それは知性である。すなわち知性と才能。あと一つだけ指摘しておかなければならない。この映画の撮影はサッシャ・ヴィエルニ―、音楽はピエール・バルボ―、そして、見事に読み上げられるナレーションは、ジョルジュ・ルキエによるものだということである。

(「フランス・オプセルヴァトゥール」紙、1958年10月30日)



*1:英訳では「narration」という言葉が使われているが、マルケルはこれよりも「commentaire」という、どちらかと言うと対象に対する客観的な距離が感じられる言葉を好んで使った。彼の極めて文学的なコメンタリーは、その後テキストとして本にまとめられ、『Commentaire』『Commentaire2』として出版されている。

*2:主に北東アジアに居住するテュルク系民族に属して、サハと自称する。ロシア連邦サハ共和国の主要構成民族の1つである。人種はモンゴロイドであるが、近年はロシア人との混血が進んでおり、中にはコーカソイドの容貌をもっている一派も存在する。[ウィキペディア