明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

ガイ・マディンの『My Winnipeg』で、老いたアン・サヴェッジに出会う


ガイ・マディンについては、以前、『Brand Upon the Brain!』という映画を紹介したさいに、軽くふれてある。その作品は、わたしにはお遊びのすぎる作品に思え、たいして感銘は受けなかった。しかしわたしは、たかだか長編を一本見たぐらいで、その監督の力量をはかれるほどの眼力の持ち主ではない。なので、この監督については保留ということにしておいた。

しばらくして、『My Dad Is 100 years Old』という短編を見た。イザベラ・ロッセリーニが、瀕死のロベルト・ロッセリーニを前にして父親のことを語るという内容で、調べてはいないが、タイトルからしてたぶん、ロッセリーニ生誕百年かなにかのさいに企画された映画ではないかと思われる。"My Dad" とはだから、表面的には、ロッセリーニのことを指しているのだが、100歳を超えた映画そのものを暗に意味してもいるのかもしれない。セルズニックやヒッチコックなど様々なキャラクターが登場し、そのすべてをイザベラ・ロッセリーニが一人で演じるという、相変わらずキッチュなスタイルで撮られた作品だ(シナリオは、イザベラ・ロッセリーニが書いている)。ゴダールの『映画史』の影響も感じられ、なかなか興味深かった。『Brand Upon the Brain!』のような、曲がりなりにもストーリーらしきものがある作品よりも、こういうエッセイ風の作品の方がこの監督には向いているのではないかと思った。


次に見たのが、この『My Winnipeg』だ。

無知なわたしは、最初このタイトルを見たとき、"Winnipeg" というのは豚の一種かなにかだろうか、などと見当外れなことを考えていた。むろん、それは大間違いで、ウィニペグとはカナダの一都市の名前なのである(知らない人がいるかもわからないので、あえて説明させてもらった)。『My Winnipeg』は、ガイ・マディンが、故郷ウィニペグを描いたドキュメンタリーだ。そんな都市が存在することさえ知らなかったが、この映画を見て、ウィニペグはわたしにとっても忘れがたいものになった。

しかし、ドキュメンタリーととりあえず言っては見たものの、はたしてこれをドキュメンタリーと呼べるのだろうか。この映画を見ただれしもがそう思うに違いない。

ナレーションの声が「母」と呼ぶ女性が、監督かだれかに指示されたセリフを、カメラに向かって繰り返している場面から映画ははじまる。ついで、走る夜行列車のなかで、必死に眠気と戦っている監督ガイ・マディンの分身らしき男が、映し出される。冒頭から終始流れつづけるナレーションは、彼の声である(あるいは、声だけはガイ・マディンのものかもわからないが、確認していない)。彼はいま、愛すべき、そして憎むべき故郷から、列車で逃れようとしている。いま眠ってしまっては、また故郷の夢に絡め取られてしまう。だから、必死で眠りをこらえているのだ。やがて、夢のように連なるイメージとともに、ウィニペグの街が描き出されてゆく。この夜行列車のイメージは、映画全編を通じて何度もくり返し挿入されることになるだろう。すべては、まどろむ男の脳裏に映し出される記憶とも、夢とも区別のつけがたいイメージのようにも思える。

走る列車の窓の外には、雪景色が広がっているのだが、その風景はときにわざとらしく合成されて、窓枠にはめ込まれる。「ウィニペグの町の夢遊病者の数は、他の町の10倍だ」などと語るナレーションに合わせて、夜の街を夢遊病者たちがさまよう光景が映し出される、などといった人を食ったイメージさえある。このあたりまで見れば、よほどのお人好しでないかぎり、ナレーションが語ることを、あるいは映像に映し出されるものを、すべて素直に受け止める人はいなくなっているだろう。


ナレーター=ガイ・マディン(の分身)は、故郷の記憶から解放されるために、その記憶を事細かに再現しようと試みる。彼の兄弟姉妹役の俳優たちが集められ、家具の位置など細かいディテールまでそっくりそのまま、少年時代の家族団らんの光景がカメラの前で再現されてゆく。「母」以外はすべて俳優たちが演じている、とナレーションは語る。そこで再現されるのは、「母」が欠かさず見ていたというカナダの人気テレビ番組を、家族そろって居間で見ているときの光景だ。そんな時間をガイ・マディンはたしかに経験しているのかもしれないが、そのテレビ番組の内容というのが、窓から飛び降り自殺しようとする息子を、母親が説得して止めるという話で、それが毎回繰り返されるのだという。そんな嘘みたいなドラマがあるわけないし、さらには、このエピソード自体が作り話ではないかとさえ思えてくる。

この直後に、母と娘の対立を再現したシーンがつづくのだが、そこで「母」が言うセリフが、映画の冒頭で彼女がリハーサルをしていたセリフなのだ。いつものように、なんの情報ももたずに見始め、冒頭のクレジットも見落としていたので、このあたりまで見たところで不安になってきた。兄弟姉妹たちが、再現ドラマのために集められた俳優なのは映画のなかで説明されるのだが、この「母」は、ガイ・マディンの本当の母親が自分自身を演じているのだろうか、それとも、まったく赤の他人なのだろうか。ナレーターは、彼女はむかし女優をしていたことがあり、さっきの家族団らんの場面で出てきたテレビ・ドラマで母親の役を演じていたのも彼女だと語る。しかし、そんな情報は自体をますます混乱させるだけだ。

(あとになって、「母」と呼ばれる女性を演じていたのが、アン・サヴェッジだと知って驚いた。アン・サヴェッジといっても、たぶんわかる人はほとんどいまい。40,50年代にハリウッドのB級映画を中心に活躍し、50年代の半ばには映画界から事実上引退してしまっている女優だ。いまではほとんど忘れ去られているといってもいい。だが、エドガー・G・ウルマー『恐怖の回り道』でヴェラを演じていたのが彼女だといえば、わかる人も多いだろう。ラストで、電話コードにからまって絞め殺されるあの女だ。彼女が起用された理由は定かでないが、ジグザグを描くような作品の進行や、交通事故のエピソードなど、『恐怖の回り道』を思い出させる部分は少なくない。そういえば、あの映画の主人公も、逃げようとして悪夢に絡め取られていくのだった。)


こんなふうに、極私的な記憶がたぐり寄せられる一方で、ガイ・マディンが生まれるはるか以前のウィニペグの町の記憶が、掘り起こされてゆく。ここでも、ニュース・リールなどからの「本物」の映像に混じって、スクリーン・プロセスなのか、たんなる合成なのかよくわからないが、前景と後景がわざとらしくずれたイメージを使った嘘くさい再現映像がくり広げられる。実際におこなわれた催しなのか、それともこれも、この映画のために作り上げたデタラメなのかわからないが、"IF DAY" と呼ばれる町のお祭りでは、もしもウィニペグがナチによって占領されていたとしたらどうなっていたかという架空の歴史が、ナチの軍服をきた(素人?)俳優たちによって演じられさえする(ケヴィン・ブラウンローの『It's Happened Here』を思い出させるエピソードだ)。最初に書いたように、ウィニペグが実在する町かどうかも定かでなかったという、こちらの個人的な事情も手伝って、この映画でガイ・マディンが描く郷土史は、どこまでもフィクションに近づいてゆくように思えた。


フェイク・ドキュメンタリーと呼ばれる映画がある。ドキュメンタリーの手法を使ってもっともらしく作り上げてあるが、実は真っ赤な嘘というものだ。だまされる観客を見て笑うというたんに遊び感覚で作られたものもあれば、オーソン・ウェルズの『フェイク』のように、虚構と真実の意味を問い直すような作品もある。たんに臨場感を高めるためだけに一人称カメラを使った『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『クローバー・フィールド』のような作品も、ときに、フェイク・ドキュメンタリーと呼ばれることがある。しかし、『My Winnipeg』はそれらの作品と似ているようで、全然違う。それは手法の違いというよりも、この映画のテーマが「故郷」という特殊な存在だからかもしれない。

虚構性をことさら強調したようなイメージが使われる一方で、ガイ・マディンの「故郷」を捉えるまなざしには、『Brand Upon the Brain!』や『My Dad Is 100 years Old』にはなかった透明感と、抑えがたい思いとでもいったものが感じられる。16ミリ・フィルムを使っているのか、それともそのように見えるようにわざと鮮明感のない画面にしているのか、町の風景を捉えたショットや、記憶を再現したショットを見ていて、メカスの日記映画の映像を思い出すことも少なくなかった。むろん、それらは、いまそこにある瞬間をカメラに定着させたメカスの場合とはまったく違い、いくえにも加工されたものかもしれない。しかし、素直に作られていないだけに、逆に、そこからにじみ出てくるノスタルジーは強烈で、思わず泣けてきたぐらいだ。不覚にも感動して、駄文を連ねてしまったわけである。


カイエ・デュ・シネマ」のフェリーニ特集にガイ・マディンが寄せた文章によると、『My Winnipeg』はガイ・マディンなりの『青春群像』なのだという。フェリーニのとくに初期の作品はすべて好きだと語っているのを見ると、『My Dad Is 100 years Old』でロッセリーニを描いているのも、それほど意外ではないのかもしれない、と最後に付け加えておく。