"His people come to life simply and believably; more believably than most of the people in the Chabrol and Truffaut cinema... the film has a thematic and formal beauty that is remarkable." - Jonas Mekas
"[…] the most exciting new filmmaker in recent years. Echoes of Silence, his first film, is a stunning piece of work." - Susan Sontag
(ともに、『沈黙のこだま』についてのコメント)
ピーター・エマニュエル・ゴールドマン『灰の車輪』(Wheel of Ashes, 64) ★★★
「アメリカ映画がかつて長いあいだそうだったもの、リヴェットいうところの〈探索弾頭 tete chercheuse〉の役割を今や担っているのは、ヨーロッパ映画である。ベティカーが撮った数本の近作以来、アメリカ映画(ニューヨーク派も含めて。ただし『沈黙のこだま』は除く)は、空回りし(フラー)、足踏みし、パロディ化し、剽窃し、ニコラス・レイのように(かれは、デュースブルクで、アトラス・フィルム向けにくだらない仕事を引き受けたばかりだという)、裏切り、自己を否定しさえしている。(たとえばチャップリン、ラング、ルノワール、ロッセリーニらが、人から嘲笑われることなどまるで恐れずに新作を発表し続けているのにくらべれば、ヒッチコック、ホークス、ウォルシュでさえ、少しばかり足踏みしているように思える。)例外が二人いる。ジェリー・ルイスはおそらくその一人であり、もうひとりはジョン・フォードだ。フォードは、アメリカ映画をその頂点にまで高め(『馬上の二人』『捜索者』『騎兵隊』)、そしてその失墜を加速させたあとで(『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』)、アメリカ映画を崇高なものにしたばかりだ。無論、『荒野の女たち』のことである。」
これは、1966年にジャン=マリー・ストローブがアメリカ映画の状況について書いた一文である。このなかで、60年代なかばのアメリカ映画における例外的な注目作の一つとしてストローブが挙げている『沈黙のこだま』という作品の作者として脚注に小さく書かれていた名前を見たのが、ピーター・エマニュエル・ゴールドマンという映画作家の存在を知った最初だった。
ゴールドマンのデビュー作『沈黙のこだま』(64) は、サイレント映像に音楽だけをつけたような映画で、これといった物語もなく、短いエピソード(といってもほとんど何も起きないのだが)が並べられてゆくだけの、一見素人が撮ったようにも見える作品だったが、ニューヨークのの空気と孤独感だけは見事に捉えられていた。
この最初の映画の撮影をはじめた1962年頃、ゴールドマンは写真にも魅せられていて、友人たちの生活や、自分が生まれた街であるグリニッジ・ヴィレッジを中心とするニューヨークの街の風景などをカメラに収めはじめる。この頃彼は、敬愛する写真家ロバート・フランクに会いに行ったりもしている。(かれがこの時期に撮った写真はやがて忘れ去られてしまうが、今、ゴールドマンは映画作家としてだけではなく、写真家としても新たに注目されはじめている)。
正確な時期は分からないが、この頃、ゴールドマンはヨーロッパに渡り、いっときソルボンヌに在籍したあとで、またニューヨークに戻ってきている。その間、船乗り、ウェイター、トラックの荷物積みや、ヌード映画の撮影までしながらなんとか生き延びる一方で、ウォーホルの映画を発見したりもしている。
65年、『沈黙のこだま』がニューヨーク、ついでペサロ映画祭で上映され、そこでこの映画を見たジャン=クロード・ビエットが「カイエ・デュ・シネマ」に熱狂的な記事を書き、ゴールドマンの名前は映画通のあいだで知れ渡ることになる。ゴダールもこの映画を見て気に入り、ゴールドマンがパリで生活するための奨学金を得られるように尽力したとも聞く。
こうして66年にスエーデン人の恋人とともにパリに渡ったゴールドマンは、最初のあいだ、アニェス・ヴァルダとジャック・ドゥミ夫婦の家に泊めてもらっていたという。やがて出会った俳優ピエール・クレマンティとともにかれは長編第2作『灰の車輪』にとりかかる。
『灰の車輪』は、基本的には、『沈黙のこだま』の延長線上にある作品であるが、実質サイレント映画であった『沈黙のこだま』とくらべると、ずっとトーキー映画らしい作品になっている。ピエール・クレマンティ演じる若者の生活を、その欲望と孤独と内面の探求を、親密な日記のようなタッチで描いてゆくところは、『沈黙のこだま』同様、実存主義的映画とでも呼びたくなるものだ。しかし、この映画は、前作にはなかった神秘主義的な傾向を色濃く作品ににじませている。だが、今にして思えば、その傾向は『沈黙のこだま』の時からすでに見え隠れしていたのかもしれない。
クレマンティ演じる若者は東洋的な神秘思想にのめり込んでゆき、やがて、欲望にまみれたこの混沌とした現世から解き放たれるために、恋人を捨ててひとりアパルトマンに閉じこもって瞑想にふけりはじめる。冒頭の「カルマの法」について書かれた字幕から始まって、クレマンティが読みふける東洋思想の書物、通りすがりの女性の胸にかかった大きな十字架のペンダント、教会の十字架、チベットやインドの宗教画、あるいはヒエロニムス・ボスやデューラーの絵画などなど、この映画には東洋的かつ西洋的な宗教的イメージがあふれている。
クレマンティの声によって語られる神秘主義的な想念は、正直言って、あまり頭には入ってこない(英語字幕だとなおさらだ)。しかし、前作のニューヨーク同様、この映画では、ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちでさえできなかったような生々しさでサンジェルマン・デ・プレをとらえた映像が実に素晴らしい。知らずに見たならば、これを撮った監督がアメリカ人だとはだれも思わないだろう。なお、この作品には、ジュリエット・ベルトも出演している。
わずかこの2作で多くの映画人や批評家から映画作家としての将来を期待されていたゴールドマンだったが、72年、ベルリン・オリンピックにおけるパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手団の殺害事件(スピルバーグの『ミュンヘン』にも描かれた)に衝撃を受け、ユダヤ人としての自分の存在に突然目覚めると、以後、シオニズムへと急速に傾いてゆく。『灰の車輪』でクレマンティの恋人を演じているカティンカ・ボーは、当時ゴールドマンと結婚していて、二人の間には娘もいたのだが、ユダヤ教徒でない彼女が改宗を拒んだために、ゴールドマンはついには離婚を決意する。
80年代に入ったときには、かれは AFSI(Americans for a Safe Israel)という団体を立ち上げ、その会長となっていた。その一方で、82年の第5次中東戦争におけるNBCニュースの不誠実な報道姿勢を描いたドキュメンタリー『NBC in Lebanon: A Study of Media Misrepresentation』を監督したりもしている。ゴールドマンはまた、イスラエルの首相や合衆国の上院議員などが監修している『The Media’s War Against Israel』という本を共同編集し、それがきっかけでホワイトハウスに招待されてレーガン大統領と中東情勢について議論したこともあるという。
イスラエルのために四苦八苦するこの人物が、60年代に2本の前衛映画を撮った映画作家ピーター・エマニュエル・ゴールドマンと同一人物であるとは、にわかには信じがたい。しかし、これは事実であり、今のゴールドマンを知る人たちには、数十年前に彼が映画を撮っていたことのほうが嘘としか思えないらしい。
ゴールドマンは、75年に『Last Metro to Bleecker Street』という自伝的な小説を発表したりしてもいる。
1939年生まれだからすでに80近い年齢になるはずで、映画からはすっかり遠のいてしまったようだが、現在も精力的に活動を続けているらしい。写真家、映画作家、小説家、シオニスト……。様々な顔を持つこの人物にはまだまだ謎が多い。しかし、それ以前に、日本では彼の名前はまだほとんど知られてさえいないというのが実情だ。少し前まではほとんど見ることもかなわなかった彼の作品だが、幸いなことに、今は DVD で見ることができる。もっとも、これもいつ絶版になるかわからない。気になった人は、早めに手に入れておいたほうがいいだろう。